在日同胞社会が1世の時代に終わりを告げ、2世から3、4世にその座を譲りつつある現在、21世紀の同胞社会とそれを支える民族教育のあり方が問われている。
現在「民族的」と呼ばれている在日社会の教育は、在日本朝鮮人総連合会(以下朝鮮総連)系112校(2005年現在)、在日本大韓民国民団(以下民団)系11校(経営体としては4校)」で行われている。日本の公立学校内での民族学級などもあるが、これは独自のカリュキュラムによるものではないので体系的教育とはいえない。
ところが、民族系学校の圧倒的数を占める朝鮮総連の教育に対して、最近在日同胞から様々な不満が噴出している。その不満は一言でいって、この教育が、金正日独裁政権の利益を代弁する国家主義的教育であり、同胞社会の要求を反映した自主的民主民族教育ではないという点である。
こうした不満と少子化、世代交代などによって、全盛時4万人を擁していた朝鮮学校の学生数は、現在1万人前後にまで落ち込んでおり、減少傾向は今もなお続いている。特にそれは2002年9月17日の金正日国防委員長による「日本人拉致謝罪」以降加速化した。朝鮮総連教育体系の頂点をなす朝鮮大学校の学生数は、運営維持限界の1000人を割り込み、800人台に落ち込んでおり、また各地方では廃校となる学校が増え、統廃合を余儀なくされている。
だからこそこれまで朝鮮総連系同胞の多くの心ある人たちは朝鮮総連中央に対して教育内容是正の「提言」を繰り返してきた。しかし朝鮮総連中央は、彼らの意見を聞き入れるどころか彼らに「反組織分子」のレッテルを張り追放してしまった。だがこうした人たちは朝鮮総連の弾圧に屈服せず引き続き民族教育を民主主義の原点に戻すため奮闘している。
ところが最近、韓国の国会議員である李華泳(ウリ党)、高鎭和、朴啓東(ハンナラ党)、李永順(民主労働党)の4議員が3月26日に東京朝鮮第2初級学校を訪れ、なにを意図してか朝鮮総連の国家主義教育に支援を約束した。そればかりか28日には朝鮮総連中央と東京朝鮮中・高級学校にまで出かけて激励した。
* 最近韓国左派団体や親北派国会議員が、朝鮮学校との結びつきを強化している。去る17日にも柳基洪議員(ウリ党)は、枝川の東京朝鮮第2初級学校(江東区)を訪問。宋賢進校長と面談し、同校支援を表明した。また柳議員は、支持者らと従軍慰安婦問題に抗議する会見とデモを国会周辺で行い、最近の日本政府の対応について外務省に抗議した。
* 3.1節 88周年を記念して韓国の親北朝鮮市民団体である「地球村同胞連帯」と「統一連帯」、そして「民主労動党」などが朝総連幹部と民族学校教師・学生・学父兄を 3泊 4日間招待し、2月28日にはソウル中区の国家人権委員会で「民族学校学生暴行・人権蹂躙実態報告会」なる集会を持った。この集会で朝鮮総連側の一方的報告を行わせ、韓国の反日的行動に利用した。
また一部の弁護士や日本人も朝鮮総連の教育をマイノリティの「民族教育」と錯覚し、この国家主義的教育の擁護を訴えている。例えば東京朝鮮第二初級学校(枝川)の土地問題の係争(3月8日和解成立)で、朝鮮総連教育の擁護論を展開し、この教育を子どもの権利条約や自由権規約、社会権規約、マイノリティの権利宣言など、国際人権法に照らしても守るべき「民族教育」などと主張している。
「民団と総連和解」で失敗した「民族共助体制」の日本への持込を、朝鮮学校との連携によって再度試みている韓国親北勢力のこうした動きは、「従軍慰安婦問題」や「民族教育問題」にかこつけて日本を国際的に孤立させようとする金正日の動きと連動している。
在日同胞の真の民族教育を発展させるためにも、この政治的動きに警戒心を高めなければならない。また朝鮮総連の国家主義教育の実態も明らかにしなければならない。
1)朝鮮総連教育の本質は金父子崇拝の「国家主義的国民教育」
これまで在日社会では自己のアイデンティティー確立の重要な場として「民族教育」を論じてきた。しかし「民族的教育」といっても、本国権力と結びついた「国家主義教育」とそうでない自主的民主教育がある。形式は似ていてもその内容と目指す方向、着地点は全く異なる。にも関らずこれまで同じ概念で論じてきたため、議論がかみ合わない場合が多かった。
朝鮮総連は自らの教育を「民族教育」と呼んでいる。しかしそれは、正確には朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)が海外公民に対して行う「国家主義的国民教育」のことである。すなわち共和国の教育方針に基づき「民族」という形式に「共和国の首領独裁主義」という内容を日本の状況に合わせ手直しして実施する「教育」なのだ。これは在日同胞が行う自主的民族教育と区別する必要がある。
それにも関わらず朝鮮総連では、この教育を今もなお「民族教育」と宣伝している。この「民族教育」宣伝によって、多くの同胞と一部の日本人が惑わされているのである。
在日同胞は、朝鮮総連の教育の中に自民族の言語や日本学校では学べない民族の歴史教育、民族文化の素養を育む活動などが含まれているため、同胞が主体となっている自主的教育だと感じているかもしれない。自分たちの自主的教育を共和国が後押ししていると。しかし現実には教科書を始めすべての教育方針は共和国が決めているのであって在日同胞ではない。
最近、朝鮮学校の教科書が同胞の実情に合わせて改変されたとしているが、高級学校の思想教育の科目である「社会(北朝鮮体制擁護と主体思想)」や「現代朝鮮革命歴史(金日成・金正日崇拝)」(対外的には朝鮮現代史としている)は本質的にはなにも変わっていない。ただあまりにも虚偽に満ちた記述を一部修正しただけだ。また変化の象徴として初中級学校で金父子の肖像画を下ろしたとしているが、これもこれまであまりにも露骨に共和国の意図を押し付けて同胞の反発を買ったため、その「色」を少し薄めようというものである。その証拠に肖像画のかわりに「油絵」などを飾るように指示している。
彼らの最高学府である朝鮮大学校を見ればこの本質は一層明確だ。そこでは今も金日成・金正日崇拝が中心科目となっており、思想教育科目の教科書は北朝鮮から直接送られてきたものを使う。そして指名された「思想堅固」な特定の教員だけがそれを教えている。また教授などの職位と博士などの学位も共和国から授与されている。大学校当局も朝鮮大学校を共和国の海外国立大学だと言ってはばからない。
2000年12月に朝鮮大学校評議会を指導した朝鮮総連の許宗萬責任副議長は次のように述べている。 「敬愛する将軍様は、1994年5月6日のお言葉で『朝鮮大学校では学生を政治思想的にしっかりと準備させることに中心を置き、大学期間にチュチェ(主体)の世界観、首領観(注―金日成・金正日を崇拝すること)、民族観を人生観化した革命家、確固とした青年の中核をしっかりと育てなければならない』とおっしゃった。朝鮮大学は本質において在日朝鮮人運動の代、愛国の代を継ぐチュチェ型の青年中核を育てる源泉地である」
この許宗萬責任副議長の発言で解るように、朝鮮大学校の使命は徹底して金正日国防委員長に忠実な人材を作り出すことにある。この朝鮮大学校は朝鮮総連が運営する国家主義教育の頂点に立つ学校であり、朝鮮総連教育の終着駅である。そこでの教育目的が、金日成・金正日崇拝に凝り固まった「革命家」の養成にあるというのだから、この教育は国体護持の「国家主義的国民教育」以外の何物でもない。これが朝鮮総連のいう「民族教育」の正体である。
国家主義教育の真髄―政治組織による課外教育
朝鮮総連の国家主義教育で重要な位置を占めるのは「カルキュラム」とは別途に「在日本朝鮮少年団」や「在日本朝鮮青年同盟」の組織を通じて行う「政治教育」である。この部分は外部世界に見えない。
高級学校の場合、「カルキュラム」だけを見ると「政治教育」科目である「社会」や「朝鮮現代史」は週2時間(高級学校は1年から3年まで)づつであるが、「朝鮮青年同盟」を通じて課外で行う「政治教育」は学校生活のすべてにわたって行われる。
「朝鮮少年団」は初級学校4年生から中級学校3年生までの全員が網羅され、金正日に忠誠心の高い教員が指導に当たる。そして「少年団」の団長や委員は、忠誠心が強い朝鮮総連幹部の子弟の中から選ぶという徹底ぶりである。
高級学校からは、全員が学校内に組織された「朝鮮青年同盟」に加盟させられ、朝鮮青年同盟の各県本部が中央の指示のもとにこれを指導する。そして本格的な幹部養成も平行して行われる。忠誠心の強い生徒は一般の生徒から区別され「学習班」に網羅される。そして金正日を崇拝するように特別な教育が施される。
大学に入るとこの「学習班」組織はいっそう強化され、ここに網羅された学生がエリートとして卒業後の重要な役職に配置される。この「学習班」の延長が「学習組」(学習組は2002年8月に解散したことになっているが再編されただけである)である。
2)民族教育と呼ばれる時代はあった
確かに在日同胞の歴史をひも解いてみると、自主的「民族教育」を実施した時期はあった。それは解放直後、日本全国に設置された「国語講習所」や、それの発展としての「民族学校」で行われた。この時の学校数は600にも及び、学生数は6万余人にも達した。この教育は国家主義的国民教育ではなかった。これは在日同胞自らが民族自主精神を同胞の中に広め、新しい民主主義教養と民族的矜持を育てることを目的とした民族教育であった。
この教育を推進したのは「在日本朝鮮人連盟(朝連)」であったが、この在日組織は、いかなる公権力とも結びついていなかった。この組織は、民族主義者のほか共産主義者やそのシンパによって運営されていたため、米国の日本占領統治機関であったGHQによって弾圧を受け1949年に解散させられた。その後この組織が「在日朝鮮統一民主戦線(民戦)」を経て朝鮮総連に継承されることによって、その教育が「国家主義的国民教育」に転化していくのである。
1955年5月に結成された朝鮮総連は、その綱領1条で「在日朝鮮人を共和国の周りに団結させる」とうたい、総連傘下の同胞を共和国の海外公民であると宣言した。この組織は、日本における朝鮮労働党傘下の大衆団体でもあり共和国の行政機関でもあるという二面性を持つ組織であった。 その後朝鮮総連は、内部に「学習組」を加えることによって、金日成・金正日主導の統一を側面から実行する「朝鮮労働党日本支部」という内容を備えることとなった。この本質が朝鮮総連の「教育」にそのまま持ち込まれたのは言うまでもない。
とはいえ1959年の「帰国事業」実現以前においては、朝鮮総連組織が同胞主導の要素を残していたため、「国民教育」の色彩はあまり濃くなかった。しかし「帰国船」往来以降、朝鮮労働党の朝鮮総連に対する支配が強まる中で、それは共和国の「国民教育」として体系化される。1963年の「共和国国籍法」はそれを法的にも根拠付けた。そしてこの教育は、1967年の朝鮮総連第8回大会以降、極端な金日成・金正日崇拝教育へと傾斜し、国家主義的傾向を強めることによって在日同胞を悩ませることとなる。
3)同胞は国家主義的教育に反発している
在日同胞が帰国志向から日本定住志向へと変化していた1970年代、朝鮮総連は同胞の思いとは逆に共和国国民教育を強化させていった。それは真実を教える教育とは程遠い金日成・金正日崇拝のプロパガンダ教育であった。こうした中で、多くの在日同胞は仕方なく子女の教育を日本学校にシフトすることとなる。
この動きは朝鮮総連幹部の中にも広がった。これに危機感を募らせた朝鮮総連中央は「幹部の子女は朝鮮高校卒業まで日本学校に送るな」とする統制を敷き、それを破った幹部に対しては、左遷、首切りなどの圧力を加えた。また、日本の中学、高校に進学しようとする一般同胞子女には、進学に必要な書類を出そうとしなかった。
在日同胞が求めていた民族教育は、言語、歴史、文化など、民族的アイデンティティーの確立に必要な教育と、日本に適応する教育であったにも関らず、朝鮮総連の教育は、金日成・金正日に忠実な人間を作り出し、自己の勢力拡大に利用しようとした教育であったため、その対立は拡大の一路をたどった。
「民族教育」をめぐる総連中央と同胞の対立は1967年の金日成絶対化教育以降くすぶりつづけていたが、金正日国防委員長が後継者の地位を確立することによって決定的となった。彼の登場以後、金日成主義教育が中心となり、民族的素養や特に異国に住むマイノリティーとして身につけなければならない人権と民主主義の普遍的価値観に基づく人間教育は無視された。
教科書は金日成一色となり、歴史的偉人や世界の文学は一掃された。それが極限に達した1967年から1970年代前半はもちろん、金正日国防委員長が金日成主義を打ち出した1970年代以降も露骨に続いた。その結果、教育に対する同胞の我慢は限界に達することとなる。
1990年代末、一部の専従活動家と教育関係幹部は、有力商工人と共に朝鮮総連の民族教育を日本の実情に合わせて改革しようとする動きを表面化させ、朝鮮総連中央に具体的改善案を提示した。この動きは、体制内改革という制約性を含んでいたが総連中央に大きなショックを与えた。当時朝鮮総連中央は、その提案に応じるかのごとく装い、改革グループを1人1人個別に工作し、結局うやむやにしたのである。
しかし、この動きは2000年代に入り「韓日共催ワールドカップサッカー」観戦や韓国との往来、特には2002年9月17日の朝日首脳会談での「拉致謝罪」以降抑えることの出来ないうねりとして再び現れることとなる。
朝鮮総連の「国家主義的国民教育」を在日同胞の民族教育に戻すため、一部の朝鮮総連幹部と教育関係者は「民族教育フォーラム」を組織し、在日同胞社会での民族教育のあり方を再度模索した。また一般同胞も総連組織に対して「同胞の学校なのか総連中央の学校なのか」と詰めより「同胞に付くのか総連中央につくのか」と校長先生や県本部委員長を問いただした。
子供3人を北大阪朝鮮初中級学校で学ばせる(2002年10月現在)大阪の李鐘泰さんは、自らの意見書を報告書としてまとめ同胞に配布した。そこで彼はこう主張している。
「ウリハッキョ(我々の学校)、私はこの呼び名がとても好きだ。・・・まさに子供をはじめハラボジ、ハルモニ、オモニ、アボジ、1世、2世、3世の老若男女を問わずみんなが愛情と親しみを込めてこう呼ぶ。(中略)このウリハッキョの存続の危機を優う一同胞として今、声をあげずにいられない」
朝鮮大学校を卒業し西東京朝鮮第1初中級学校に2人の子供を送る朴ヒャングさんも「北朝鮮は、我々が考えてきた姿とは異なるのだということがわかった。そこは労働者の楽園ではない。私たちは真実でないものを子供に教えることはできない」(ワシントンポスト2003年10月10日付)と述べ、朝鮮総連の教育を厳しく批判した。
こうした同胞の自主的民族教育を求める圧力に抗し切れなくなった朝鮮総連は「同胞の学校か金正日の学校か」という問いに対してついに本音を吐いた。「我々の学校は金正日将軍様の学校」だと。
民族教育への転換はなされるのか
朝鮮総連の教育は、その「国家主義的国民教育」路線を放棄し、大多数の同胞が求める自主的民族教育に転換しない限り展望は明るくない。しかしこの転換を実現するには、金正日国防委員長に盲従する朝鮮総連現指導部の退陣が不可欠だ。またそれを促進するための朝鮮総連系同胞と学父母の強い決意と行動が求められる。だがこれは非常に困難な要素を含んでいる。
なぜなら、現在、朝鮮総連傘下に残っている同胞学父母はほとんど、共和国や朝鮮総連の機関と何らかの利害をもつ人たちだけとなっているからだ。朝鮮学校もいまや離れる人はほとんど離れ、一般同胞の子弟よりも組織関係者の子弟のほうが多いという状況である。
このように生活を朝鮮総連に依存し、共和国に人質を取られている人たち中心の構成状況では、なかなか根本的改革には立ち上がれない。またこの教育を自主的運営に転換するにしても、すでに学校運営が財政的に破綻しているだけに、再建には広範な同胞の財政支援が必要なのだが、教育内容の改革なくしてはそれも難しい。
朝鮮学校を除けば、日本で民族の言葉や歴史や文化を学ぶ場が非常に限られていることから、これまで共和国の「国家主義的国民教育」に不満をもちながらも何とか次善策として折り合いをつけてきた同胞もいまや限界に達しつつある。
20回大会(2004年5月)を前に、朝鮮総連中央が肝入りで発足させたセセデ(新しい世代)問題協議会(会長李相大)のアンケート(民族学校に通う学生生徒に対して無記名で行った)結果を見ても、朝鮮総連の「教育」に明るい前途は見えてこない。今後どのように民族教育を取り戻していくのか。自主的民族教育を望む在日同胞の苦悩は深まるばかりだ(了)。