コリア国際研究所
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深まる北朝鮮の政策的手詰まりと孤立する総連

コリア国際研究所所長 朴斗鎮

 二〇〇一年の北朝鮮情勢を振り返ってみると、好転しかけていた北朝鮮の政治状況がアメリカのブッシュ政権の登場とニューヨークでの同時多発テロの影響によって暗転した一年であったといえる。二〇〇〇年から二〇〇一年へのこの落差の大きい変化の背景を知ることは今後の北朝鮮動向を読み解く上でまことに重要である。

ペリープロセスに助けられた二〇〇〇年

二〇〇〇年の北朝鮮は「核」と「長距離ミサイル」を材料にアメリカから引き出した融和政策の「果実」を思いのまま貪ろうとしていた。
一九九四年十月のジュネーブにおける核問題にからむ「米朝枠組み合意」以降、アメリカのクリントン政権が進めた北朝鮮融和政策は、一九九九年五月のペリー調整官訪朝を経て「ペリープロセス」をもたらし、北朝鮮にとってまことによい政治状況を作り出した。それは二〇〇〇年六月の「南北首脳会談」を実現させ、十月のオルブライト訪朝をもたらし、クリントン訪朝による米朝関係の改善にまでおよぼうとした。こうした状況は金正日を有頂天にさせた。そして「私の決心ひとつで朝米国交正常化は実現する」などと「大言壮語」していたのである。日本においても朴正   熙の独裁に反対したことだけを生甲斐にして金正日の独裁に反対できない親北人士鄭敬謨のような人たちも「わが意を得たり」と有頂天になり「クリントン訪朝は間違いない。」などと大騒ぎした。 
この流れはヨーロッパ各国と北朝鮮との外交関係の樹立につながっただけでなく日本政府をもあわてさせた。バスに乗り遅れては大変と日本政府は韓国の金大中政権のいわれるまま「朝・日国交正常化」交渉を急いだ。こうした政治状況の好転は金正日政権の朝・米関係改善を軸として進めてきた「外柔内剛戦術」に弾みを与えた。

好転の兆しを見せた食糧事情

北朝鮮融和政策に伴う各国の援助の拡大は、危機的状況にあった北朝鮮の食料事情その他にも好影響を及ぼした。
その実例をいくつかあげると、二〇〇〇年九月頃北朝鮮で一ヶ月当り(一人五〇〇g)十日分しかなかった配給が二〇〇一年初期には二倍の二〇日分に増加した。そして工場に出勤する人たちも増え学生たちもほとんど学校に通えるようになったという。そして今北朝鮮はジャガイモを主食とする「ジャガイモ革命」に余念がない。
金正日政権はこの状況の好転を生かし完全破綻した北朝鮮首領独裁制度の物質的基礎となる四つの施策、すなわち『@食料を無償に近い形で供給するAすべての人に職をあたえるB無償治療制を実施するC無料義務教育を実施する』を一気に復活させようとしたが、慢性的エネルギー不足と設備の老朽化した工業、そして自然の生態系を無視し、土地の疲弊が激しい農業ではどだい復活は無理であった。
それに加え韓国をはじめとした世界各国の援助を金正日政権の独裁体制と軍隊の強化に優先的にまわしている状況では北朝鮮住民のすみやかな生活改善は望むべくもない。平壌市内と朝鮮労働党、政府と軍隊関係を除く地方都市ではいまだに食糧の配給が正常化されておらず、薬不足のため病院に行っても治療を受けられない状態が続いているのである。とはいえクリントン政権の融和政策が続けられアメリカとの関係正常化が実現されていれば北朝鮮は危機的状況を脱したかもしれない。

ブッシュ政権の登場による対米関係改善の中断

しかし天は金正日に味方しなかった。二〇〇〇年末に行われたアメリカの大統領選挙は僅差のため開票結果が一ヶ月以上遅れただけでなく、北朝鮮に対し毅然とした政策を主張するブッシュ政権が誕生したのである。ここから金正日政権の政策的手詰まりが始まることとなる。
ブッシュ政権登場で始まった二〇〇一年は北朝鮮にとって守勢に立たされ続けた一年であり外交的には実りのない一年であった。
ブッシュ大統領は「NMD(本土防衛ミサイル)」計画を早々と打ち出す一方、三月七日の「米韓首脳会談」で金大中韓国大統領に金正日に対する不信感と懐疑心をあらわにした。そして北朝鮮との交渉についてはいつでも行うとしたが、これまでの「核」と「ミサイル」問題に「通常兵器」まで加えた包括的交渉を提案した。
ブッシュ政権の北朝鮮政策に慌てた金正日は、アメリカの対北朝鮮政策の正式発表(6月6日)がなされると「南北首脳会談」でのソウル訪問約束をそっちのけにして急遽ロシアを訪問(7月26日から8月18日)した。そしてABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約堅持と韓国からのアメリカ軍早期撤退をうたったモスクワ宣言を発表し、引き続き九月三日には中国の江沢民主席を北朝鮮に迎え朝中の友好を誇示した。
これらの一連の動きはNMDに対して批判的な中国とロシアを味方につけてブッシュ政権を孤立させ、それをカードにして再び朝米交渉で主導権を握ろうとしたものである。

同時多発テロ後の情勢に対応できない北朝鮮と南北関係の停滞

しかしこのもくろみも九月十一日のニューヨークでの同時多発テロによってはかなく消え去った。
北朝鮮が対米交渉のカードに使ってきたのは周知のとおり「核」と「長距離ミサイル」であった。この問題は一応国家の主権にかかわる問題であったため、いかにアメリカといえども軍事力の行使による解決は国際世論が許さなかった。国際的条約があるにせよ、大国は核と長距離ミサイルを持ってもよく小国は持ってはならないとする論理はやはり説得力に欠けるものである。
しかしニューヨークでの同時多発テロによってこの北朝鮮のカードは無力化させられた。「テロ反対」=「アメリカ支持」という構図が生まれる中で中国もロシアもアメリカとの協調関係を強化した。これは北朝鮮が進めてきた「アメリカ孤立化政策」の破綻を意味するものである。さらに北朝鮮にとって問題なのは、アメリカが北朝鮮の「テロ国家」指定を解除していないことである。「核」も「長距離ミサイル」も「テロ」と結びつけば即非難の対象となり国家主権を侵害してもかまわないとする国際世論の高まりの中で、アラブとの連帯強化だけでなく武器ビジネスを外貨獲得の重要な手段としている北朝鮮にとっては一歩間違えば世界を敵に回しかねない状況が生まれたのである。そのこともあって「テロ反対」の声明を九月十二日に遅まきながら出してみたり、十一月十二日には「テロ資金供与防止条約」に署名したりしたが国際世論はさほど反応しなかった。
こうした対米関係の冷え込みはそのまま南北関係に持ち込まれた。もともと「南北首脳会談」を対米関係改善の一環としか捉えていなかった北朝鮮にとっては当然の帰結ではあるが、南北共同宣言にうたわれた金正日の「ソウル訪問」も実質キャンセルとなり「離散家族の再会」は勿論「京義線の復活」だけでなく南北のチャンネルである「南北閣僚会談」までも停止させた。
また朝・日関係も小泉内閣の登場と「金正男」事件、そのあおりを受けた金容淳左遷報道などでほとんど進展をみせなかった。金丸訪朝団以降あれほど熱心に朝・日国交回復に情熱を燃やしてきた野中自民党元幹事長すらも北朝鮮に対する失望感を吐露している。
こうして「対米関係改善」を軸とした外交戦術と「南北首脳会談開催」のサプライズによって危機突破を図ろうとした北朝鮮の「戦略」はもろくも崩れ去った。

依然厳しい北朝鮮の経済

北朝鮮の食糧事情は二〇〇一年に入って世界の援助と穀物生産の改善により好転の兆しを見せているものの韓国農村研究院が十一月に明らかにした数字によっても300万dの食料が依然として不足しているという。一方、深刻なエネルギー問題は依然改善の兆候があらわれていない。北朝鮮最大の水力発電所である水豊発電所は解放後ほとんどメンテナンスが行われておらず、その能力が著しく低下しており、最大の火力発電所である平壌火力発電所は炭鉱施設の老朽化のため石炭生産が激減したあおりでその発電能力は30%未満にまで落ち込んでいるという。いま北朝鮮の電力生産は190万キロワット(必要量1000万キロワット)にしかならずその内訳は発電所の自己消費7万キロワット漏電38万キロワット軍事用80万キロワット民生用65万キロワットであるという。送電線は大部分鉄線の裸線を使用しているため電圧が一定せず病院などでは心電図も使えない状態である。
金正日はアメリカとの国交回復と南北統一ムードの高まりの中で、来年の金日成誕生90周年と自分の還暦を迎えようとしていたがその思惑は完全に外れた。今はただひたすら集団体操「アリラン」の製作にいそしんでいる。自主独立を叫んでも所詮アメリカの出方次第で運命が決められてしまうこの脆さはこれからも続くであろうし、2002年の北朝鮮動向を予測するキーポイントも対米関係にあることは間違いない。

政治情勢の激変に右往左往する総連

在日本朝鮮人総連合会(総連)を取り巻く政治情勢も北朝鮮情勢にそのまま連動した。
二〇〇〇年十二月、朝鮮大学校評議会で責任副議長許宗萬はクリントン訪朝とアメリカとの国交回復が近いとの北朝鮮からの情報をもとに次のように述べた
「偉大なる将軍さまは祖国がもっとも困難であった過去六年間、独創的な先軍政治で難局を先頭に突破なさった。今日の有利な情勢はすべて将軍様がアメリカを対外戦略の軸に据え先米、後南、後日、そしてヨーロッパの関係に対外事業を展開された。米国との関係で転換が起こってこそ南朝鮮関係もそうだし日本との関係も変化する。」(文章がぎこちないのは彼がしゃべった言葉の通りをそのまま翻訳したため)
この許宗萬の発言で分る通り、総連も二〇〇〇年末の時点では二〇〇一年の五月に迎える第十九回大会は盛大に迎える事ができ、「1999年4月20日教示」(徐萬述当時第一副議長が金正日からもらってきた総連再建の教示)どおり事が運ぶだろうと楽観視していた。朝銀破綻問題も朝・日国交回復交渉が進展して公的資金の注入も問題なく進められるだろうと踏んでいた。

朝銀問題でますます孤立する総連

しかし2001年に入りブッシュ政権が登場することによってそのすべての思惑は外れた。十九回大会は盛り上がりのない大会となり、朝銀に対する公的資金の注入は遅々として進まなかった。そして何よりも九月十一日の同時多発テロ以降、日本当局の朝銀の不正融資疑惑に対する厳しい追及が総連中央本部にまで及ぶことによって総連は甚大な政治的打撃をうけた。
総連の血液供給機関としての朝銀と骨格形成を受け持つ学校が弱体化する中今度は神経中枢である総連中央が打撃を受けた意味はまことに大きい。
次々と出てくる総連指導部の「金正日盲従、同胞不在」の姿勢に総連の再建を支えようとしていた同胞までもやるせない虚無感に襲われている。
総連の屋台骨を支える多くの支部の委員長たちも「委員長の仕事が弁解することと冠婚葬祭の手助けに成り果てた」となげいている。警察の捜査に対して「弾圧だ」と声高に叫んでもついていく同胞は殆どいない。糾弾大会に集まったのは朝鮮大学生と朝高生、それに数少なくなった専従活動家だけで、北区にある東京朝鮮高校内の朝鮮文化会館を埋めるのがやっとであった。
総連はいま正念場を迎えている。金正日に盲従する総連指導部とそれに群がり私欲を肥やす一部の商工人、そして真実と正義の追求ができなくなった「洗脳」で犯された人たちによって解放後在日同胞が築き上げた貴重な有形無形の財産が失われようとしている。ここまできても総連内部で改革の火の手が上がらないのはなぜだろう。それは多くの幹部が北に帰国した家族を持っていることが主要因であろうか。二〇〇二年の総連の前途はいよいよ深刻さを増していく。心ある総連系同胞の奮起を期待したい。

 
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