金正恩第一書記に対する内外の評価は大きく変化している。
昨年4月の就任直後には、祖父に似た外貌を活用し人民生活向上を強調したことから、「経済改革を断行する開かれた指導者では」と期待され、「スイス留学経験を生かして新しい政策を打ち出すのではないか」と注目されもしていた。しかし、このところの評価はそれとは全く反対のものとなっている。「人民生活を省みない好戦的独裁者」「外交を知らない未熟な指導者」「衝動的・即興的で何を考えているか分からない指導者」など否定的見方が定着しつつある。1年の間にこれほど評価が変化した指導者も珍しい。
金正恩氏が米韓に全面戦争を仕掛けると叫ぶ中で開かれた3月31日の「朝鮮労働党3月全員会議」では、そうした周りの風評を意識してか、「経済建設と核武力建設の併進路線」なるものを打ち出し、経済再生にも力を注ぐかのごとく演出した。そして経済官僚の朴奉珠(パク・ポンジュ)労働党軽工業部長を政治局員へと2階級特進させ指導部に再登場させた。だがこの路線は1960年代に祖父金日成が打ち出して失敗した「国防建設と経済建設併進路線」の焼き直しに過ぎない。
次の日(4月1日)に開かれた「最高人民会議12期7回会議」では、政治局員に抜擢した朴奉珠氏(経済改革派といわれ2003・9〜2007・4総理歴任。軍と党内保守派の抵抗で一時総理から順天ビナロン工場の支配人まで落とされていた)を総理に復活させ、この路線の「法的」「行政的」「実務的」具体化と称して、核武力の強化やミサイル開発の強化だけでなく核武力の使用対象まで法律で規定した。しかし、経済建設についての新たな法律は何もなかった。このことを見ても、「経済建設」についての言及が国民の不満をなだめるための「方便」に過ぎないことが分かる。
こうした中で北朝鮮の軍総参謀部は4月4日、「先端核攻撃手段に関連した作戦」を正式に米国に通告するとする報道官談話を発表。挑発行為を一段とエスカレートする意思表示を行い具体的行動を取り始めた。それは米韓軍事演習で米国から最先端兵器を見せつけられ威嚇されたことと関係しているようだ。
1、米国の核報復戦力を見せつけられ威嚇された金正恩
米国は、米韓軍事演習の最中、異例にも最先端兵器を北朝鮮に見せつけた。3月8、19、25日の計3回、核爆弾投下可能な戦略爆撃機B52を韓国上空に飛ばし、また22日以降にはB―2ステルス爆撃機を、3月31日には米軍の最先端ステルス戦闘機F22ラプターを登場させ(4月3日には沖縄に帰還)、韓国・烏山空軍基地で内外の報道機関に公開する計画まで立てた(直前に取り消し)。
すなわち米国はグアム基地から無着陸で絨毯(じゅうたん)爆撃できる空の核要塞と隠密裏に核ミサイル基地および敵司令部をピンポイントで粉砕できる忍者核爆撃機を見せつけた上で、空の忍者スイーパー(F22ラプター)まで見せつけ北朝鮮を圧迫したのである。
*B2は核爆弾なら16個を搭載可能で、14トンもある大型爆弾「バンカーバスター」も運べる。北朝鮮の核ミサイル基地攻撃には最適の爆撃機である。バンカーバスターGBU28レーザー誘導爆弾は、北朝鮮の地下核施設を攻撃するのに最適の兵器と評価されている。戦闘機や爆撃機でGBU28が空中投下されれば、弾頭がバンカーを突き抜けて最初の爆発を起こし、続いて強力な爆発で地面深くの隠れた敵のバンカー基地を攻撃する。
*F22ラプターは最高速度マッハ2・5、戦闘行動半径約2200キロ。恵谷氏は「F22は平壌に侵入しただろう」と推測する。平壌では1日、最高人民会議が開かれていた。米国が対北心理作戦を仕掛けるには絶好の時期だったはずというわけだ(産経新聞2013.4.6)。
そればかりか、海からは米第7艦隊のロサンゼルス級原子力潜水艦「シャイアン」、ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」と「マッキャンベル」などを見せつけ、北朝鮮が攻撃に出た途端、数千発の巡航ミサイルで北朝鮮全土の軍施設を陸海空から焦土化させる体制を示した。
米国は攻撃態勢を見せつけただけではなく防御体制も一段と強化した。アラスカに迎撃ミサイル14期を増設しただけでなく、迎撃ミサイル搭載のイージス艦を西太平洋に配置し、グアムには終末高高度迎撃ミサイル「サード(THAAD)」の配備まで行うと明らかにした。
*THAADは、大気圏外での交戦に特化しており、敵弾道ミサイルが、その航程の終末段階にさしかかり、大気圏に再突入する段階で、これを迎撃・撃破するために開発された迎撃ミサイルだ。THAADシステムは、移動式車両発射台や迎撃ミサイル、追跡レーダー、統合射撃統制システムなどで構成され、米国の軍事基地に飛来する中距離弾道ミサイルを撃墜するための防空システムだ。THAADシステムは、パトリオットミサイル(PAC3)よりも高い150キロメートル以上の成層圏で正確かつ速かにミサイルを迎撃することができる。THAADシステムの砲台1台当たりの価格は約8億ドル、ミサイルは1機当たり約100万ドルとされている。
米国は、こうした攻撃・防御体制を敷く一方、局地挑発に対しても韓米が共同対処する「共同作戦計画」に署名(3月22日)し、北朝鮮の韓国に対する局地挑発にも瞬時に対応できる姿勢を取った。
こうした米韓の抑止戦略を前にして、北朝鮮は「言葉爆弾」と「映像爆弾」による挑発だけでは脅迫効果を得られず、「核戦争」を叫ぶ「オオカミ少年状態」とならざるを得なくなったのである。
2、いきり立つ北朝鮮、「心理戦」第2段階に突入
このままでは、金正恩の権威は大きく傷つき、その体制が揺らぎかねないと判断した北朝鮮政権は、「心理戦」の第2段階へと挑発をエスカレートさせる道に突入した。それは「開城工団閉鎖脅迫」と「ムスダン」と見られるミサイルの発射準備、寧辺の全ての核施設の再稼動宣言などである。またその効果を極大化するため、平壌駐在の外国大使館に10日までに退避するよう勧告した。
1)「開城工団閉鎖脅迫」挑発
米国の防御体制と核報復戦力の一端を見せ付けられた金正恩は、3月29日深夜午前零時半から「作戦会議」を招集した。会議では首都ワシントンを含む「戦略軍米国本土攻撃計画」を示し、ミサイル部隊に「待機命令」を出し、会議のもようを朝鮮中央通信で報じさせた。その後30日には「休戦状態」を自ら破棄する「南北は戦時状態」との特別声明を出した。すなわち「韓国人質作戦」を開始すると宣言したのである。それは「開城工団」を人質に取ることで表面化した。
北朝鮮は3月30日、中央特区開発指導総局報道官の談話を通じて、「われわれの尊厳を少しでも傷つけようとすれば、開城工業団地を閉鎖することになる」と威嚇を強めていたが、4月3日には韓国側関係者の立ち入りを禁止し、8日には金養建(キム・ヤンゴン)朝鮮労働党書記が談話を発表し、開城工業団地の北朝鮮労働者を全員撤収させるとともに同団地の操業を一時中断すると明らかにした。北朝鮮は4年前の2009年3月に韓国側関係者の立ち入りを禁止措置を取ったことがあるが、労働者全員の撤収を決定したのは今回が始めてである。しかし、今後については「韓国当局の態度次第だ」として閉鎖するか否かの最終決定は韓国に下駄を預ける形を取った。同団地は生産品の出荷が始まった2004年以来、最大の危機を迎えたことになる。
北朝鮮による開城工業団地閉鎖措置は、韓国に対する威嚇を行動で示し、朴政権を揺さぶるとともに、核攻撃脅迫に反応しない米国に一段と強いプレッシャーをかけ、なんとしてでも対話のテーブルに引き出そうとする狙いがある。
2)新たなミサイル発射準備挑発
韓国聯合ニュースは4日、複数の韓国政府消息筋の話として、北朝鮮が新型中距離弾道ミサイル「ムスダン」とみられる物体を列車で日本海側に移動させたと報道した。米韓は発射する可能性もあるとみて注視している。日本政府は7日、自衛隊に「破壊措置命令」を発令する方針を固めた。このミサイルに弾頭が装着されているかは分からないが、4月11日の金正恩第一書記就任1周年と4月15日の故金日成主席の誕生日前後に発射される可能性が高い。
ムスダンは射程約2500〜4千キロと推定され、2010年10月の朝鮮労働党創建65周年を記念した軍事パレードで車両に載せられて登場した。韓国軍は07年から実戦配備されたとみているが、発射実験が確認されたことはない。
韓国大統領府は同日金章洙(キム・ジャンス)国家安保室長の主宰で深夜に会議を開き、事態の把握とともに北朝鮮の動きに注目している。当局者は「北朝鮮が韓半島を危険地域として浮き彫りにする外交宣伝戦レベルでこうした動きを見ているようだ」と分析した。国防部当局者は「北朝鮮軍の特異動向はない」と述べた。
韓国軍関係者によると、北朝鮮の朝鮮人民軍は現在、ホーバークラフトや潜水艦を動員するなどした訓練を活発に行っているが、軍事挑発が近いことをうかがわせる兆候はないという。
3)核施設の再稼動表明挑発
北朝鮮原子力総局の報道官は4月2日、「ウラン濃縮工場をはじめとする寧辺の全ての核施設と、2007年10月の6カ国協議の合意により稼動を停止していた黒鉛減速炉(原子炉)を再稼動する措置を取る」と述べた。北朝鮮は5000キロワット級の同原子炉を含めた核施設の再稼動を表明することで、6カ国協議合意の破棄と核兵器生産の意志を鮮明にした。
報道官は朝鮮中央通信記者の質問に対し、先月31日の朝鮮労働党中央委員会総会で経済建設と核開発を両立する方針が採択されたのに伴い、「自立的核動力工業」を発展させる措置の一つだと説明した。また、同事業を即時実行に移すと強調した。
北朝鮮は核の平和利用を主張してきたが、今回の原子炉再稼動表明で核兵器の開発・生産を行うとの立場を公言したことになる。07年10月の6カ国協議で合意に至った寧辺核施設の稼動停止を破棄し、黒鉛減速炉を再稼動させれば使用済み核燃料棒からプルトニウムを抽出できる。
*北朝鮮は07年の6カ国協議合意に伴い、黒鉛減速炉と核再処理施設、核燃料工場に対する閉鎖・封印措置を取った。だが、同協議が進展せず周辺国からのエネルギー支援が得られなくなると、08年9月に封印を解除し、09年11月には8カ所で使用済み核燃料棒の再処理を行ったと発表した。
北朝鮮の原子力総局報道官は今回、「世界の非核化が実現されるときまで核兵器を質的、量的に拡大強化していく」と主張した。
北朝鮮の原子炉の再稼動表明について、韓国外交部の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は「事実なら非常に遺憾だ。北朝鮮はこれまでの(非核化関連)合意や約束を守るべきだ」と主張した。
一方、中国外務省の洪磊副報道局長は同日の定例会見で「朝鮮半島の非核化実現と朝鮮半島および東アジアの平和・安定を守るのが中国の一貫した立場」と述べ、北朝鮮が示した原子炉再稼動の方針に遺憾の意を示した(聯合ニュース2013/04/02)。
4)「外国大使館職員の退去を勧告」で危機感煽る
4月5日、北朝鮮は戦争の危機感を煽るため、ロシアや英国など平壌駐在の外国大使館に職員の退去を勧告した。こうした行動は「心理戦第2段階」での挑発措置として予測されていたものである。
平壌のロシア大使館と英国大使館が北朝鮮当局から「紛争が発生する場合、4月10日以降は安全を保証できない」という通知を受けたと 露イタルタス通信と英ロイター通信は報道した。北朝鮮側は外交官だけでなく、北朝鮮に滞在中の外国団体関係者の退去も同時に要請した。
英外務省はこの日の声明で、「北朝鮮が平壌の英国大使館に職員の退去意思を尋ねてきた」と述べ、報道の内容を確認した。続いて「北朝鮮のこうした提案は反米広報戦の一環」とし「われわれは後続措置として北朝鮮に対する渡航情報の変更を考えている」と明らかにした。平壌のロシア大使館もこの日、普段と変わらなかった。ロシア外交当局者は「平壌の中国大使館にも(北側が)同じ通知をした」と伝えた。
だが、「外国大使館職員の退去を勧告」については、北朝鮮国内の住民には知らされていない。
各国は「業務継続」
北朝鮮が平壌にある外国の大使館などに職員の退去を勧告したことについて、各国は当分は業務を続けるとの方針を示した。
AFP通信によるとドイツ外務省は6日、「平壌駐在のドイツ大使館の安全と危険度を持続的に分析している。現在では、大使館業務を継続できると判断している」とする声明を出した。
AFP通信はブルガリア外務省報道官の話として、欧州連合(EU)諸国の平壌駐在公館長らが立場を決めるため、会合を開く予定だと報じた。会合で交わされた内容は確認できていない。英国外務省は「会合は儀礼的なもので、重要な決定が下されるのは期待しにくい」と説明した。
米国の利益代表を兼ねるスウェーデン大使館は自国の観光客支援などのため、業務を維持する考えだ。フランスも公館の撤退計画はないとされる。
ブラジル外務省は「北朝鮮当局から大使館職員の退去勧告を受けたが、業務を続けることにした。北朝鮮当局の意図を把握している」とした。朝鮮半島で危機的な状況が発生する場合、大使館を中国・丹東に移設する可能性はあるという。
インドネシア外務省は北朝鮮内の緊張が高まる状況を踏まえ、平壌駐在外交官の退去を検討していると明らかにした。最悪のシナリオに備え、緊急対策を講じているという。ただ同省報道官は、「北朝鮮にはインドネシア外交官や家族ら30人が住んでいる」として、「直ちに退去する計画はなく、状況を見極めている」と述べた。
ロシアの国営放送は退去を考慮する可能性もあると報じた。同国外務省は「すべての状況を考慮し、勧告を深刻に検討している」と明らかにした。
一方、欧米人の北朝鮮観光を手掛ける旅行会社によると、外国人の観光は北朝鮮の退去勧告とは関係なく、普段通り行われている。
中国・北京にある英国の旅行会社、高麗旅行社関係者は英国大使館から旅行業務を続けるよう勧告を受けたと伝えた。北朝鮮で2日間、観光客を案内し、6日に戻った同社の社員は「北朝鮮国営旅行会社のパートナーらが観光客を受け入れている。現地で特に緊張した雰囲気は感じられなかった」と述べた(聯合ニュース2013/04/07)。
* * *
韓国の千英宇(チョン・ヨンウ)元青瓦台(チョンワデ、大統領府)外交安保首席秘書官は6日、中央SUNDAYとの緊急インタビューで、「北朝鮮がいま高強度の脅迫戦を行うのは、民心が離反するなど内部がいつになく複雑で切迫しているため」として「北朝鮮の脅迫がただちに軍事挑発につながる可能性はない。内憂外患が重なった状況でわれわれを手なずけようとする意図であり冷静に対応すれば良い」と語った。
北朝鮮が「グアムを打撃する」などと米国にも威嚇をする理由については「北朝鮮は最高指導者が米国とやり合って勝てるだけの度胸があると認められなければならない政治文化がある。金日成、金正日も米国とやり合うふりをして最高指導者と認められた。権力に上がってからいくらも経たない金正恩もそのような必要性が大きいので米国を脅迫しているようだ」と述べた
北朝鮮のこうした戦争挑発に対して「親北朝鮮人士」であるリチャードソン前ニューメキシコ州知事さえも「北朝鮮の米国攻撃は自殺行為」と断言している。
リチャードソン前州知事は4月4日、CNN放送とのインタビューで、「北朝鮮がもし米国に対して良からぬことを試みるなら、それは自殺行為になるだろう」とし、「そのようなこと(北朝鮮の米国への攻撃)は起きないだろう」と述べた。今年1月、グーグルのエリック・シュミット会長と共に北朝鮮を訪問したリチャードソン氏は、最近の北朝鮮の相次ぐ挑発に対して、「米国は冷静に万一の緊急状況に備え、北朝鮮に対する軍の体制を整えてきた」と明らかにした(東亜日報2013・4・6)。
金正恩第一書記の「危険な心理戦」が第2段階に突入した。それでも米韓日が冷静を保ち譲歩の姿勢を見せなかった場合、金正恩体制は大きな打撃を受けざるを得ないだろう。そうなれば「心理戦」は第3段階に突入し、「局地軍事衝突」などの「戦争瀬戸際挑発」や、偵察総局部隊による「かく乱挑発」などが強行されるかもしれない。
ただ直近の北朝鮮内部情報によると、北朝鮮ではむしろ動員体制が解除されつつあり、これから本格化する農作業に人々が動員されているという。また金日成主席の誕生日を祝う朝鮮総連関係者一行の訪朝も予定通り行なわれている。
金正恩式「瀬戸際政策」を理解するには、もう少し時間が必要なようだ。
以上