【康仁徳コラム】 「金正日遺訓」実践のカギ―崩壊した経済の再建
康仁徳元統一部長官 聖学院大学客員教授 2012.3.15
北朝鮮の労働党総書記であった金正日の葬儀が終わった直後から北朝鮮のあらゆる媒体は、「金正日の遺訓」を実践するために全力を傾けよと扇動している。
例えば、昨年12月31日に発表した「金日成誕生100周年に際しての党中央委員会、党中央軍事委員会が提示した共同スローガン」では、「金日成と金正日の遺訓を朝鮮労働党と軍隊と人民が、闘争綱領として掲げ輝かしく実践していこう」というのがその要旨であった。
一方、今年1月1日に発表された「労働新聞、朝鮮人民軍、青年前衛の共同社説」は、その題目自体が、「金正日の遺訓を奉じて、2012年を強盛復興の全盛期へと突入する誇らしい勝利の年として輝かそう」となっている。
ところで一体「金正日の遺訓」とはどういうものなのか?簡単明瞭に「これだ」と提示されたものは何も無い。
彼の「遺訓」を広く理解すれば、生前に金正日が、軍、工場、建設現場、農村などを「現地指導」しながら指示したあらゆる内容まで含まれるかもしれない。
すでに、「金正日著作集」は、先代である「金日成著作集」(2011年末現在94巻)よりも多い分量が出てくると予想されるのだが、この多くの文献に記述された文言一つ一つが、彼の「遺訓」として規定されることも考えられる。
このように見た場合、一体全体「金正日の遺訓」とは具体的に何を意味するのかよく分からない。
そこで、筆者が、金正日が生前に後継者金正恩に残した遺言がなんなのか?を想像し推測して見ることにした。
筆者が推測した金正日遺言の第一は、「祖父(金日成)が創建し、私(金正日)がしっかりと固めた金氏王朝を、代を継いで千年続くよう支配基盤をいっそう強化せよ」であり、第二は、「一国の統治者となるためには、何よりもまず、国家の軍権を掌握しなければならないというのが、祖父(金日成)が私に教えたことだが、私はそれを忠実に守ったので、お前も私を見習え」というものであると思われる。
三番目は、「全国的範囲(韓半島)で社会主義革命を完遂し、統一された社会主義国家を建設するのが、祖父(金日成)の念願であった。そのために6・25戦争(朝鮮戦争)までも起こしたが失敗した。私も米帝国主義者の敵対視政策と米軍の南朝鮮(韓国)駐屯で実現できなかった。なので、お前は必ず南朝鮮革命を完成させ、社会主義統一国家を建設しなければならない」というものであっただろう。
四番目としては、「わが国を取り巻く強大国の干渉は、絶えることなく続いたが、その都度、強大国間の矛盾と対立を利用して敵対勢力からの脅威をはねのけた。そうした一方で、必要なものを獲得し王国の安泰を維持してきた。特に私が核とミサイルを開発し、強力な自衛武力を建設しておいたので、お前はこの武力に基づいて機敏な外交を展開し、南朝鮮と敵対的強国の侵略意図を遮断し、革命に有利な国際的支援力量を構築しなければならない」と教えたのではないかと思われる。
最後の5番目は、「祖父(金日成)が人民大衆に約束した「肉のスープに白米、絹の着物に瓦屋根の家」、すなわち豊かな自立的経済に基づく社会主義社会の建設を公約したが、祖父も私もこの約束を実現できなかった。お前が実現して民衆の信頼を得るようにせよ!」といいった内容ではないかと推察される。
筆者は、「金正日の遺言」を以上の5つに整理しながら、第3代目の支配者が、この中でまず何から解決しなければならないのかを考えて見た。
1番目から4番目までは、先代がやったようになぞっていけば何とか形は整えられる。急ぐ問題でもないし急いだからといって解決できる問題でもない。
しかし、最後の経済問題は、早急に解決しなければならない問題である。なぜなら、遅れれば遅れるほどに、今でも低い人民の金正恩に対する信頼がいっそう低くなるからだ。
では一体どのような方法を取れば人民大衆の食糧問題を解決し、崩壊した北朝鮮経済を再生させることができるのか?
経済再生を早急に行なわなければならないといって、金正恩は、よく言われている「果敢な体制改革と対外開放政策」を採用することはできない。
なぜならば、改革と開放への転換は、先代の金正日が忌み嫌っていた「修正主義」(彼は生前にケ小平の政策を修正主義と批判した)に踏み出すことであり、一歩間違えば、下からの体制危機をもたらすと主張する軍や党の元老から強い批判を浴びることになるからだ。
では、どのような政策を選択することができるのか?筆者は、改革開放と言う概念には遠く及ばないが、国家財政に莫大な損失を与えている「非経済部署の経済事業」全般を再検討し、非効率的で浪費的な経済運営者たちの経済活動を大幅に縮小する政策ならば取れるのではないかと考える。軍と党が直接関与している経済事業を、専門の経済テクノクラートと経済部署が担当するようにするということだ。
例えば、軍の上級部隊が運営している対外貿易や外貨稼ぎを中断させ、政府の貿易担当部署の管轄下に統括するとか、経済生産機関の経済事業を統制している軍部の権限を縮小させ、内閣の該当経済部署にそれを引き受けさせるという方法だ。幅広く言うならば、「人民経済(第1経済)」が「軍需経済(第2経済)」の一部だけでも吸収し、総合的に統一された経済運営体制に転換する措置を取るということだ。
筆者は、自然発生的に拡大している「チャンマダン(市場)」をこれ以上人為的に統制し、商売する人たちを統制すること、また、やっと開設した市場を閉鎖しなくても、北朝鮮人民の生活苦解決の道を切り開くことができると考える。
このような意味で筆者は、先代の「遺訓」を実践するに当たり、優先的に振り向けてきた力をすべて集中する分野は経済問題であると考える。
経済分野で、意味のある変化が現れ始めたと北朝鮮人民が認めれば、それに比例して金正恩の支配基盤は強化される。
ところで問題は、このような経済活動の調整が、党と軍の当事者たちに「経済利権の剥奪」として受け止められれば、すさまじい抵抗に直面することになるということだ。その結果として熾烈な権力闘争が繰り広げられることになる。
こうした否定的現象の出現を、果たして金正恩とその後見人たちが抑制することができるだろうか?今後1年間、われわれが目を凝らして見なければならない「肝鍵のポイント(キーポイント)」は、このことであると指摘しておきたい。
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