コリア国際研究所
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自由民主主義だけが民族生存の道

2005.8.15
康仁徳元統一部長官

8・15光復が、今年で還暦を迎えた。今から60年前、1945年のこの日、わが民族は「恨」に満ちた36年間の日帝植民地統治から解放された。この日のような歓びと感激に満ちた日がいつあっただろうか。

喜びに涙を流した解放の日

特にわが家庭にとって8・15は言いしれない喜びの日だった。祖国独立のための抗日武装闘争を組織した不穏分子ということで、3人の兄と義兄が10余ヶ月の間、平安南道道警特高留置場に収監されて、毎週土曜日ごとに母と兄嫁と姉が試食を差し入れるために警察署に通わなければならなかった。
日本敗戦のニュースに接し、不安と恐怖から解放されたという喜びに涙を流した母と姉の姿が、今も鮮やかに思い出される。
また筆者は、この日の夜に目撃したある事件を忘れることができない。
それは平壌の名勝地である牧丹峰(モランボン)に建てられた「平壌神社」が、誰によって放火されたのか、夜12時頃ぐれんの炎に覆われ、あっという間に灰となった。
わが民族にとって「神社」とは一体何だったのか?
それは植民地統治者がわが民族の魂を抹殺するために建てた邪悪な統治手段の象徴物以外の何物でもなかった。明治以後朝鮮半島に 74もの神社が建立され、そのなかで「平壌神社」は1938年、神社参拝強要に抵抗する朝鮮人クリスチャン7000余人を逮捕して、1200ものキリスト教教会を閉鎖する時、50人余りの牧師と関係者を殉教させた建築物だったので、燃えさかる神社を見て痛快に思わない市民はいなかった。

36年間の血の教訓とは

日帝植民地時代の36年間、わが民族は3・1運動をはじめとした幾多の抗日闘争を起こし、数万の愛国者が血を流し、突然「国語」を奪い去られ(1938年朝鮮語教育禁止)、姓を失い(1939年創氏改名)、侵略戦争に動員された数万人もの若く、尊い命が犠牲(1944年徴兵・徴用令発動)になった。
そればかりか故郷を追われた数10万の同胞が流民となり日本、満洲、シベリアなどの地を彷徨(さすら)い、厳しい生存競争を強いられた。そうした苦難の中でも祖国解放のために、憤然と抗日独立闘争の火を守り続けた。
しかし不幸にもこの間日帝の妨害によってただ一度も国際社会から誠意ある精神的、物質的支援を受けた事はなく、そうした中で日本が敗れたため、突然祖国解放の喜びを迎えることとなったのだ。
このように急に得た贈り物だったからなのか、 解放と共に来た国土分断と民族の分裂、その結果400万が犠牲となった凄惨な同族同戦争、そしてそれがもたらした一千万にも及ぶ離散家族の痛みは、いまなお治癒できないでいる。今こそわが民族は過ぎ去った60年の歳月を返り見て、統一され繁栄する祖国の未来を切り開くため、新しい教訓を得なければならない。
顧みれば、36年間の恥辱に満ちた日帝植民統治の歴史は、われわれが自立繁栄できる国力を養うことが出来なかったことが原因だ。
帝国主義の侵略勢力が朝鮮半島に侵略の手を伸ばし、国の運命が岐路に立った1884年、金玉均(キム・オッキュン)を始めとする何人かの開化革命家らが甲申政変を起こして、明治維新の日本を追いかけようとしたが、国際政治の流れを読むことができなかった守旧派によって阻止された。
その後20年間、清・米・日・露の4大国との 関係をどのように結ぼうかと右往左往する間に、朝鮮半島は清日戦争(1894年)と露日戦争(1904年)の戦場となった。この二つの戦争で日本が勝利することによって、1905年の第2次韓日条約と1910年の韓日併合条約が締結され、国権を喪失し、亡国の「恨」を抱くこととなった。

いまわが民族は何をなすべきか

第一に、このように苦い歴史的経験を持っているわが民族であるにもかかわらず、第2次世界大戦期間の米・ソ・英・中の対朝鮮政策の実体を知らず、解放後に東西冷戦の犧牲となっておびただしい被害を被ることになった。
ところが、未だにわが民族の 一部には相変らず誤った 歴史的前轍を踏みながら、国際政治の流れに逆行する勢力が存在する。それはほかでもない北朝鮮の金正日支配集団だ。われわれはまず第一にこの金正日支配集団の戦争瀬戸際政策を克服しなければならない。
周辺情勢が脱冷戦の新しい国際秩序を形成し、競争的、戦略的同伴者関係を指向しているにもかかわらず、ただ彼らだけが冷戦的思考から脱することができずに、閉鎖的ドグマ(dogma)であるいわゆる「主体思想」実現を主張して、核開発に全力をあげている。
我々は過去一〇〇年の 民族史を通じて、国際政治の流れに乗れなければ亡国の危機を迎えるという貴重な教訓を得た。今からでも遅くはない。金正日政権は核開発の破棄と、和解協力の開放・改革に転換しなければならない。この道だけが6・25 以上の民族的災難到来を回避できる唯一の道だ。
第二に、イデオロギーの虚像をうち壊し、人類の普遍的価値を具現する体制を建設しなければならない。
亡国の悲しさをわが民族に与えたもう一つの原因は、朝鮮王朝末期「衛政斥邪」を叫び対外開放を拒否した世襲的 支配体制と、儒教的封建秩序を死守しようとした 守旧勢力にある。
1894年の甲午農民戦争(東学農民闘争)を契機に朝鮮半島に侵入した日本の支持を受けた開化派によって改革政策が試みられたが、日本の利益擁護に傾斜するあまり、それを実行することができず、むしろ帝国主義者に侵略の口実を広げる結果をもたらした。
このような歴史的教訓があったにもかかわらず、今日でも閉鎖的で古い思想と、壊さねばならない旧秩序に依存して政権維持に汲々とする勢力がある。
それはほかでもない「主体思想」と一人絶対支配体制を死守、維持しようとする北朝鮮の金正日政権であり、「民族共助」だの「民族自主」だのと叫び、閉鎖的民族主義の虜になっている韓国内の反米、反日急進勢力だ。われわれはいま、古い理念の虜になり「私たちの価値」だけを追い求め、人類の普遍的価値を軽視する閉鎖的民族原理主義者を断固として排撃しなければならない。
地球村のすべての国と 協力して自由民主主義、人権、法による支配、市場原理の適用など、人類が創造した普遍的価値をわが民族の社会秩序に 具現していかなければならない。そうしてこそ東アジアの強大国家との篤い信頼関係を構築し、国家の経済発展と、安全保障の確約を受けることができる。
第三は、脱冷戦と冷戦の2重構造を包括する統一戦略の樹立と実践を急がなければならない。
今日朝鮮半島を取り囲む国際情勢は、複雑・多様化している。周辺4大国は脱冷戦の国際秩序を構築したが、 朝鮮半島の南北関係は相変らず冷戦構造から脱皮できていない。更に北朝鮮が放棄する意図を見せない核開発によって、南方三角関係(韓・米・日3ヶ国間同盟・協力関係)と、北方三角関係(北・中・露3ヶ国同盟関係)の間に微妙な対立、葛藤の関係が形成されている。それは冷戦下の対決構図ではないとしても、朝鮮半島の南北関係を利用して、自国の安全保障と 国益を伸張させようとする、海洋勢力と大陸勢力 間の対立であることは明らかだ。このような現象は、過去100年余りの間朝鮮半島を舞台に起きた清日戦争、露日戦争でその原型を見せている。
今まで指摘した通り、我々は周辺4大国と友好・親善・紐帯関係を篤く結ばなければならないし、どちらか一方にだけ傾斜する関係では国家の安全を保障できない。だからといって既存の同盟・友好関係を無視し、新しい同盟・友好関係を結ぼうと思ってもいけない。韓米同盟関係と、韓日友好協力関係を維持、強化した基盤の上で、他国家との戦略的協力関係を 拡大して行かなければならない。
そうするためには、わが民族に対する強大国の圧力と関与を正当化させている北朝鮮の核問題を必ず解決する必要がある。この問題が解決した時にのみ、南北間の対決構図を和解・協力、民族共助のフレームに変えることができるし、周辺国家との関係も共存共栄の関係に転換して、朝鮮半島に脱冷戦の道を開き、平和統一の実現を近づけることができる。
最後にグローバル時代に合致した多様性と柔軟性を発揮して、民族の利益を極大化する努力をしなければならない。
今朝鮮半島の北半分は 想像を絶する飢餓と貧困に喘いでいる。どうして北朝鮮は世界から施しを受ける国に転落したのか?それは絶対権力の維持に汲々とする金正日支配集団の反人民的政策の結果だ。
北朝鮮の支配集団は、政権と体制の擁護以外にいかなる目的も持たない。数百万の人民が飢餓に喘ぎ、数十万の子供たちと年配者が栄養失調で死んでいるのに、彼らはただ権力維持にだけ没頭している。
問題は彼らを糾弾し政策変更を要求する同族の声が想像以上に弱いというところにある。自由と民主主義のために闘争するという韓国のいわゆる「進歩的知識人」らは、北朝鮮の人権状況を口にするだけでも「冷戦守旧勢力」とレッテルを貼るだけでなく、過激左翼盲動主義者の反米・反日・反体制運動を批判する保守勢力に対しては、「民族分裂を助長し、北朝鮮圧殺政策を支持する米帝と日本軍国主義の手先」だと罵倒している。
このような状況下では8・15光復当時、わが民族が希望した自由民主主義国家の建設は程遠いものとなってしまう。
一方私は日本が独島問題、歴史教科書問題、靖国神社参拝問題などを正しく解決して、隣国国民の傷をいたずらに刺激しないようにすることを願うと同時に、韓国国民も今こそ過去60年間持ち続けてきた日本に対する視点を変え、未来志向的な真の友好関係の構築に努力しなければならないと強調したい。
毎年400万人が往き来し、「韓流」と「日流」が急流となって両国社会に流れている今、いつまでも過去に縛られてはいけない。わが民族の将来は、行動を伴わないポピュリズム的発言のみを繰り返す政治家の手にこれ以上委ねることはできない。
日帝植民地36年の倍近い時間を、分断と対決、離散の苦痛の中で生きてきたわが民族は、今まで経験した苦難の原因がどこにあるかを糾明し、徹底的に対応する戦略、戦術を樹立し、実践しなければならない。また日本をはじめとした近隣諸国もわが民族の宿願である統一達成に協力してくれることを願うものである。

 
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