【この論考は、7月24日東京で行われた「デイリーNK2015北朝鮮情勢報告セミナー」で報告された第1報告の論考です】
日本の防衛大臣、韓国の国防部長官にあたる北朝鮮の人民武力部長・玄永哲氏が4月30日、電撃的に処刑された。処刑の正確な理由については、まだ明らかになっていない。会議で居眠りをして処刑されたという説や、クーデターを企画したとか、または自分を中心とした勢力、いわゆる宗派を構築したことによって処刑されたという説もある。
しかし、北朝鮮の体制がいくら特殊なシステムであっても、最高位幹部を居眠りしたという理由だけで処刑することはありえない。またクーデターを企画したり、宗派を企画した可能性も非常に低い。仮に、そのようなことが発生していたとするなら、長期間、拘束されて拷問を受け関係者との全貌を非常に正確かつ具体的に明らかに解明する必要があることから、即処刑の可能性はほとんどない。
会議で居眠りをしたが、金正恩の前でこれを否定したため、「指導者の前で嘘をついた」という罪が追加。追加調査が行われたがその過程で明らかになった普段の様々な言動上の問題が理由になったという説もある。しかし、居眠りをしたという事実を否定する嘘も非常に些細な嘘であり、この程度で最高位幹部を処刑する可能性が低いと見られる。最終的には、普段の言葉使いから金正恩を卑下したと解釈できる言葉があった可能性が高いと見られる。
金正恩体制になって以後、数々の粛清が行われたが、最も衝撃的だったのが叔父の張成沢の粛清と、今回の玄永哲の粛清清件だ。金正日が、金正恩時代の核心人物として抜擢した李英鎬の粛清も驚かされたが、李英鎬は静かに粛清され、その後、処刑されたのか、政治犯収容所に行ったのか、それとも僻地に追放されたのかを正確に知るのは難しい。
李英鎬のケースのように、静かに粛清し政治犯収容所や僻地へ追放するのが過去の金日成、金正日時代の一般的な高位職に対する粛清方式だ。
過去の北朝鮮のケースを鑑みると、もちろん処刑することもあったが、粛清後の数ヶ月、あるいは数年後に処刑するのが一般的だった。朴憲永も粛清した後、3年後に処刑したパク・クムチョル、イ・ヒョスン、キム・チャンボン、チェ・チャンイク、パク・チャンオクなど、金日成が重要政敵に指摘した人物の多くも、政治犯収容所に送られていた。金正日時代に高級幹部を公開処刑したのは、1997年に農業担当秘書だったソ・グァンヒと2010年労働党財政計画部長だった朴南基(パク・ナムギ)の2回である。
これは、高級幹部や側近に恐怖を与えることが目的ではなく、90年代の大飢饉事態と2009年の貨幣改革の失敗による「民心の怒り」をなだめる側面がより大きかった。
しかし、玄永哲はソ・グァンヒや朴南基より、序列ははるかに高かった。張成沢、李英鎬に至ってはナンバー2、ナンバー3だっただけに、ソ・グァンヒや朴南基(パク・ナムギ)とは比較にはならない。
1、北朝鮮の恐怖と包容のバランス
金日成と金正日が、統治期間中に気を使ったことは「恐怖」と「包容」のバランス、いわゆる「アメとムチ」だった。恐怖があまりにも弱いと、権力を狙う人物が多くなる可能性があり、恐怖が大きすぎると、民心が離反し、側近さえ距離感を感じるようになる可能性が多い。北朝鮮体制の本質はテロリズムといえるが、金日成と金正日は、その恐怖が過剰にならないよう気を使っていた。
しかし、金正恩時代に、このバランスがひどく崩れている。その理由としては、金正恩が、年齢が若く権力基盤が弱いため、初期に少しでもスキを見せたり、少しでも弱く見られれば権力基盤が簡単に崩れるかもしれないと危惧しているからと見られる。そのような側面を考慮しても、今の北朝鮮では過剰な恐怖の雰囲気が醸成されている。
とりわけ、張成沢の粛清はいくつかの点から見てもあり得ない。張成沢は、金正恩の叔父だ。北朝鮮は、韓国に比べてはるかに伝統的家族関係を重視する社会である。また張成沢は、父・金正日が長い期間をかけて、最側近に起用した人物だった。
金正日の一生で最大の政敵は、金日成の二番目の妻・金聖愛と叔父の金英柱だった。金正日が、金聖愛と金英柱を殺さなかったのは、父がいたからだったが、金正日は、この二人を暗殺できる手段がいくらでもあったにも関わらず暗殺することはなかった。
父(金日成)が死去してからも、金英柱を形式上の名誉職「副主席」の地位に置き、金聖愛もそのままにしており、後継者の地位を争った異母弟の金平日も大使としてそのままにした。金正日の立場からすれば、彼らを消し去りたいと思ったかもしれないが、徹底的に迫害して政治的には動けないようにしておきながら、一方では、自分に包容力があり、優しい指導者というイメージを誇示するための措置だった。金正日は、明らかな政敵だったにも関わらず金英柱、金聖愛、金平日を殺さなかった。しかし、金正恩は、政敵かどうかも明らかではない張成沢を即処刑してしまった。
玄永哲の処刑と同様、長期間の拘束がなかったことから、クーデターや宗派の構築とは見られない。また、張成沢の粛清は、「親不孝」という側面も見られる。張成沢は、金正日の側近中の側近であり、金正日がいつも甘やかして可愛がっていた妹の金慶喜の夫だった。
そうした人物を父が死んでわずか2年で処刑するのは、「孝」を重視する北朝鮮では、非常に「親不孝」な行為と受け止められかねない。また、「公開粛清」という方法を使ったのも異例だ。
北朝鮮のこれまでの歴史で無数の粛清があったが、公開粛清は極めて珍しい。党高級幹部には、開示する場合があったが、張成沢粛清のように新聞や放送で大きく報道したことはほとんどなかったが、張成沢粛清を大々的に宣伝することによって、恐怖の雰囲気を最大限に高めるためだったと見られる。
玄永哲の場合には公にはしていないが、数百人の将校の目の前で処刑した。完全公開ではなかったが、ある程度は公開された処刑と見なすことができる。現役の人民武力部長を、部下の将校たちが見る前で、高射砲で跡形もなく殺すなど、極めて残酷で非情だ。
北朝鮮は、金正恩が常に「人民のことを考えて、人民と共にいて、人民のために働いている」とすべてのメディアを総動員して、宣伝している。こうした宣伝には、ある程度の成果は得られるが、中間級以上の幹部は、TVや新聞以外からも情報を得られるので、幹部の動揺を防ぐことはできない。国家であろうと企業であろうと、独裁体制になるケースは多いが、無条件に恐怖だけ作れば独裁を維持できるというものではない。恐怖と包容が、ある程度のバランスが取れていなければならない。
こうした視点から見ると、今の北朝鮮で強まっている「恐怖」は、過剰であり、体制の不安定性を非常に高めている。
2、軍将校たちの動揺
李英浩と玄永哲は、北朝鮮の代表的な野戦兵士として多くの軍将校の尊敬を集めてきた人物だ。金正日時代の2重3重の監視網の中で、非常に誠実で私欲無しに、軍の司令官に認められて最高位に上がった人物だ。このような人物を明確な理由なしに、あるいは曖昧な理由で粛清したことは、多くの軍将校たちに衝撃と反発を呼び起こすだろう
李英浩の場合、閑職に追いやられ、再復帰する余地を残しているが、玄永哲は、公開処刑であり再復帰の可能性を一切消した。恐怖心を最大化するための方法だったとはいえ、反発と動揺も大きくなるだろう。また、金正恩時代になって、上級職軍司令官の人事異動が多くなった。ただの「人事異動」ではなく、「星」を着けたり、取ったりしている。こうしたことは多くの部下を指揮する佐官級の立場では、名誉が大きく毀損され屈辱感を感じるだろう。ましてや、星三個、四個などの最高位の場合には、その屈辱感はより大きくなる。
北朝鮮体制では、こうした人事に反発できず、決定をそのまま受け入れるふりをするしかないが、心の中では大きな反発を持つだろう。金正恩は、こうした軍将校の動揺を補うために、対外的緊張を高める対外政策を取っているが、中国の習近平政府は対南軍事挑発に対して、過去とは違い、はるかに厳しい態度で接していることから、これまでのように簡単に軍事的挑発をするのは難しい状態だ。
3、軍部の集団行動が可能であるか
北朝鮮には軍部が存在しない。軍部がない国があるのかという疑問を持つ人が多いが、北朝鮮を通常の国家と同様に考えてはならない。軍部とは士官学校時代や軍生活を介して横縦前後に縛られた人間関係を基礎に形成され、これらの人間関係と指揮系統が結合されて「軍部」と呼べる。
しかし、朝鮮人民軍は、あらゆるレベルでの私的関係は徹底的に禁止されている。高位級将校2?3人で集まっただけでも「何かを企むかもしれない」と懸念するため、すべての形態の私的関係をブロックしている。したがって、どれだけ軍生活が長くても、軍高位層の内部で何らかの関係が築かれることはない。
また、北朝鮮は、徹底的に最高権力者中心の軍指揮体制を備えている。他の国の場合には、最高権力者以外にも国防長官や参謀総長や合同参謀議長中心の指揮体系があるが、北朝鮮には存在しない。すべてが最高権力者中心であり、最高権力者を除けば、指揮体系が正常に稼働しないのだ。このような理由から、北朝鮮では、軍内部の人間関係と指揮系統が結合された「軍部」が存在しない。軍部が存在しないため、軍部の集団行動のようなことも不可能だ。
「軍部はなくても、最高位級将校数人の集団行動は可能ではないか?」という疑問もあるが、これも容易ではない。
北朝鮮は、高度に監視網が発展しており、特に軍高官の司令官の監視は、通常の監視よりもはるかに緻密で徹底されている。軍高官の周囲には、秘密組織から派遣された監視員がいて、24時間一挙手一投足が監視されている。このため、通常の条件下で、朝鮮人民軍が集団行動を企画することは、ほぼ不可能だ。クーデターのような集団行動が起こる可能性は非常に低いが、だからといって不可能というわけではない。
すべての監視網に穴がある。1995年、北朝鮮6軍団のクーデター未遂事件の場合には、ある程度の準備が進むまで監視網に発覚されなかった。最後の段階で発覚し、約400人の軍将校たちが粛清されたが、行動に移るまで発覚しなかったケースもある。
今すぐ、軍内部から何らかの動きが起きる可能性は極めて低いが、今後、北朝鮮の政治経済状況が悪化すればそうした動きが生じる可能性が少しずつ高まることも考えられる。
4、北朝鮮の経済状況と政治
どんな国家でも経済状況は、政治状況を動かすうえにおいて非常に重要な変数だ。北朝鮮の経済状況は、過去10年の間に継続的に改善されてきた。特に2009年10月に中国の温家宝首相が平壌を訪問して、北朝鮮と各種経済協力協定を結んでからは、北朝鮮経済は3?4年の間に飛躍的に発展した。この期間、北朝鮮と中国の貿易額は2.5倍に増えた。貿易量の増加は、北朝鮮経済の各分野に大きな活力になり、経済のすべての分野が改善された。
もちろん2013年の北朝鮮の第3回目の核実験後、中朝関係が冷え込み、その後、様々な分野で少し停滞している。しかし、中国は北朝鮮に対して強力な「経済制裁」をしたわけでもなく、その後の2年間で、北朝鮮が経済的に後退しているとは見られない。
また、北朝鮮の農業改革も比較的、正常に行われており農業生産も飛躍的に増え、過去2年間の穀物生産量が500万トンが超えるなど、前例のない成果を収めた。今年は、深刻な干ばつが生じたため、農業分野で打撃が予想されるが、最近の傾向かすると、さほどの悪影響はないようだ。
金正日時代後半から続く、このような北朝鮮の経済好況は、金正恩時代の政権安定の最も重要な要素でもある。しかし、様々な伏兵も存在する。最大のリスクは、中国の態度が曖昧であることだ。中国は、北朝鮮の第3次核実験を強行した時、北朝鮮に厳重警告をしたが、厳しい経済制裁を加えなかった。一方、北朝鮮を包容する姿勢もとらなかった。つまり、「北朝鮮が今後、誤ったことをすれば、そのままにはしておかない」というメッセージとも読み取れる。
中国共産党は現在、韓国と北朝鮮の間でバランス外交をしているが、ますます韓国に傾くような姿を見せることもある。韓国に完全に傾かなかった場合でも、中国が「北朝鮮の癖を直さなければならない」という立場から強力な経済制裁を加えれば、北朝鮮の経済的困難は深刻になる可能性がある。
1990年代までは、北朝鮮経済の対外依存度は非常に低かった。しかし、今日では、北朝鮮経済の対外依存度、とりわけ中国に対する依存度が非常に高くなっている状態だ。中国が北朝鮮に少しでも制裁を課せば、北朝鮮経済は傾くだろう。
もう一つの伏兵は金正恩そのものだ。北朝鮮経済は、過去15年間で、着実に市場化され自律してきた。北朝鮮の全体の経済も、市場化に支えられて、発展したものである。
市場での競争力が全くなかった大規模な国営企業は、ほとんど自然に開店休業状態に入った。こうした市場原理が、この間ある程度までは正常に作動してきた。しかし、若い金正恩が熱心に国営企業に通いつめて、懸命に働くように指示しているため、市場原理が歪曲されている。
金正恩の指示が下されれば、どんな方法であろうと、これを履行しなければならず、予算配分が歪曲され、極めて非生産的な生産が行われるしかない。
現在の北朝鮮経済は、大きな危機にあるわけではないが、非常に脆弱な構造に支えられており、常に悪化する可能性を孕んでいる。仮に悪化すれば、政治的リスクはより高まるだろう。
5、高官の亡命
北朝鮮高官の亡命情報が相次いでいる。これまでの外交官を除く北朝鮮高官の亡命事例は、黄長前労働党秘書が唯一だった。しかし、最近、朝鮮人民軍屋挑戦労働党の最高位人士が脱北して亡命したり、亡命を準備しているという信頼に値する情報もある。挙げられている人物の中には、張成沢の側近もいるが、他の理由で亡命した人もいるという。
この情報が事実ならば、亡命の理由は2つと見られる。北朝鮮において、目の前に身辺の脅威が迫っていることが一つ目。そうでなくても、他の最高位級幹部の「悲惨な結末」を見て、本人たちがそのような結末を迎えたくないため、亡命を選択するケースが二つ目だ。現在の状況が、張成沢と玄永哲の粛清による一時的な現象なのか、それともずっと続くのかを断言するのは難しい。
亡命予備軍たちの個人的な立場からすると、個人の生命と危険から脱する理由だが、北朝鮮政権と幹部たちの立場では、これらは金正恩政権に対する反抗になる。そうでなくても、まだ権力基盤が強固でない金正恩が、多くの主要幹部を粛清したり、相当数の住民が々が亡命すれば政権基盤はさらに低下するだろう。
これは軍と党の幹部の目にさらに明確に認識されるだろう。このような会議や反感が少しずつ増大したら、北朝鮮の未来の不確実性は大きくなりだろう。
6、北朝鮮体制の展望
金正恩の恐怖政治が持続したとしても、北朝鮮体制がすぐに急激に不安定になるという展望はない。その理由は、次の通りである。
まず、金日成と金正日が統治した67年間に、北朝鮮のすべての国の構造と社会構造、住民意識が金日成一家体制に沿って組織されてきたため、これが一朝一夕に簡単に倒れるということはない。
第二に、北朝鮮は監視体制が高度に発展している地域だ。 CCTVが、数千万個あり、様々な最先端の監視装置が備えられており、他国と比べても少なくとも10倍以上の監視網が発展している。とりわけ軍と党の最高位層は、その一挙手一投足を徹底的に監視されているので、どのような計画を行動に移すことも大変であり、その行動のための予備動作さえ準備するのが難しい。このような事情から、北朝鮮最高位層は、何かを考えることすら難しい状況である。
第三に、全社会が高度に軍事化、組織化されている北朝鮮で一般住民が集団的な力を誇示したり、関連した何らかの行動を起こすことはほとんど不可能である。
第四に、金正恩はバランスを欠いた統治を行っているが、こうした行動がよりエスカレートするという展望をするのにはまだ早い。金正恩は、執権後、一貫して経済を重視する政策を進めてきたことから、恐怖政治だけを貫くとは限らない。
第五に、金正恩時代が始まった当時、金正恩政権の核心ブレーンに張成沢、金雪松(キム・ソルソン)、趙延俊(チョ・ヨンジュン)、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)などが挙げられた。張成沢は、金正恩との関係が曖昧なブレーンだったが、最終的に粛清された。残りの3人と金正恩との関係がどうなのかは、正確に把握されていない。趙延俊は、高齢だが健在で、黄炳瑞は健在という程度を越えて重要な地位にある。彼らが、金正恩の政策決定にどの程度まで影響を与えるているのかは、確認できないが、重要な役割を果たしていると見て間違いない。
金雪松の場合、分析力と判断力に優れ、父、金正日からも高い信頼を受けた女性として知られている。張成沢と金慶喜などは、金正日が金正恩時代の公式後見人として指定していないが、金雪松は公式後見人として指定していたという説もある。これが事実なら、「孝」を重視する北朝鮮で金正恩が金雪松を無視することは難しいだろう。もちろん、一般的に独裁者と腹違いの姉との間の関係がうまく維持されるのは難しい。しかし、金正日なら話が違ってくる。金正日なら金正恩と金雪松の関係が、よく維持されるように3重、4重の保険をかけておいた可能性もある。金正恩時代の4大ブレーンのなかで、地位があいまいな張成沢はいなくなったが、残り3人が健在だとすれば、北朝鮮体制がうまく維持されるように、何らかの方法で絶えず影響力を行使する可能性がある。
しかしながら、上記のような側面にもかかわらず、北朝鮮体制の不安定性と躍動性、過去に比べてはるかに高くなった。
まず、北朝鮮住民と幹部が、金日成と金正日を見る視点が違うように、金正日と金正恩を見る視野も異なっている。住民の金正日に対する忠誠心が金日成の半分だったとすると、金正恩に対する忠誠心は、金正日の半分、あるいはそれ以下である。つまり金日成の4分の1以下ということになる。
第二に、金正恩は、非常に若い年齢で存在が明らかになったことから、若い頃に静かに権力と権威を得ることができた父、金正日に比べると条件自体がはるかに不利である。
第三に、経済を重視する金正恩の立場では、北朝鮮体制の開放性を一定水準以上に維持して、今後さらに拡大しなければならない。しかし、開放とシステムの安定を長期的に並行することができると見ることは幻想に過ぎない。
こうした側面を総合的に考慮してみると、北朝鮮がすぐに急変事態を迎える可能性は非常に高いととは見られない。しかし、今から10年前を基準に、当時5年以内に北朝鮮社会に急変事態が発生する可能性を20%に見た場合、現在は、その可能性を30%程度に高めなければならないと思う。その期間が10年、あるいは15年ほどになれば、急変事態の可能性ははるかに高くなるだろう。
金正恩の統治能力が今後向上するのか、あるいは自身の立場に慣れていくに従い、堕落し、慣性化し、荒くなっていくのかを今の時点で予想することは難しい。だが、韓中関係の変化、北中関係の変化、北朝鮮住民の意識変化、北朝鮮幹部の意識変化などが速いスピードで起きている。このため、金正恩の統治能力が向上するとしても、彼の権力が長期的に維持される可能性よりも、そうならない可能性がより高いと見る。