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総連の再生は綱領一条の改正から

2004.3
コリア国際研究所所長 朴斗鎮

総連の再生は綱領一条の改正から

2002年九月の「金正日国防委員長の「日本人拉致謝罪」は、朝銀破綻などでガタがきていた在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を一気に破滅へと押しやっている。この謝罪以降、在日同胞の朝鮮総連離れにはすさまじいものがある。一部新聞報道によれば在日同胞が密集して住む東京の足立区と大阪の生野区で、2002年9月からの数ヶ月で国籍変更がそれぞれ3・6、3・5倍に達したという。組織の屋台骨である朝鮮学校の学生数も激減しており、各地の学校は存亡の危機に陥っている。そればかりか、朝銀破綻は各県本部の財政難を加速させ、活動家は生活費調達に走り回っている。こうしたすべての兆候は、朝鮮総連の破局が刻一刻と近づいていることを示すものである。
心ある良心的幹部たちはこの危機的状況から朝鮮総連を救うため、様々な提言を行ったが、現指導部はむしろ彼らを弾圧している。そして「隊列が1000人になろうとも金正日将軍に忠誠を尽くさねばならない」と主張し、北朝鮮だけを真の祖国などとする綱領をいまだに掲げ、世界から非難されている金正日独裁政権に盲従する姿勢を取り続けている。
朝鮮総連が、在日同胞と共に歩もうとするならば、こうした姿勢を是正し、一刻も早く在日同胞が求める自主的民族組織への改編を急がなければならない。そのためには、時代遅れになっただけでなく、朝鮮総連を金正日政権にがんじがらめに従属させている綱領第一条を在日同胞の自主的要求と真の利益に合致するよう改正しなければならない。

総連綱領一条の根本的欠陥

 朝鮮総連組織の綱領第一条は、その他の七条項を規定する「核心」条項であるが、1995年の第17回大会で改定された現在の第一条には、総連の運動を次のように規定している。
「われわれは、すべての在日同胞を朝鮮民族の真の祖国である朝鮮民主主義人民共和国の周りに総結集させ、愛国愛族の旗の下にチュチェ偉業の継承、完成のために献身する」。
この現一条の反動的内容については、次回で詳しく見るとして、まず朝鮮総連結成時に作成された綱領一条の根本的欠陥から見てみることにする。
朝鮮総連結成時、綱領第一条は次のように規定されていた。
「われわれはすべての在日朝鮮同胞を朝鮮民主主義人民共和国政府のまわりに総結集し、祖国南北同胞との連係と団結を緊密強固にする」。
この綱領一条を現在の改定綱領と比較すると、追加されている文言は、「朝鮮民族の真の祖国」、「愛国愛族の旗」、「チュチェ偉業の継承、完成のために献身する」であり、削除されている文言は、「祖国南北同胞との連係と団結を緊密強固にする」という内容だ。すなわち結成時においては、共和国を支持する姿勢は見せていたものの真の祖国などという極端な表現はなく、むしろ南北住民との連携と団結を緊密に強化することさえうたっていた。とはいえ朝鮮総連結成当時のこの綱領が、北朝鮮権力の周りに在日同胞を結集させるとしたことと、その指導思想を階級闘争と階級独裁を是認するスターリン式マルクス・レーニン主義においていたことは確かである。そのため差別と貧困を自由と平等と民主主義に基づき自主的に解決しようとする在日同胞の根本利益とは本質的に合致させることが出来なかった。ではなぜこうした綱領が在日朝鮮人運動の綱領となりえたのだろうか。

朝鮮総連結成の背景

 解放後(1945年8月15日)在日同胞は、36年もの間日本に植民地支配を許した自分たちの非力を深く反省し、何よりもまず学ぶことから始めなければならないという強い信念のもとに日本各地に民族学校を興し、在日朝鮮人運動の火ぶたを切った。そして在日本朝鮮人連盟(朝連)を組織した。
しかし、在日朝鮮人運動の指導者たちは、間もなくイデオロギー対立を起こし、共産主義思想に共鳴する人たちと反共自由主義思想に共鳴する人たちとに分かれ、おのおのの思想的信条に基づき朝連と在日本朝鮮(後、大韓民国)居留民団(民団)に分裂することになった。
在日の朝鮮人共産主義者を中核として組織された朝連は、その後朝鮮戦争直前の1949年9月8日、「団体等規政令」によってアメリカ占領軍に解散させられた。しかし北朝鮮を支持する人々は、朝鮮戦争のさなか1951年1月9日に、北朝鮮防衛と在日朝鮮人の権利擁護を主内容とした綱領を掲げ、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)を組織した。
この組織は日本共産党の民族対策部に所属していた在日朝鮮人共産主義者が主導権を握っていたのだが、朝鮮戦争休戦後、金日成によってその主導権は韓徳銖派に移されることとなる(当時の国際共産主義運動では一国一党の原則があり、一つの国には一つの共産党しか認められていなかった。したがって朝鮮共産党がすでに1928年に解散させられていた状況のもとでは、在日朝鮮人共産主義者たちは日本共産党に所属せざるを得なかった。同じ理由で金日成も中国共産党に所属していた)。
金日成はスターリンの死後、ソ連をはじめとする各国共産党の中で個人崇拝批判が高まるにつれ、その矛先がいずれ自分に向けられるだろうと予測し、それに同調する国内勢力を牽制する方策として「主体(チュチェ)論」を掲げるとともにソ連に従属した階級的同盟重視の路線から自国中心の民族的路線に軸足を移していった。こうした金日成の方向転換は、これまで日本共産党に属していた在日共産主義者を自己の支配下におさめる動きとしても表れた。在日共産主義者を掌握するにあたり、国内の経験から見て日本共産党に親近感を持つ人たちはいずれ個人崇拝批判に加担するとの判断から、かれは自分に忠誠を誓う幹部中心の在日朝鮮人運動を画策した。とくに 戦後復興の人的、物的資源の確保のためにも在日朝鮮人運動を掌中に納めることが緊要であったため金日成の動きは積極的であった。
当時の在日朝鮮人運動の状況は、金日成のこの要求を実現するうえで好都合な状況が生まれていた。それは在日朝鮮人運動を指導していた日本共産党が極左冒険主義の偏向を犯すとともに、日本国籍から除外されていた在日朝鮮人を一時的にせよ日本の少数民族と規定していたことである。この偏向は在日共産主義者の中だけでなく在日同胞の中にも大きな不満をもたらしていた。こうした状況のもとで金日成は、在日朝鮮人運動の危機を救うという大義名分のもとに中国共産党などと国際的根回しを行い、在日朝鮮人共産主義者を日本共産党から分離させた。そして 日本に派遣した工作員を通じて反民族対策部系の人物であった韓徳銖を見つけ出し、1955年5月25日に彼を中心に総連を結成させたのである。
この路線転換に対する総連の公式見解は、在日同胞を少数民族視し、日本革命に従属させようとした事大主義的、民族虚無的運動を、金日成指導の主体的愛国愛族運動に転換し、在日朝鮮人運動を危機から救ったものというものである。しかしこの路線転換は、在日朝鮮人の自主的運動の根本的利益とは合致していなかった。

根本的問題解決にならなかった路線転換

朝鮮総連の路線転換にあたって問題となった点は、大きく分けて二つあった。その一つは、この路線転換が「状況変化による路線転換」なのか「根本的路線転換」なのかとい問題であり、もう一つは「汎民族的組織」なのか「共和国とだけ結びつく組織」なのかという問題であった。一つ目の問題は、その後、韓徳銖派と民族対策派との熾烈な権力闘争へとつながるが、この問題はここでは触れないことにする。
他方「汎民族的組織」とするか否かの問題で韓徳銖派は北朝鮮権力とだけ結びつく組織とする路線へと転換させた。その結果この組織が全同胞的なものとならず、北朝鮮権力に従属する組織となる。これが今日の弱体化をもたらす第一の問題点である。
では当時なぜ在日朝鮮人を北朝鮮権力とだけ結びつける運動が可能だったのだろうか。それは当時の社会状況と在日朝鮮人の特異さと関係していた。
総連結成当時、多くの同胞は、社会主義に対する憧憬と北朝鮮に対する幻想があった。植民地化されていた祖国の発展は社会主義への道を進むことによって成し遂げられると思っていた。また朝鮮総連の指導部もマルクス・レーニン主義思想を信奉していた。
在日朝鮮人の民族主義的運動が共産主義者によって指導されるという状況は一見不自然なように思われるが、これは在日同胞の中で日本の植民地支配に反対して果敢に戦った人たちの多くが共産主義者もしくはその支持者だったことと関係している。それは朝鮮の民族主義を支える階層がヨーロッパのような中産階層ではなく、植民地のもとで人口の大多数を占めた貧農や、植民地鉱業をはじめとする劣悪な条件下で働く少数の労働者と都市貧民であったため、民族主義が共産主義と結びつきやすかったからだと思われる。特に在日同胞の多くは強制連行などで日本に渡ってきた人々だったためその状況は本国以上だったにちがいない。
こうしたことから朝鮮総連を支持した在日同胞は、社会主義を民主主義発展の体制と考え、貧困と差別を克服する手段としてマルクス・レーニン主義を支持し、北朝鮮を支持していたのである。従って北朝鮮擁護を打ち出し、新たに本国への従属を規定した総連綱領一条をさしたる抵抗もなく受け入れた。勿論在日同胞の大部分が、本国志向、帰国志向の一世であったことも本国従属への路線転換を受け入れやすくした。こうして総連主導の在日朝鮮人運動は、本国権力に従属する海外公民運動として再出発することとなった。この本国従属路線が在日同胞の自主性を抑圧し自由と民主主義を志向する在日同胞の根本的利害を犯すこととなる。 
朝鮮総連が「汎民族的組織」として発展できなかったもう一つの問題点は、路線を転換したものの指導思想であるマルクス・レーニン主義思想はそのまま継承することとなり、運動の階級闘争的側面が温存されたことである。
路線転換によって日本権力奪取を狙う日本共産党の階級闘争路線は、金日成の民族的外皮をまとった朝鮮半島統一を狙う階級闘争路線に変わることとなった。この階級闘争路線が、本国従属路線と共に総連の「汎民族的団体」への発展を絶えず阻害していった。中でも総連の民主主義的民族団体への発展を阻害したのは、スターリン式「個人崇拝的階級独裁理論」であった。この独裁理論がはびこることによって、後日、金日成・金正日の「首領独裁論」がいとも簡単に総連を支配することとなる。
在日同胞社会にスターリン式階級闘争と階級独裁をもたらした源流はマルクス主義であるが、この理論の持つ根本的欠陥については当時厳しく取り上げられずむしろそれを指摘する人たちを「修正主義者」というレッテルをはり敵対勢力として排斥した。
では総連が指導思想としたマルクス主義の根本的欠陥はどこにあったのか。
マルクスは資本主義下における社会改革を革命的方法で行わなければならないとして、その主体勢力を労働者階級と定義した。マルクスはこのことを証明するため「労働価値説」に基づく「剰余価値説」を主張し、生産労働者の労働からのみ富が創造されると決めつけた。そしてこれを労働者階級の先進性の証としたのである。ここには商業労働は価値を生み出さないと言う結論が付随した(このことは労働が価値を生み出すというマルクス自身の結論とも矛盾するものである)。 
またマルクスは、差別と貧困の根源は資本主義のシステムにあるとして労働者階級の「階級闘争」と「階級独裁」を通じてのみ差別と貧困のない社会、無階級社会が実現されるとしたのであるが、この理論も階級社会をなくすために新たな階級社会を作り出すという論理矛盾を内包していた。
こうしたマルクス主義の欠陥は、後日マルクスが考えもしなかったスターリン式個人崇拝独裁をもたらす結果となり、民主主義発展に多くの弊害をもたらした。そしてソ連をはじめとする東欧社会主義の崩壊原因ともなった。また北朝鮮で住民を3階層51等級に分ける封建制身分制度よりもいっそう強固な身分制度を作り出したのもこの階級独裁理論の産物である。
朝鮮総連が継承したマルクス主義は、このように欠陥の多い理論であったし、何よりも在日同胞の中に階級闘争路線を持ち込み同胞の大同団結を阻害した。今日の歴史的視点から見れば、人類の民主主義的発展を永続的に促進するものではなかったということだ。
路線転換によってもたらされた本国従属論と階級闘争論は「首領独裁制」と言う人類史上類のない悪質な独裁制を在日同胞社会に持ち込むこととなり、いまなお在日同胞の根本的利害を損なっている。そしてそれは金日成・金正日にたいする無条件的服従による自主性の否定と、人権と民主主義の否定をもたらしているのである。路線はもう一度否定されなければならない。朝鮮総連綱領一条は真に同胞の利益を反映する自主的綱領に改定されなければならないのである。

総連の再生は綱領一条の改正から
朝鮮総連綱領の反動的本質

非現実的な総連の「真の祖国論」

朝鮮総連の綱領一条は前回で見たように北朝鮮権力に従属させる内容であったことと、マルクス主義の階級闘争論と階級独裁論を指導理念として出発したため、民族的運動が階級的色彩を帯びることとなり人権と民主主義に裏打ちされた汎民族運動として発展しなかった。その結果、冷戦構造と南北対立をそのまま同胞社会に持ち込むこととなり、残念ながら在日同胞を大同団結させる運動とはならなかった。
それでも、朝鮮総連結成初期には北朝鮮権力が本質的に階級独裁権力であったとはいえ今日のような個人独裁ではなかったし、北朝鮮では植民地的残滓を清算する土地改革などの反封建的政策が実施されていたため、在日同胞の志向とも一部合致する部分も見られた。 
北朝鮮からの帰国船が往来する前は、人事権もまだ朝鮮総連指導部の手にあり、正否はともかく方針決定も自主的側面を持っていた。こうしたことから、日本で差別と貧困の閉塞感にあえいでいた多くの同胞は、朝鮮総連が進める帰国運動に夢と希望を託すこととなりこの過程で朝鮮学校の学生数も急増した(最盛時4万人にも及んだ)。そして朝鮮総連を完全支配する「人質」93,000余名が北朝鮮に送り込まれたのである。
この帰国運動の過程で、朝鮮総連組織は拡大し、同胞から集めた莫大な寄付金と資産は、総連の財政基盤を強化させた。組織の専従活動家は急拡大(総連の公式発表によると活動家数は1965年には結成時の16倍に膨れ上がった)し、朝鮮総連中央の年間予算だけでも100億円に上ったといわれる。
しかしその後北朝鮮の首領独裁制度が朝鮮総連に導入され、総連綱領はこの独裁に徹底的に従属する内容に改悪された。それが1995年の第17回大会で採択された現在の新綱領である。

新綱領の反動的本質

新綱領一条は次のように規定している
「われわれは、すべての在日同胞を朝鮮民族の真の祖国である朝鮮民主主義人民共和国の周りに総結集させ、愛国愛族の旗の下にチュチェ偉業の継承、完成のために献身する」
朝鮮総連は、愛国愛族運動を主張するに当たり、愛国の対象となる国を「真の祖国である朝鮮民主主義人民共和国」と規定している。そして真の祖国の見分け方については「分断国家の片方が帝国主義の指図どおり動く政権でファショ暴力支配が行われており、富が少数特権階級に握られている地域は真の祖国ではなく、自主的政権があり、人民の主人としての権利と自由が保障され、社会のあらゆる富が人民のために使用されている地域が真の祖国である」(要旨)と説明している。(『主体的海外僑胞運動の思想と実践』,韓徳銖著,p・54〜55参照)
この説明を現時点でわれわれが素直に理解すれば、金正日が一人独裁を実施し、国家所有という美名のもとに富の独り占めを行い、先軍思想という軍国主義思想を掲げる全体主義国家「朝鮮民主主義人民共和国」こそ真の祖国ではないように思えるが、総連の綱領では依然として北朝鮮が真の祖国と規定されている。そして朝鮮総連指導部は韓国を正式の国家と認めず今もなお「南朝鮮」などと呼称している。この論法でいけば当然、偽の祖国は分断国家の片方である韓国と言うことになる。こうした思考がいかに時代遅れなものとなっているかは、朝鮮総連中央が肝いりで発足させた「新世代問題協議会」が実施したアンケート結果を見ても明らかだ。ほとんどの若い世代は南も北も在日同胞の祖国と認識している。」 
韓国も北朝鮮もすでに国際社会で認められており、お互いが世界の国々と国交を結んでいるにもかかわらず、一方の政権だけを真の祖国などと主張するということは総連が率先して分断固定化の運動を行っているというそしりをまぬかれない。ともあれ自分の祖国を真の祖国と偽の祖国に分け、真の祖国にだけ愛国をささげるなどという幼稚な論理で在日同胞を権力者の言いなりにさせようなどとする考えは、一日も早く捨て去らなければならない。
本国従属を強要する 総連の「愛国愛族運動」

 総連は「真の祖国」を規定したあと、在日同胞は日本の少数民族ではなく本国民族の一員であると主張し、本国に貢献することが民族に尽くすことだとして次のように述べている。
「人間あっての政権であり、政権はあくまでも人間に服さなければならない。したがって祖国に尽くすことは結局、祖国に住む人びとに尽くすことである。祖国に代々住む人びと、それがすなわち自民族の成員であるので、それに尽くすことが本質上民族に尽くすことと同義である。」(上掲書p・53)
この意味するところは、本国権力は本国住民が主人となっているから、本国権力に尽くすことが本国住民に尽くすことであり民族に尽くすこととなるということである。
このような主張は、文章の上だけで成り立つ三段論法による詭弁以外の何物でもない。どうして本国権力が本国住民であり本国権力に尽くすことが民族に尽くすことになるのか。
総連は、グローバル化が進み国境の垣根がますます低くなっている現代に、このような論理でもって愛国主義などという19世紀のイデオロギーを在日同胞に押しつけようとしている。
勿論自分の祖国を愛する感情というのはあってしかるべきだし、それが個人と集団を結びつける重要な絆であることも確かである。しかし一九世紀のヨーロッパにおいて、ドイツやイタリアが民族国家を形成して、国民国家へと成長する過程で国家統合の手段として使った愛国主義というイデオロギーを、二一世紀の今日に声高に叫ぶということが異国に住む在日同胞の利益にどれほど合致するのであろうか。
愛国主義が人権思想や民主主義思想といった人類共通のヒューマンな思想と結びつくのではなく、民族主義という情念的なイデオロギーと結びつけばナショナリズムがいやが上にも高められる。
民族主義は民族の特性を主張し、民族文化や自国の歴史の輝かしさ、そしてその歴史のなかでの外的排除の伝統を強調するとともに、民族の独立と発展を志向し、民族の統一を実現しようとするイデオロギーであるから、異国に住み分断された祖国を持つわれわれにとっては非常に触発されやすく、受け入れやすいイデオロギーである。それだからこそ人類共通の価値観に裏打ちされないと、ともすれば排他的で自己中心的な思想となりやすい。こうした思想がいまもなお世界各地で紛争の原因となっている事実をわれわれは目のあたりにしている。祖国と我々の関係は親と子の関係のようにもっと自然な関係となる必要がある。
こうした総連の愛国愛族運動の典型が1959年12月から本格化した帰国運動であった。この帰国事業が在日同胞を新しい離散家族に作り上げただけでなく、在日同胞の生活に計り知れない苦痛と悲しみを与え、帰国者家族の財政を圧迫し、言論の自由までも奪っていったのである。

帰国運動に見る「愛国愛族運動」の本質

 総連結成当初、総連の愛国愛族運動路線は、在日同胞一世が同胞社会の過半数を占めていた状況のもとで、帰国志向と社会主義に対する共感が強かったこともあって多くの人々の支持を得た。そして公民民族教育をはじめとする権利の擁護にも力を入れたため沈滞気味であった在日同胞運動は活性化した。このエネルギーは帰国運動によって一挙に爆発した。
当時の日本の状況は、サンフランシスコ講和条約によって独立したとは言え、朝鮮戦争特需でやっと一息ついたところだったため、日本には今日のような政治経済的余裕はなかった。
在日同胞も、鉄クズ回収をしていた人など一部の人たちが朝鮮戦争特需でわずかに潤っていただけで、ほとんどの人たちは民族的差別のため就職もままならず、年金をはじめ一切の社会保障から締め出されていた。貧困と民族的差別のなかで自己の才能を思う存分発揮するところはほとんどなかったといえる。
こうした閉塞感のなかで、社会主義祖国は衣食住になんの心配もなく、地上の楽園であり、才能を思い存分発揮できるところだという宣伝の大合唱(朝日新聞をはじめとした日本のマスコミも含め)を聞かされたとき興奮しない人はほとんどいなかった。そして93000余名もの人びとが夢と希望に胸を膨らませながら北朝鮮に帰っていった。しかし、これがいかに欺瞞に満ちたものであったかは、帰国者の伝える情報などで知れ渡り、わずか数年も経たない間に帰国運動は終焉を迎えた。だが10万人近い在日同胞の人質を北朝鮮に残すこととなった。
帰国者とその家族にもたらされた人権侵害と悲劇については、最近になって数多く報道されている。こうした中でついに総連を訴える訴訟が提起されることになった。  
1960年代初「帰国事業」で北朝鮮に渡り、その後、韓国に脱出した金幸一さん(61)が『北朝鮮で人権を侵害され、肉体的、精神的抑圧、苦痛、損害を受けた』として事業を推進した朝鮮総連を相手取り、約550万円の損害賠償を求めている訴訟がそれである。この裁判は時効ということで退けられたが、帰国運動の本質を暴く上で大きな貢献をした。この裁判ではじめて被告席に立たされた朝鮮総連は、その答弁書のなかで、帰国事業の当事者は朝鮮赤十字社と日本赤十字社であって総連は当事者ではないと逃げを打つ一方、この裁判の原告に対してもその責任を認めようとせず「そもそも、共和国への帰国者たちは、先に指摘した閣議了解第一項に指摘された『基本的人権に基づく居住地選択の自由』の行使として各自がその意思で帰国を選択して帰国したのである。自らの権利の行使として帰国した原告が、その権利行使の結果につての責任を被告になすりつけようとするのは、お門違いというほかはない。」と突き放している。
帰国者が自分の意思で納得して帰ったのにいまさら何を言うかという主張である。一人でも多くの帰国者を作り出すための虚偽宣伝と、組織あげての動員活動を行った事実には口をつぐみ、このような無責任で非人道的な主張が在日社会で通用すると思っているのだろうか。また居住地選択の自由に基づいたなら、居住地選択の自由に基づき帰国者が望むところに合法的に出国させるべきではないのか。
総連は自己の利益擁護のためどれほど「世界人権宣言」や「国際人権規約」のA項、特にB項を振りかざしてきたかわからない。彼らが真の祖国とあがめる北朝鮮は世界の人権団体がその人権侵害のひどさを指摘しても一切無視するか、形だけの文書提出でごまかしている。
いま総連の老幹部たちは、生涯を総連活動にささげてきたにもかかわらず、無慈悲に切り捨てられている。彼らは「総連の人権協会はわれわれの人権に対しては何一つ守ってくれない」と嘆いているのである。こうした人権無視の実態は総連内には数多く見られる。これまで内部告発がないのをいいことに、総連は「人権擁護団体」のように振る舞っているが、すでに日本人拉致に対する対応によって、その正体が明らかにされている。
帰国運動の過程で在日同胞から搾り取った莫大な寄付金と財産は、総連の財政基盤を強化させ、組織の専従活動家を急拡大させた(総連の公式発表によると活動家数は一九六五年には結成時の一六倍に膨れ上がった)。そして何よりも在日同胞の上に君臨することを可能にする「人質」九三〇〇〇余名を手に入れたのである。 人質を取られた上に生活権まで握られ、民主主義がはげ落ちた上意下達の「民主主義的中央集権制」の組織原則でがんじがらめにされれば、この集団が権力者に媚びへつらう官僚集団となるのは当然の帰結である。
「チュチェ偉業の継承完成」の意味するもの

 綱領第一条は最後に「チュチェ偉業の継承完成」を明記している。
朝鮮総連綱領には当初チュチェ思想とかチュチェという表現は使われていなかった。この表現が使われだしたのは、一九七〇年代に北朝鮮で金日成主義が革命の指導思想とされ、その核となる思想がチュチェ思想だと規定されてからである。現在総連が信奉するチュチェ思想は、黄長Y朝鮮労働党元書記らの研究による「人間中心の哲学」から主権在民の思想を除去したうえで、金正日総書記らが考え出した「社会政治的生命体論」に結びつけ、金日成・金正日独裁を正当化した「羊頭狗肉」の作品である。すなわち表の顔は「人間中心」、本心である裏の顔は「首領絶対化」となっている。したがってその論理は、「人民大衆がすべてを決定する」としながら、それは「首領の指導が担保されたときに限る」という条件がつけられる。結局「首領独裁」を受け入れた時にのみ革命と建設が進み共産主義社会が実現するとしているのである。
したがって「チュチェ偉業の継承完成」とは、金正日独裁政権のもとで南北統一を実現し、朝鮮半島全体に「首領独裁制」を導入して金日成を神とあがめる国に作り上げるということである。これが総連の「愛国愛族運動」の最終目標である。
それ故、朝鮮総連が進める民族権利擁護運動は、在日同胞に奉仕してその権利を擁護することで自己完結するのではなく、在日同胞の支持を得るための戦術目標であるといえる。戦略目標はあくまでも「チュチェ偉業の継承完成」すなわち金正日による朝鮮半島の支配である。
だからこそ朝鮮総連は自己に利益を与えない権利擁護にはなんの協力もしないばかりか、時には公然と妨害をする。同胞の利益よりも朝鮮総連の利益すなわち金正日の利益に照らし合わせて判断されるからである。
朝鮮総連は一九七〇年代に繰り広げられた「日立就職訴訟」をはじめとした在日同胞の市民的権利運動にはなんの関心も払わなかったばかりか、日本の企業に就職するのは民族虚無主義的行為であるとする態度まで示した。最近では民団が進めた地域住民の共生をはかる「地方参政権獲得運動」に対しても「同化政策につながる」としてなりふり構わず真っ向から反対し、あげくの果てには地方参政権付与に反対する自民党内の右派勢力とも歩調を合わせている。
在日同胞が地方参政権を持ったからといって、それが即同化につながるとは彼ら自身も思っていないはずである。問題は、そうなると自分たちが囲い込んだ同胞が総連をたよって来るのではなく、それを推進した民団なり、日本の政党なりに流れるのではないかという危惧からこれに反対しているのである。植民地時代とは異なり、同化の問題は人それぞれの考え方の問題であり、心の問題である。それを食い止めようとするならば朝鮮総連の考え方を人々に訴え、同胞の心をつかみ支持を増やしていけばよいことである。
朝鮮総連はこのように、民族権利擁護を自己の勢力強化のための戦術的課題と位置づけ、その戦略目標をあくまで金正日政権の朝鮮半島支配においている。
多くの同胞が総連に結集すればするほどこの活動を側面援助する力量が強化され、彼らがもくろむ統一が促進されるということである。
また一般同胞が総連の周りに多く網羅されればされるほど、総連内部の金正日盲従集団が外部に露出しなくてすみ、より効果的な活動をすることができるのである。そればかりか金正日から派遣された工作員組織も活動がしやすくなり、韓国に対する浸透工作を効果的に行うことができる。勿論日本の情報収集もやりやすくなる。最近総連内の非公然組織である「学習組」が解散されたが、これは「赤い心は内に秘め、より巧妙に」という金正日の企みを実践したに過ぎない。
このように「チュチェの偉業の継承完成」という意味は金正日の支配のもとで朝鮮半島を統一し、金正日式「独裁政権」を朝鮮半島全土に打ち立てようということである。

 *   *   *

 以上で見たように総連綱領第一条は、階級主義を民族主義で覆い、金日成・金正日の個人崇拝を強化することによって全朝鮮半島を金正日の支配下に収めるためのものである。そのための「真の祖国論」であり「愛国愛族運動論」である。
総連を在日のための自主組織に改編するためには、まずこの綱領一条を改めなければならない。そして金日成思想というような偏狭で宗教色の強い思想を指導思想とするのではなく、人類の共通的価値観である人権思想に基づく自由と民主主義の思想を指導思想として在日同胞の民族運動を展開し、彼らの民族的権利擁護で自己完結する運動としなければならない。そして朝鮮半島全体を祖国と認め、この運動を人類発展の方向と一致させていかなければならない。

 
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