コリア国際研究所
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朝銀系信用組合再生への提言
朝銀は在日同胞の手に戻らなければならない。

2002.8.15
コリア国際研究所所長 朴斗鎮

 在日同胞金融機関として商銀系信用組合とともに在日社会の経済を支えてきた朝銀系信用組合の破綻は、総連系同胞のみならず同胞社会全体に大きな衝撃を与えた。
1952年6月20日、朝鮮戦争のさなか全同胞的に設立された「同和信用組合」(後の朝銀東京信用組合)を皮切りに1978年1月20日の朝銀佐賀信用組合設立に至る拡大の過程は、在日同胞経済の拡大過程でもあった。
しかし、日本経済のバブル崩壊と、旧ソ連崩壊による社会主義圏の崩壊は、市場経済のグローバル化を加速させ、日本の金融自由化(金融ビッグバン)をもたらした。こうした過程で朝銀系信用組合の健全性は急速に失われた。特には1980年代後半以降、金正日総書記の指示のもとに総連の許宗萬体制が確立される中で、朝銀系信用組合は北朝鮮送金の「金庫」に変わり果てた。そして許宗萬が進める「パチンコ事業」と「地上げ、土地転がし」の怪しげな「不動産屋」の資金供給機関となり、同胞不在の体質が加速した。
以下では朝銀系金融機関の破綻原因を分析し、その再生のための提言を行う。

一、朝銀系信用組合の破綻原因

 金正日の1986年「指示」

朝銀系信用組合の歴史は1950年代にさかのぼる。1952年6月20日、在日本朝鮮人連盟の流れを受けて民団系、総連系同胞が東京で「同和信用組合」(後に民団系同胞は脱退)を設立したのを皮切りに、8月21日には「共和信用組合」(兵庫)、10月15日には大同信用組合(神奈川)が設立された。
その後総連が「帰国運動」で人、もの、カネを集め、その勢力を急拡大する中で、総連のネットワークを背景に拡大路線を突っ走った。最盛時には店舗は三八、預金高二兆円にも及び(現在は全七組合推定で6000億円程度)、日本における最大規模の信用組合グループであった。その健全性においても決して日本の信用組合に劣らなかった。
ではこうした信用組合が、どうして破綻していったのであろうか。
朝銀系信用組合が総連傘下に属している以上、総連の強力な統制下にあったのは一貫していた。しかし、そうした中でも1970年代までは同胞金融機関としての健全性を維持していた。それが1986年の「金正日指示」以降様相が一変していく。この指示は、総連が金日成、金正日父子に私物化され、同胞の総連離れが加速する中で、寄付や賛助金の額が激減していったことと密接に関係している。
金父子に対する「上納金」が減少する中で、金正日は許宗萬に対して「上納金」を増やすように命令し、自前の集金システムの構築を指示した。ここから朝銀信用組合は「同胞金融機関」から「金正日の金庫」へと一気に転落していくこととなる。

許宗萬責任副議長のなりふり構わないカネ集め

1986年以降許宗萬が副議長から責任副議長(1992年)になる過程は、総連が「パチンコ出店」と「土地転がし」に没頭する過程でもあった。
許宗萬は、韓光熙前総連財政局副局長に本格的パチンコ店展開を指示する一方、自らはカネになるものならどんなものにも手を出していった。その典型が当時詐欺的集金方法で最も効果があったゴルフ場の開発で、その端的な例が、滋賀の「石部カントリークラブ」の開発であった。
この開発案件は、地元業者が挫折した後、大阪の業者にわたり、そこから「南部グループ」の白在根という人物に持ち込まれたものである。この人物は朝鮮大学校歴史地理学部11期卒業生で、卒業後京都朝鮮高級学校の教員を務めていた人物である。彼は学生時代から少々ヤクザっぽいところがあったが、教員を辞めた後、京都の有名な広域暴力団の企業舎弟となり、地上げ等の荒っぽい仕事に手を出して、さまざまな親分から高利のカネを引っ張っていた。一時は多額の利益を手にして朝銀京都に裏預金していたが、そういううまい話が長続きするわけはなく、借金に借金をかさねるようになっていた。そうした折、石部カントリーの話が持ち上がったのである。
彼は、この話を許宗萬に持ち込んだ。許宗萬も丁度金正日から、「上納金増額」の厳命を受けていたこともあり、大した調査もせずに、開発を決め、資金の提供に踏み切った。朝銀京都に乗り込んだ彼は役員を前にして、事業を「全総連的事業」として取り組むので当面つなぎ資金として朝銀京都が資金提供するように指示した。最初の融資財源として、東京、大阪、愛知、福岡、兵庫の各朝銀から五億づつ振り込んできたため京都も五億円出して1991年1月31日から融資を実行したのが始まりだという。
この130ヘクタールに及ぶ「石部カントリークラブ」予定地は、名門「琵琶湖カントリー」の横に位置していたため、その会員権相場を「琵琶湖カントリー」の相場を大きく下回る2000万円で募集しても1000名集めれば投資額の倍にはなると踏んだのである。そしてそれを全国の朝銀を通じて、総連系の商工人に割り当てれば、ぬれ手に粟の利益が舞い込むと皮算用した。しかしこの事業は実質数年をまたずに頓挫し、朝銀京都の焦げつきは九〇億円以上にものぼった。この焦げつきを朝銀近畿に引き継ぐときに隠していたことから、朝銀近畿の実質二次破綻が引き起こされたといわれている。
関東圏でも許宗萬は「プロスパー開発」なる会社を通じて埼玉県北浦和の地上げを行ったがこれも失敗して、50億円以上の損失を出したといわれている。そのほか「大月西ゴルフ」開発失敗、中野坂上のパチンコ「エクセル」出店失敗など数え上げればきりがない。
こうした穴埋めと、北朝鮮に対する献金を強化するため、架空名義人に貸し付けて裏金で操作する「自己貸し付け」や「無担保無審査融資」などずさんな「融資」で資金を総連中央に還流させていった。このようにして許宗萬が北朝鮮に運んだカネは少なくとも2000億円
以上だといわれている。

総連の隠蔽体質と金融監督機関のずさんな検査

総連は日本を「敵地域」とする北朝鮮の認識をそのまま適用して、徹底的な情報封鎖を行い、基本的に情報の公開を行わない。総連が「情報公開」する時はその裏になんらかの「意図」が秘められている。こうした総連の隠蔽体質をそのまま実行していた朝銀系信組は、日本の金融監督機関にたいして一貫して巧妙な政治的工作を行っていた。この朝銀の組織防衛体制の中で、金融監督機関が十分な検査を実施できなかったことにはある程度の理解はいく。しかし、その分を割り引いても日本の金融監督機関のずさんな検査体制は、朝銀健全化を遅らせ、事態を深刻化させた一因であるといえる。
破綻前の朝銀は各都道府県の管轄であったため、検査といっても、ほとんど帳簿を形式的に見る程度で済まされていた。また朝銀側も総連をバックに、担当官に如才なく対応していたため、ほとんど無審査に近い状態であったといえる。検査に携わったある検査官は「信頼した上で検査を実施するのが出発点。違法行為を見つけるのではなく、健全性を確かめるのが狙い」と犯罪捜査との違いを強調しているが、朝銀サイドのもてなしで手心を加えたことはなかったのだろうか。
例えば元総連財政局副局長であった韓光熙氏が、本人も知らない間に17億円もの借金を背負わせられていた事実などは、小口でも簿外でもなかっただけに、検査のずさんさを指摘せざるを得ない。こうした例は全国で数多く見受けられ、朝銀に名義を使われた人たちはRCC(債権整理回収機構)から借金の返済を迫られたり、賠償訴訟を起こされるなど深刻な状況に陥っている。

金融監督庁の迷走

百歩譲って、都道府県単位では、腐敗の摘発がその能力を越えていたとしても、1997年以降においてはそうはいえない面がある。朝銀大阪が破綻して朝銀近畿という「広域信組」となってからは、日本金融当局の責任下に置かれることになった。ここでしっかりした検査が行われていたら、朝銀の破綻はここまで深刻にならなかったであろう。事実、3159億円の公的資金の注入を受けて朝銀近畿が誕生したとき、近畿圏の同胞は、「これで日本政府が直接関与することになったのだから、朝銀も総連の思い通りにならないだろう。同胞の金融機関に立ち戻るに違いない」と喜んだ。しかし、後でわかってみれば、すべて総連の筋書き通りに事は運ばれていた。それはこの収拾を取りしきったのが総連大阪府本部の副委員長だったことからも明らかである。
当時の金融監督庁の監督官も総連と一般同胞の区別すらつかず、総連中央の言いなりになることが在日同胞の利益につながるといった認識であった(彼らは商工会の幹部が総連の学習組員であり一部は総連中央委員でもあったことに気が付かなかったのだろうか)。
朝銀東京をはじめとした破綻が広がる中で、総連とのなれあい的対応が批判され始めた1999年12月になって、やっと重い腰を上げた金融監督庁は、破綻朝銀に管財人を送り込んだ。しかし総連の「脅し」と「懐柔」によって管財人の検査作業もままならず、このまま公的資金の注入かというその時に、2001年9月11日の「米国での同時多発テロ」が発生したのである。
こうした国際的環境の変化が、昨年11月8日以来の朝銀強制捜査となった。朝銀に司直の手が伸び、初めて総連中央にまで強制捜査が及んだのである。しかし結局、元財政局長の康永官と関東と近畿の役員、朝信協の役員などを検挙したに過ぎず、許宗萬にまで司直の手は至っていない。いやそこまでやろうとしていないといえるだろう。そうした事の一つの証明としては、主要破綻朝銀の中で唯一関東朝銀にだけは捜査の手が伸びていないことをあげることが出来る。関東朝銀の理事長は、許宗萬の複心中の腹心であることは、総連組織では常識となっている。朝銀東京の不透明な不良債権は朝銀関東に移し替え、金融当局と政治決着したとのうわさの根拠はここにある。

二、朝銀は再建され在日同胞の手に戻らなければならない。

現在朝銀系信用組合は七つの組合に統合されている。現在営業しているのが預金高1015億円の朝銀北東と、預金高1366億円の朝銀西、それに預金高1441億円の朝銀中部である。近畿圏の受け皿三信組、「ミレ」、「兵庫ひまわり」、「京滋」は三月に認可を受け、7月1日からの開業を予定していたが、理事長ほか主要役員が総連の「学習組」や元幹部、中央委員だったことから「定款」に抵触するということで「公的資金」の注入が見送られていた。これも日本人理事長の受け入れを決めたことで3500億円の「公的資金投入が決まり、8月中旬の営業を目指している。残る関東圏の「ハナ」については総連中央が理事長の交代をかたくなに拒んでいるため、開業のメドが立っていない。理事長に決まった元朝鮮大学校の経営学部長を、日本政府当局が「学習組員」と認定しているからである。総連サイドは、長引くほど不良債権が増え、公的資金注入額が膨らむので困るのは日本政府だとの見通しを立てて抵抗しているが、日本政府は一切妥協しないという強い態度で臨んでいる。こうした対立の中で同胞企業は融資も受けられずに苦しんでいる。
総連中央は朝銀を自己の「金庫」として取り返そうとせず、原点に立ち返りそれを同胞の手に戻さなければならない。
総連系同胞には朝鮮大学校を卒業した1400名にものぼるネットワークをはじめ、青年商工会のネットワーなど、再生に必要な基盤が残っている。ペイオフを乗り切る緻密な戦略を立て、このネットワークインフラを活用して、日本の金融機関が真似の出来ないリテール活動を行えば、十分に生き残る道はある。そのためにも設立の原点に立ち返り同胞の信頼を勝ち取らなければならない。
また世界が自由競争と市場経済に向かっているという現実を踏まえ、政治団体である総連の「指導」による営業などという古い体質を一日も早く改め、朝鮮大学校などで育った新しい人材を大胆に投入して、人事を刷新していく必要があるだろう。

そして「情報の公開」と「経営の透明性」を徹底していけば、総連中央の介入や「北朝鮮送金」などというおよそ正常な経営とは関係のない要素を排除出来るに違いない。そうすれば、日本の国民の支持も得られ、日本国民と協調した新しいタイプの「信用組合」として生まれ変わることが出来るだろう。在日社会の発展と新しい再編ため総連系同胞は立ち上がるときがきた。

 
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