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‘鋼鉄’ 金永煥「私を変えさせたのは拷問ではなく北の現実」
“金日成は主体思想の書籍を読んだかも疑わしい”

2007.6.27
デイリ―NK、金松娥記者

 1980年代韓国の主体思想派運動圏の核心人物だった‘鋼鉄’金永煥「時代精神」編集委員が、自身の運動をなぜ‘方向転換’させたかを明らかにした。
 金編集委員は「鋼鉄書信」として知られた文書と書籍を通じて、主体思想と民族解放(NL)路線を、韓国学生運動の主流に成長させた人物だ。だが彼は1991年5月に、潜水艇に乗って北朝鮮に密入国し、金日成に会った後、北朝鮮の民主化活動家に転身した。
 金委員は26日午前、21世紀国家発展研究院(NDI・理事長パク・クァンヨン)が主催した招請講演で、‘10万主体思想派のゴッド・ファーザー’が、一転して北朝鮮の民主化運動に身を投じることとなるまでの過程を淡々と語った。

 80年代の韓国運動圏にとって、彼は神話のような存在だった。「鋼鉄」という人が本当に存在するのか、1人ではなく複数の人ではという噂まで流れるほどだった。
 金委員は自分が大学生街に民族解放運動論を初めて伝えた時代を思い浮かべながら、「私も驚いたほど、早く拡散した。ソウル大はわずか2、3ヶ月で(民族解放-NL系列が)学生運動を掌握し、8~10ヶ月で全国の学生運動を掌握した」と語った。
 「当時、私を捕まえるために活動した警察が400人ほどいた。故郷にある祖母の墓を見張ることはもちろん、末の叔母が賃借してくれた家を夜明けにだしぬけに襲撃してきたりした」。 捕まえるために警察が後輩の仮面をかぶって現われるという、コメディーのような状況まで演出されたという。
 金委員は安全企画部に検挙された後の、‘47日間の拷問’を振り返りながら、「1月9日は私の人生で最も嬉しい日だが、それは私が刑務所に入った日だ。刑務所に行くことになって安全企画部から抜け出せ、あれほど嬉しいことはなかった」と語ると場内は笑いに包まれた。
 金委員は「北朝鮮とつながる行為を阻むために、公安活動が必要という側面は認めるが、当時の拷問はむしろ革命の意志を強固にする結果しかもたらさなかった」と語った。拷問も彼の信念をくじくことができなかったということだ。
 だが皮肉にも、彼の信念をくじいたのは投獄や拷問ではなく、‘北朝鮮の現実’ そのものだったという。
 金委員は刑務所から出た後も、地下党員の民革党(民族民主革命党)の責任者として活動を続け、91年には北朝鮮に密入国した。
 金委員は「北朝鮮経済が困難な状況にあるという話は広く知られていたので、ある程度か予想していたが、他の面で到底受け入れることができないことがあった」と、訪朝した当時を振り返った。
 特に、「北朝鮮の学者たちと主体思想について討論した祭、‘首領が文化大革命のような過ちを犯そうとしたらどうするのか’という質問を繰り返したが、彼らは全く見当違いの答えだけ並べて、答えなかった」と言い、「世の中で主体思想を研究する自由のない所が、まさに北朝鮮という事実を理解した」と述べた。
 また、「北朝鮮で金日成に2回会ったが、自分の名前で発表した主体思想もきちんと分かっていなかった」と述べ、「むしろ彼が主体思想について発表した本を一度でも精読したのか疑わしかった」と回想した。北朝鮮との連携を強化するために敢行した訪朝が、むしろ北朝鮮の真実を悟らせることになったのだ。
 90年代半ばに金委員は、‘北朝鮮の首領論は詐欺劇’という文章を「マル(言葉という意味)誌」に掲載し、これからは北朝鮮を民主化する活動家として再出発すると公表した。
 金委員は北朝鮮が「えせ宗教集団とマフィア集団を一体化させたもの」に過ぎないということを確信し、同僚の中の核心的幹部だけを選んで次のような内容の手紙を送った。
 「今北朝鮮は、地球上のどの国にも見られない独裁をくり広げている。人民を飢え死にさせ、人権を抑圧している。私たちは革命家だ。人民の敵は私たちの敵だ。人民の敵になった北朝鮮政権に立ち向かって闘争しなければならない。私は残りの人生を、北朝鮮政権を打倒することに捧げようと思う。私と同じ道を歩んでくれれば私の友となるが、そうでなければ金正日のように私の敵となるだろう」
 金委員は「その後、私は北朝鮮の民主化運動に専念している」と語った。だが、彼は当時歌った歌やスローガンが、今もなお韓国社会のあちこちで叫ばれ続けている事実にもどかしさを感じると述べた。
 また、「実際に親北朝鮮や正統社会主義を追求する勢力は極めて一部に過ぎないが、問題は彼らではなく、既に学生運動を卒業した人々」と述べ、「当時の‘社会主義的民族主義’から完全に抜け出せないで、それが社会全体に根深く染み込んでいる」と指摘した。
 更に、「韓国社会の社会主義的で民族主義的な雰囲気を克服することが非常に重要だ」と述べ、「北朝鮮民主化のための活動家として、この分野に全力をつくす」と自らの決意を新たに固めた。
 この日のセミナー参加者が金委員に、「大多数の国民が、親北朝鮮左派傾向が誤った道であることに早く気付いたのに、金永煥氏はどうしてそんなに遅くそれを悟ったのか」と批判したのに対して「その部分についてはよく分かっており、謙虚に受け入れる。過去の運動圏が残した残滓の中で、今日まで残っている否定的側面については責任感を感じる」と答えた。

 
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