2000年の「6.15南北共同宣言」以後、南北関係は、韓国側の援助に比例して訪朝人数の大幅増という変化を見せた。 訪朝中心の南北間の人的交流は、1993年〜1999年には10,711人だったが、2000年〜2006年には263,491人と24.6倍に跳ね上がった。この「交流」で去る 10年間に金正日政権の懐に入った現金と食糧は8兆 5000億ウォンを超え、いままた北朝鮮が核を放棄していないにも関わらず、韓国政府は40万tの食糧と重油を与え始めている。
離散家族の再会は、1985年に分断以後初めて南側35人と北側30人の再会が実現した。その後15年間という長いブランクがあったが、南北首脳会談後の2000年8月の第1回再会を皮切りに、現在まで約20回約16,000人が再会した。しかし相互訪問ははじめの数回だけで、以後は金剛山面会所での監視付の再会となった。そればかりではない。現在のように年に2回、1回で100人ずつ、コンピューターで抽出した家族を会わせるようなやり方では、全ての離散家族が再会するまで500年かかる計算となる。
こうしたことから北朝鮮に離散家族を持つ人々の団体「1000万離散家族再会推進委員会」は、2006年9月15日に開かれた第25回「離散家族の日」記念行事で、「800万人の離散家族は、北朝鮮へのコメや肥料の支援と引き換えに行われる離散家族再会を拒否する」と宣言した。
同委員会は声明文で、「失郷民(現在の北朝鮮に故郷を持つ人)たちは、北朝鮮に引きずられる一方の韓国政府の誠意のなさに対して軽蔑の念を抱くとともに、離散家族の痛みをエサに米と肥料をぶん取る北朝鮮に対して怒りを覚える」と訴えた。金剛山で行われるようなイベント的要素の強い離散家族再会をやめ、秋夕(旧盆)や旧正月に合わせて無条件に再会させるようにするとともに、手紙を交換したり、随時に自由に再会する制度を設けるよう求め、デモ行進も行った。
1998年11月に始まった金剛山(クムガンサン)観光の場合、今までに韓国からの観光客は約150万人を越えた。50万人突破にかかった時間が最初は48ケ月だったが、 100万人までは31ケ月、150万人までは24ケ月と徐々に短くなっている。1998年の約1万人を皮切りに、2000年に約21万3000人、 2002年約8万5000人、2004年約26万8000人、2006年約23万4000人、2007年6月現在約11万2000人である。
だが、この対価として 2300万北朝鮮人民は金鋼山に接近禁止となった。北朝鮮人民の金鋼山観光の権利を剥奪して、鉄條網で囲み韓国側住民たちを動物園の動物のように変えてしまった金鋼山観光は、むしろ反人権的、反自由的行為の代表的実例となっている。
首脳会談をきっかけに南北間に初めて直航路が開設され、片道基準で2000年43回、2001年19回、2002年67回、2003年112回、2004年28回、2005年208回、2006年88回の航空機が往来したが、これを利用したのは南北の政府関係者と韓国の親北団体である。
鉄道も半世紀ぶりに去る5月17日、京義(キョンウィ)線のムン山(ムンサン)駅-開城(ケソン)駅、東海(トンへ)線は金剛山駅-猪津(チェジン)駅区間をそれぞれ往来したが、イベント的色彩が濃くこの一回だけの開通に数千億ウォンの費用がかけられた。
この間南北経済協力も進められた。
1993年〜1999年に56件推進された経済及び社会文化協力事業が、2000年〜2006年には210件と3.8倍に増加した。交易も1993年〜1999年には17億8000万ドルであったが、2000年〜2006年に52億9000万ドルと2.9倍となった。2000年には韓国側の536の企業が北朝鮮側との交易で578品目を扱ったが、去年は477の企業が757品目を取引きした。
開城工団をはじめとした南北協力事業では、情報技術(IT)分野が25%と最も高いパーセンテージを占め、続いて農林水産業18%、観光・レジャーと食品が各10%、繊維・縫製8%の順である。特に2000年8月に始まった開城工団事業は、韓国側の企業24社が工団に入り、北朝鮮側の勤労者約1万5000人と韓国側約600人が働いている。
しかしこうした経済協力からは「市場経済」のプレーヤーである企業家も商人も生まれていない。そればかりか開城工団で働く労働者は、直接賃金を受け取れず奴隷労動の状態となっている。
北朝鮮側労働者は月給の90% 以上を金正日政権にもっていかれ、自分の月給がいくらかも知らないまま仕事をさせられている。それに対して北朝鮮政府に抗議でも行なえば政治犯で引っ張られていく有様だ。
市場経済を取り入れる意思が全くない北朝鮮政府は、韓国の外貨を吸収するための合作会社で開城工団を運営している。こうした形式で行われている南北合作の企業であるためこれまでまともに成功した例がない。
金大中、盧武鉉政権が進めてきた「南北交流」は、莫大な費用と長い時間を費やしたにも関わらず、金正日政権を「改革開放」に導いていない。むしろ金正日政権を支える「南北交流」となっている。
|