在日同胞社会が1世の時代に終わりを告げ、2世から3、4世にその座を譲りつつある現在、21世紀の同胞社会とそれを支える民族教育のあり方が問われている。
現在「民族教育」と呼ばれている教育は、在日本朝鮮人連合会(以下朝鮮総連)系128校(2000年現在)、在日本大韓民国民団(以下民団)系4校で行われている。日本の公立学校内での民族学級などもあるが、これは独自のカリュキュラムによるものではないので民族教育とまではいえないであろう。
ところが、民族系学校の圧倒的数を占める朝鮮総連の教育に対して、最近在日同胞から様々な不満が噴出している。その不満は一言でいって、この教育が、金正日独裁政権の利益を代弁する教育であり、同胞社会の要求を反映した自主的民主民族教育ではないというところにある。
こうした不満と少子化、世代交代などによって、全盛時4万人を擁していた朝鮮学校の学生数は、現在1万2000人前後にまで落ち込んでおり、減少傾向は、今もなお続いている。特にそれは2002年9月17日の金正日国防委員長による「日本人拉致謝罪」以降加速化した。教育体系の頂点をなす朝鮮大学校の学生数は、運営維持限界の1000人を割り込み、来年度入学希望者数は200人を切るのではないかといわれている。また各地方では廃校となる学校が増え、統廃合を余儀なくされている。
これまで10万人を越える卒業生を輩出し、独自のネットワークを構築してきたこの教育体系が、なぜここまで危機的状況に陥ったのであろうか。それは一言で言って、この教育が「公民教育化」し、汎民族的教育とならなかったところにある。
朝総連教育の本質は「金父子崇拝の『公民教育』」
これまで在日社会では自己のアイデンティティー確立の重要な場として「民族教育」を論じてきた。しかし「民族教育」といっても、本国権力と結びついた「公民教育」とそうでない自主教育がある。形式は似ていてもその内容と目指す方向、着地点は全く異なる。にも関らずこれまで同じ概念で論じてきたため、議論がかみ合わない場合が多かった。
朝鮮総連でも自らの教育を「民族教育」と呼んでいる。しかしそれは、正確には朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)が海外公民に対して行う「公民教育」である。すなわち共和国の教育方針に基づき「朝鮮民族」という形式に「ウリ式社会主義」という内容を日本の状況に合わせ手直しして実施する「公民教育」なのだ。もちろん現在のところ民族から離れた国家は存在しないため、この教育を「民族教育」と呼ぶことはできるが、厳密には在外同胞が行う自主的民族教育と区別する必要があろう。
朝鮮総連が実施する「公民教育」を彼らは唯一の「真の民族教育」と主張している。その根拠は、共和国が在日同胞の唯一正当な「真の祖国」だからだと言う。
しかし朝鮮総連では、この教育を「共和国公民教育」とはいわず、汎民族的「民族教育」のごとく宣伝している。これは朝鮮総連の主張とは裏腹に、多くの在日同胞が共和国を支持していない現実と深く関わっている。また南北の分断と対立が、民族教育をも南北統一における主導権獲得の手段に作り上げたことと関係している。この主導権獲得運動を彼らは「民族統一戦線路線」と呼んでいるが、その路線実現のために、共和国の「公民教育」という本音をあからさまにせず、「民族教育」という建前で宣伝している。
この「民族教育」宣伝によって、多くの同胞がこの教育を汎民族的「民族教育」と誤解したきらいがある。在日同胞は、朝鮮総連の教育の中に自民族の言語や日本学校では学べない民族の歴史教育、民族文化の素養を育む活動などが含まれているため、同胞が主体となっている自主的教育だと感じているかもしれない。自分たちの自主的教育を共和国が後押ししていると。しかし現実には教科書を始め教育の方針は共和国が決めているのであって在日同胞ではない。
最近、教科書が同胞の実情に合わせて改変されたとしているが、思想教育の科目である「社会」や「革命歴史」は本質的にはなにも変わっていない。ただあまりにも虚偽に満ちた記述を修正しただけだ。また変化の象徴として初中級学校で金父子の肖像画を下ろしたとしているが、これもこれまであまりにも露骨に共和国の意図を押し付けて同胞の反発を買ったため、その「色」を少し薄めようというものである。その証拠に肖像画のかわりに「油絵」などを飾るように指示している。
職位・学位も北朝鮮が直接授与
教科書内容の「柔軟化」は初、中級学校に限られており、高級学校以上の「社会」、「革命歴史」教科書は以前のものとほとんど同じである。彼らの最高学府である朝鮮大学校を見ればこの本質は一層明確だ。そこでは今も金日成・金正日崇拝が中心課題となっており教授などの職位と博士などの学位も共和国から授与されている。大学校当局も共和国の海外国立大学だと言ってはばからない。
2000年12月に朝鮮大学校評議会を指導した朝鮮総連の許宗萬責任副議長は次のように述べている。 「敬愛する将軍様は、一九九四年五月六日のお言葉で『朝鮮大学校では学生を政治思想的にしっかりと準備させることに中心を置き、大学期間にチュチェ(主体)の世界観、首領観(注―金日成・金正日を崇拝すること)、民族観を人生観化した革命家、確固とした青年の中核をしっかりと育てなければならない』とおっしゃった。朝鮮大学は本質において在日朝鮮人運動の代、愛国の代を継ぐチュチェ型の青年中核を育てる源泉地である」
この許宗萬責任副議長の指導は徹底して金正日国防委員長に忠実な人材を作り出せということだ。それが本国の指導だと言っている。朝鮮大学校は朝鮮総連が運営する民族学校の頂点に立つ学校であり、朝鮮総連教育の終着駅である。そこでの教育目的が、金日成・金正日崇拝に凝り固まった革命家の養成にあるというのだから、この教育は国体護持の「公民教育」以外の何物でもない。これが朝鮮総連のいう「民族教育」の本質である。
朝総連結成後は自主性失う
確かに在日同胞の歴史を紐解いてみると、自主的「民族教育」を実施した時期はあった。それは解放直後、日本全国に設置された「国語講習所」やそれの発展としての「民族学校」で行われた。この時の学校数は600数十に及び、学生数は6万余人にも達した。この教育は公民教育ではなかった。これは在日同胞自らが民族自主精神を同胞の中に広め、新しい民主主義民族国家建設の担い手を育てることを目的とした自主的民族教育である。
この教育を推進したのは「在日本朝鮮人連盟(朝連)」であったが、この在日組織は、いかなる公権力とも結びついていなかった。しかしこの組織は、米国の日本占領統治機関であったGHQによって弾圧を受け1949年に解散させられた。その後この組織が朝鮮総連に継承されることによって、その教育も「公民教育化」することとなる。
1955年5月に結成された朝鮮総連は、その綱領1条で「在日朝鮮人を共和国の周りに団結させる」と謳い、総連傘下の同胞を共和国の海外公民であると宣言した。この組織は、日本における朝鮮労働党傘下の大衆団体でもあり共和国の行政機関でもあるという二面性を持つ組織であった。 その後朝鮮総連は、内部に「学習組」を加えることによって、金日成・金正日主導の統一を側面から実行する「朝鮮労働党日本支部」という本質的内容も備えた。この本質が朝鮮総連の「民族教育」にそのまま持ち込まれたのは言うまでもない。
とはいえ1959年の「帰国事業」実現以前においては、朝鮮総連組織が同胞主導の要素を残していたため、「公民教育」の色彩はあまり濃くなかった。しかし「帰国船」往来以降、朝鮮労働党の朝鮮総連に対する支配が強まる中で、それは共和国の「公民教育」として体系化される。1963年の「共和国国籍法」はそれを法的にも根拠付けた。そしてこの教育は、1967年の朝鮮総連第8回大会以降、金日成・金正日崇拝教育へと傾斜し、在日同胞を悩ませることとなる。
日本定着志向で朝鮮学校離れ
在日同胞が帰国志向から日本定住志向へと変化していた1970年代、朝鮮総連は同胞の思いとは逆に共和国公民教育を強化させていった。こうした中で、多くの在日同胞は子女の教育を日本学校にシフトすることとなる。
この動きは朝鮮総連幹部の中にも広がった。これに危機感を募らせた朝鮮総連中央は「幹部の子女は朝鮮高校卒業まで日本学校に送るな」とする統制を敷き、それを破った幹部に対しては、左遷、首切りなどの圧力を加えた。また、日本の中学、高校に進学しようとする一般同胞子女には、進学に必要な書類を出そうとしなかった。
在日同胞が求めていた民族教育は、言語、歴史、文化など、民族的アイデンティティーの確立に必要な教育と、日本に適応する教育であったにも関らず、朝鮮総連の教育は、金日成・金正日に忠実な人間を作り出し、自己の勢力拡大に利用しようとした教育であったため、その対立は拡大の一路をたどった。
現状 「教育内容で同胞が中央に反発」
「民族教育」をめぐる総連中央と同胞の対立は1967年の金日成絶対化教育以降くすぶりつづけていたが、金正日国防委員長の登場によって決定的となった。彼の登場以後、金日成主義教育が中心となり、民族的素養や特に異国に住むマイノリティーとして身につけなければならない人権と民主主義の普遍的価値観に基づく人間教育がおろそかにされた。
教科書は金日成一色となり、歴史的偉人や世界の文学は一掃された。それが極限に達した1967年から1970年代前半はもちろん、金正日国防委員長が金日成主義を打ち出した1970年代以降も露骨に続いた。その結果、教育に対する同胞の我慢は限界に達することとなる。
今から数年前、一部の専従活動家と教育関係幹部は、有力商工人と共に朝鮮総連の民族教育を日本の実情に合わせて改革しようとする動きを表面化させ、朝鮮総連中央に具体的改善案を提示した。この動きは、体制内改革という制約性を含んでいたが総連中央に大きなショックを与えた。当時朝鮮総連中央は、その提案に応じるかのごとく装い、改革グループを1人1人個別に工作し、結局うやむやにしたのである。
しかし、この動きは2002年の「韓日共催ワールドカップサッカー」観戦や韓国との往来、特には同年9月17日の朝日首脳会談での「拉致謝罪」以降抑えることの出来ないうねりとして再び現れることとなる。
教育関係者「真実でないもの教えられない」
一部の総連幹部と教育関係者は「民族教育フォーラム」を組織し、在日同胞社会での民族教育のあり方を再度模索した。また一般同胞も総連組織に対して「同胞の学校なのか総連中央の学校なのか」と詰めより「同胞に付くのか総連中央につくのか」と校長先生や県本部委員長を問いただした。
子供3人を北大阪朝鮮初中級学校で学ばせる(2002年10月現在)大阪の李鐘泰さんは、自らの意見書を報告書としてまとめ同胞に配布した。そこで彼はこう主張している。
「ウリハッキョ(我々の学校)、私はこの呼び名がとても好きだ。・・・まさに子供をはじめハラボジ、ハルモニ、オモニ、アボジ、1世、2世、3世の老若男女を問わずみんなが愛情と親しみを込めてこう呼ぶ。(中略)このウリハッキョの存続の危機を優う一同胞として今、声をあげずにいられない」
朝鮮大学校を卒業し西東京朝鮮第1初中級学校に2人の子供を送る朴ヒャングさんも「北朝鮮は、我々が考えてきた姿とは異なるのだということがわかった。そこは労働者の楽園ではない。私たちは真実でないものを子供に教えることはできない」(ワシントンポスト10月10日付)と述べ、現在の総連の教育を厳しく批判している。
こうした同胞の自主的民族教育を求める圧力に抗し切れなくなった朝鮮総連は「同胞の学校か金正日の学校か」という問いに対してついに本音を吐いた。「我々の学校は金正日将軍様の学校」だと。
展望 「路線転換が最大のカギ」
朝鮮総連教育は、その「共和国公民教育」路線を放棄し、大多数の同胞が求める自主的民族教育に転換しない限り展望は明るくない。しかしこの転換を実現するには、朝鮮総連現執行部の退陣が不可欠だ。またそれを促進するための朝鮮総連系同胞と学父母の強い決意と行動が求められる。だがこれは非常に困難な要素を含んでいる。
なぜなら、現在、朝鮮総連傘下に残っている同胞学父母はほとんど、共和国や朝鮮総連の機関と何らかの利害をもつ人たちだけとなっている。朝鮮学校もいまや離れる人はほとんど離れ、一般同胞の子弟よりも組織関係者の子弟のほうが多いという状況なのだ。
このように生活を朝鮮総連に依存し、共和国(北朝鮮)に人質を取られている人たち中心の構成状況では、なかなか根本的改革には立ち上がれないであろう。またこの教育を自主的運営に転換するにしても、すでに学校運営が財政的に破綻しているだけに、広範な同胞の支援がなければならないのだが、今の教育内容ではそれも難しいと思われる。
この教育体系を除けば、日本で民族の言葉や歴史や文化を学ぶ場が非常に限られていることから、これまで共和国の「公民教育」に不満をもちながらも何とか次善策として折り合いをつけてきた同胞も限界に達しつつある。
最近、朝鮮総連中央が肝入りで発足させたセセデ(新しい世代)問題協議会(会長李相大)のアンケート(民族学校に通う学生生徒に対して無記名で行った)結果を見ても、朝鮮総連の「公民教育」に明るい前途は見えてこない。今後どのように民族教育を取り戻していくのか。自主的民族教育を望む在日同胞の苦悩は深まるばかりだ。