北朝鮮の海外公館の外交官や駐在員の中で、突然、平壌への召還令を受けた場合、亡命を考える人が増えている。北朝鮮に戻れば子供の将来をはじめすべてが終わると考える人たちが増えたからだ。これは金正恩による恐怖政治の結果といえる。取り締まり強化で国内からの脱北が減少する中、海外で働くエリート層で動揺が広がっているのは皮肉な現象と言わざるを得ない。今回の事態は金正恩体制に過去にはない衝撃を与えている。
元北朝鮮外交官で、国家情報院国家安保戦略研究所の高英煥(コ・ヨンファン)副院長は4月12日、「最近、海外の北朝鮮公館の職員や駐在員の中には、子供の教育のために亡命を選択するケースが増えている」と明らかにした。高副院長によると、平壌に戻る時になったが、子供が平壌に行きたくないと意思表示し、共に亡命するケースもあるという。年齢の問題で平壌に戻れば再び海外に出られないと判断し、子供の教育のために亡命したりもする。高副院長は、「北朝鮮公館の職員や駐在員の間で、北朝鮮のために命を捧げて働く価値があるのかという懐疑が大きくなっている」と伝えた。高副院長によると、2013年12月、金第1書記が叔母の夫である張成沢氏を処刑した後、北朝鮮の海外公館の職員や駐在員の中で、突然の帰国命令があった場合亡命を決心する人が増えたという(東亜日報2016・4・13)。
高氏が指摘するように、このような流れが常態化し始めたのは張成沢氏処刑以後だ。彼の処刑前も昇進などを口実に騙されて平壌に呼び戻され粛清された海外の外交官や駐在員もいたが、張氏の処刑後にあまりにも多くの公館職員や駐在員が召還され収容所送りや処刑されたために状況が一変した。
「疑わしい召還令」を受ければ北朝鮮に戻らないと決心する公館職員や駐在員が多くなったのだ。昨年5月、妻と2人の息子を連れて亡命したアフリカのある国に駐在していた外交官も、召還されれば粛清されるかもしれないという恐怖を感じ、韓国行きを選んだ。
昨年、金正恩政権で重要な役割を果たす国家安全保衛部、偵察総局の核心幹部、労働党組織指導部と関係のある海外事業機関の幹部や外交官が相次いで韓国に亡命したことは、このような流れが一時的なもので無く一つの流れになっていることを物語っている。
1、前代未聞の同一職場「集団脱北」
そうした状況の中で4月7日に、中国の北朝鮮レストランの男性支配人1人と女性従業員12人の計13人が集団で脱北する事件が起こった。この事件について韓国の朝鮮日報は9日、当初の勤務地は中国吉林省延吉だったが経営が行き詰まると浙江省寧波(「柳京朝鮮食堂」)に移り、約3カ月間滞在。その後、東南アジアの国家を経由し韓国に亡命したと明らかにした。
韓国統一部は8日、「1つの食堂で働いていた男性支配人1人と女性従業員12人が韓国に到着した」とした上で「(北朝鮮の飲食店従業員が)集団で脱北するのは今回がはじめてだ」と明らかにした。北朝鮮による核実験やミサイル発射に対する国際社会の制裁が本格化した中で、海外の北朝鮮食堂から集団脱北者が出たことに注目が集まっている。
脱北者でもある高国家安保戦略研究院副院長は「廃業が続出している北朝鮮飲食店には6、7人あたり1人ずつ国家安全保衛部の『密告者』がいる」とし「そうした状況で同じ職場で働く従業員が一斉に脱北したというのは『事変』のようなものである」と述べた。
1)北朝鮮海外食堂での実態
韓国の情報機関によると、これまで北朝鮮は世界130カ国以上で飲食店を展開し、年間およそ4000万ドル(約43億円)の外貨を稼ぎ出していたという。うち90店舗以上が中国に集中しており、次いでロシア9店、カンボジア7店、ベトナム4店、その他ミャンマーやカンボジアなど、主に東南アジアに多く展開している。2013年までは100店を少し上回る程度だったが、金正恩第1書記が本格的に権力を掌握した後、北朝鮮の複数の政府機関が外貨稼ぎに力を入れるようになり、それに伴って飲食店の数も増えた。
海外で飲食店を展開しているのは、金正恩の統治資金作りと管理にあたる朝鮮労働党39号室だが、それ以外にも国家安全保衛部や偵察総局などの工作機関、内閣の体育省、産業省、対外奉仕総局なども飲食店経営に乗り出している。これらの店舗はいずれも「忠誠資金」という名目で、平壌に毎年30万ドル(約3200万円)を送金、上納している。つまり海外の飲食店で得られた収入は、そのほとんどが金正恩第1書記の統治資金となっているのだ。
北朝鮮当局は海外の飲食店従業員を採用する際には、朝鮮労働党、政府、朝鮮人民軍などの幹部の子供や親戚などの中から、歌やダンスの才能が認められる芸術学校の卒業生などを中心に、主に20代の女性を選んできた。元北朝鮮政府高官だったある脱北者は、従業員の出身成分をチェックする理由について「彼らは国外の様子を必ず目の当たりにするわけだが、そのような場合でも思想面で絶対に揺らいではならないからだ」と説明する。
また韓国統一部のある関係者は「従業員たちは北朝鮮の上流階級出身者が多いため、彼らが脱北したことは、今回の制裁で北朝鮮が大きく動揺していることを示す証拠になる」と指摘する。ただ最近は女性従業員の需要が拡大しているため、出身成分に少し問題がある場合でも、外見や芸術面での才能が認められれば、海外に出て飲食店従業員になることも可能になったようだ。とりわけ料理やファッション、観光などについて専門に学ぶ女子大学「張鉄久平壌商業大学」の在学生やOBが好まれているという。
彼らは海外で働く一般の北朝鮮労働者と同じく厳しい統制下で生活する。食堂の営業が終われば合宿施設で集団生活を行い、自由に外出することもできない。たまに外出する場合も、互いに対する監視のため3人1組、あるいは4人1組で行動しなければならず、携帯電話の使用も禁止されている。
従業員たちはダンスや歌、楽器演奏などの能力によって毎月150−500ドル(約1万6000−5万4000円)の給与を受け取っているが、これにチップは含まれていない。このように自分たちの労働を激しく搾取されてはいるが、一般の海外労働者に比べれば収入が多いため、彼女たちのような飲食店従業員は若い女性たちの間では羨望の的になっているようだ(朝鮮日報日本語版2016/04/09 08:59)。
2)体制不満を内に秘めた北朝鮮の「苦難の行軍世代」
集団脱北したレストラン従業員13人は全て20−30代で1990年代中盤の「苦難の行軍」(北朝鮮大飢饉)時代に生まれたか幼少期を過ごした世代である。
この世代は、配給制が崩壊した状況で、チャンマダン(市場)を利用して生き残ったため、社会主義計画経済よりも市場の論理の方になじんでいる。親の世代のように素直に当局の権威を認めることはないということだ。表向きは当局の指示に従うふりをするが、内心では労働党と金正恩第1書記に対し冷笑的だ。ある脱北者は「苦難の行軍世代は『党が何をしてくれたというのか。カネをくれる人に従う』という意識が強い」と語った。
親世代の集団主義に比べ、個人主義が目立つ点も特徴だ。軍隊に行かないために、さまざまな手段を動員する若者も多いという。この世代は、チャンマダンを通して流通する外部情報や韓国ドラマなどに幼いころから接しており、北朝鮮の実相は当局のウソ宣伝とは異なるということをある程度知っている。韓国入りした北朝鮮レストランのある従業員も「韓国のテレビやドラマを見て、韓国で暮らしたいという熱望を抱いた」という趣旨の話をした。
北朝鮮当局は、「苦難の行軍世代」が体制の緩む火種になることを恐れ、思想教育と住民統制を強化している。この世代を、「数百万人の潜在的体制不満勢力」と見ているわけだ。国策研究機関の関係者は「北朝鮮当局が、改革・開放を通してこの世代を抱き込もうとするのではなく、強圧と統制で押さえ込むならば、今回のような集団亡命事件が続発しかねない」と語った(朝鮮日報日本語版2016/04/12 10:07)。
北朝鮮にとっては、エリート層の動揺のほかにも20−30代の若者層が政権に従順でないことも大きな悩みの種となっている。
3)中国政府、集団脱北を事実上黙認?
中国外務省の陸慷報道局長は11日の定例会見で、集団で脱北した北朝鮮のレストラン従業員13人は合法的な旅券を持って中国から出国したと発表した。
中国の公安当局が中国国内に居住する一部の北朝鮮住民が行方不明になったとの届けを受けて確認した結果、北朝鮮国籍者13人が6日早朝に有効な旅券を持って出国した事実を確認したという。
北朝鮮が経営するレストランの従業員が集団で脱北したことについて、中国政府が公式な立場を示したのは初めて。脱北したのが浙江省・寧波のレストランで働いていた従業員であることも認めた。
中国政府は従業員の脱北を事前に察知しており、少なくとも「黙認」または「傍観」して間接的に協力したとの見方が出ている(聯合ニュース日本語版2014・4・11)。
脱北ルートは、浙江省寧波(陸路)→上海(空路)→マレーシア(空路)→タイ(空路)→韓国と言われている。
4)北朝鮮当局、韓国による拉致と猛烈反発、中国に対しても批判
北朝鮮の朝鮮赤十字会は4月12日、北朝鮮レストランの従業員らの韓国亡命について、韓国情報機関による「拉致行為だ」と非難し、謝罪と即時送還を求める報道官談話を発表した。朝鮮中央通信が伝えた。
北朝鮮が今回の亡命について公式反応を示したのはこれが初めてだ。談話は韓国政府に対し、要求に応じなければ「想像できない重大な結果と懲罰措置が伴う」と警告した。
また、中国に対しても名指しこそしなかったが「どのようにして当該国の黙認の下に彼らを東南アジアの国を経ってどんな方法で南朝鮮まで連れて行ったのかを具体的に掌握している」と迂回的に非難した。
2、韓国入りした脱北者数、今年に入って増加に転じる
北朝鮮からエリート層が脱出する動きが目立っているが、一般の北朝鮮脱北者数も増加に転じたことが12日、韓国統一部の集計で分かった。今年1〜3月期に韓国入りした脱北者は342人で、前年同期に比べ17.5%増加した。北朝鮮で2011年に金正恩(キム・ジョンウン)体制が発足してから、韓国に入国した脱北者が大幅に増加するのは初めて。
韓国にやって来た脱北者は2009年に年間2914人まで増えたが、金正恩第1書記が中朝国境地帯の監視を強化し始めると、2011年に2706人、2012年には1502人に急減。その後も減り続け、2015年は1276人だった。
今年1〜3月期は男性が77人で前年同期比54.0%増となったが、女性は265人で10.0%増にとどまった。男性は決まった職場に通うため女性に比べると監視の目が厳しく、ここ数年減少が続いていたが今年は様子が違う。
1〜3月に韓国入りした脱北者の多くは、昨年末から今年初めに脱北を決意したとみられる。韓国・東国大北朝鮮学科の金榕R(キム・ヨンヒョン)教授は、北朝鮮住民の疲弊を要因に挙げる。
昨年8月に北朝鮮軍が仕掛けた地雷の爆発をきっかとした朝鮮半島の軍事的緊張感の高まり、同10月の朝鮮労働党創建70周年記念行事、その後すぐさま今年は5月の第7回党大会準備作業などで北朝鮮住民の疲労と不満はたまっている。
また、中朝関係が冷え込んでことも脱北者増加に関係しているようだ。以前は脱北者の取り締まりに積極的だった中国政府の姿勢が変化したからである。今回の北朝鮮レストラン従業員13人の集団脱北についても、中国政府は「事前には分からなかった」としながら中国出国を認めたが、第三国行きを黙認したとの見方もある。
ただ、韓国統一部は今年1〜3月期の統計について「一時的な増減かもしれない。判断を下すにはまだ早い」と慎重な態度を示している(聯合ニュース2016/04/12 15:04 )。
3、効いてきた?中国の制裁
1)厳しくなった北朝鮮の食堂経営
今回の集団脱北については、国連安保理決議に中国が積極的に関与したことが大きく関係している。また今年2月以降、海外で働く韓国人も韓国政府からの要請により北朝鮮海外食堂の利用を控えているが、このことも北朝鮮食堂の経営難に拍車をかけている。
従業員たちは脱北の動機について「食堂の経営は厳しくなる一方なのに、北朝鮮政府からの外貨上納圧力は一層厳しくなり、そのため大変なプレッシャーを強いられてきたから」などと説明している。
その影響で、カンボジアでは9店舗ある北朝鮮食堂のうち6店舗が閉店した。また中国でも北朝鮮食堂の多くが経営難あるいは廃業に追い込まれている。今回の集団脱北はこのような状況で起こった(朝鮮日報社説2016/04/09 09:01)。
また今後韓国政府が、北朝鮮による労働者派遣にまで制裁の範囲を拡大すれば締め付けはいっそう厳しくなるだろう。それに伴い外貨稼ぎを行う北朝鮮の政府部署や海外の公館、貿易担当者などに対する上納圧力は一層強まる。そうなれば彼らの連鎖脱北が相次ぎ、さらに北朝鮮内部での不満も高まる可能性が高い。
2)中国、鉱物資源の制裁品目も発表
中国商務省は4月5日、ホームページに石炭や航空燃料など対北朝鮮輸出入を禁止する25品目を公示した。海関総署(税関本部)との共同名義で発表された公告文に基づき、中国の対北朝鮮禁輸はこの日から本格的な施行に入った。国連安保理が対北朝鮮制裁決議案を通過させてから33日目であり、中国の習近平国家主席が米国で行った朴槿恵(パク・クネ)大統領との首脳会談で「完全かつ厳格に国連安保理決議を執行する」と明らかにしてから4日目だ。
中国が公告した対北朝鮮輸入禁止品目は石炭・鉄鉱石・金・希土類などであり、輸出禁止品目には航空燃料などが含まれた。安保理決議案の内容通りだ。
中国政府が国連決議案履行のための後続措置を今回初めて公式発表したという点は重要だ。北朝鮮の「民生目的」が除外されていることから、一部では制裁の実効性に疑問が提起されているが、しかし例外が認められるためには法人代表の印が押された保証書を提出し、中国商務省と外務省のほか国連制裁委員会に報告しなければならず、容易なことではない。中国がどれほど誠実に対北朝鮮制裁を履行したかは、今後90日以内に国連制裁委に提出される報告書で明らかになるとみられる。
今回の禁輸目録に含まれた石炭や鉄鉱石など7件の鉱物は北朝鮮の輸出に占める比率が44.9%に達し、この品目の97%が中国に輸出されることを勘案すれば、中国の徹底的な制裁履行が北朝鮮に与える打撃は非常に大きいといえる。中国政府が禁輸品目を公式発表したのは、大国としての国際的責任を果たすという習近平政権の意志と考えられる。これ以上の「北朝鮮擁護」はないという信号だ(中央日報日本語版2016・ 4・7 )。