北朝鮮は6月26日、6ヵ国協議議長国の中国に「核開発計画申告」を提出した。これに対して米国は北朝鮮を対敵国通商法の適用対象から除外(27日0時から)するとともに米議会に対して45日以内にテロ支援国指定を解除する通告を行なった。
ブッシュ大統領は同日に会見し、北朝鮮への対敵国通商法の適用を解除するが、同法に基づく制裁措置の大半は2000年に解除されているため、今回の措置は象徴的なものだと説明した。また2006年10月9日の北朝鮮の核装置爆発実験、核拡散活動、人権侵害などに関する制裁は別途の法や規制に基づき残されるとし、今回の措置で米国の対北朝鮮制裁が完全に解除されたわけではないと強調した。
同時に現在でも有効な対北朝鮮制裁として▼北朝鮮・イラン・シリア拡散禁止法(2000年)▼ミサイル関連制裁▼WMD(大量破壊兵器)拡散関連者の資産凍結などを盛り込んだ行政命令12938と13382▼人身売買被害者保護法(TVPA)上の3級(最低レベル)指定に基づく制裁▼外国支援法などに規定された人権侵害による制裁▼国際宗教自由法の「特に懸念のある国」指定に基づく制裁▼国連安全保障理事会の制裁決議1718号▼核実験国への防衛産業物資販売を禁じるグレン修正条項――などを例示した。
また、ブッシュ大統領は同日に行政命令を通じ、今後も維持される貿易関連の対北朝鮮制裁を具体的に示した。行政命令によると、2000年6月16日から遮断されてきた北朝鮮国籍者の全財産と財産上の利害関係は今後も遮断され、北朝鮮に振り替え、支払い、輸出はできず、米国の国民や永住権保持者、米国の法に規定されたすべての団体は、北朝鮮に船舶を登録したり北朝鮮の国旗を掲げて運航する権限を取得できない。
一方北朝鮮の外務省報道官は27日、北朝鮮に対するテロ支援国指定の解除手続きと敵国通商法適用の除外という米政府の措置を「肯定的な措置と評価し、歓迎する」とした。 しかし、核計画申告と寧辺核施設の冷却塔爆破については言及しなかった。北朝鮮は27日午後4時過ぎ冷却塔の爆破を米国の費用で行いその場面をCNNなどを通じて放映している。
韓国政府当局者が26日明らかにしたところによると、北朝鮮の提出した核計画の申告書は約60ページで、〈1〉核関連施設の目録〈2〉プルトニウムの生産・抽出量と使用先〈3〉ウランの在庫量――の3項目に大別されている。核兵器の数や核兵器に関連した施設などの情報は含まれていない。また、ウラン濃縮による核開発とシリアへの核協力の実態も申告書に含まれていない。
テロ支援国家指定と対敵通商法の適用が終わることで、北朝鮮は手続き上、世界銀行など国際金融機関からの融資を受けることが可能になる。外国為替取引、資産移動などの規制も解除されれば、第三国や韓国からの経済、技術支援獲得にも道が開かれる。
不完全な北朝鮮の「核申告」にもかかわらずブッシュ政権が取った措置に対しては、8年間これといった成果を得られなかったまま任期末を迎えたため「外交的成果」を急ぎ譲歩したとの見方が強い。
6ヵ国協議の今後を展望する前にブッシュ政権の対北朝鮮政策が「強硬」から「宥和」にどのように変化していったのかを見てみよう。
1、ブッシュ政権の対北朝鮮政策転換
2001年にブッシュ政権が登場し、クリントン政権の対北朝鮮融和政策を全面否定して北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び対決姿勢をあらわにしたことは記憶に新しい。その後2002年10月には当時のケリー次官補が訪朝してウラン濃縮問題を提起しその放棄を求めたが、北朝鮮の姜錫柱次官が拒否したことで「1994年のジュネーブ枠組み合意」は破棄されることとなる。
ブッシュ政権の北朝鮮圧迫はケリー次官補の訪朝後も続いた。米朝二国間協議を拒否するブッシュ政権は、2003年3月に中国を議長国とする6ヵ国協議を提起する。中国は当初消極的であったが、イラク戦争の開戦(3月20日)による衝撃から仲介に乗り出した。こうして2003年4月23日〜25日に北京の釣魚台で6ヵ国協議代表者会議がもたれ、第一回6ヵ国協議が8月27日〜29日に北京の釣魚台迎賓館で開催された。その枠組みの中でブッシュ政権は「完全かつ検証可能で後戻りの出来ない核の放棄(CVID)」を北朝鮮に迫った。
しかし2003年のイラク戦勝利に基づく米国主導のこの流れは、2006年7月の北朝鮮によるミサイルの連射と10月9日の「核実験」によって反転する。イラク戦争の泥沼化と米国の中間選挙での共和党劣勢を読んだ北朝鮮の揺さぶりは米国中間選挙での共和党の敗北でその狙いが的中する。
北朝鮮の核実験後、国連安保理決議1718を引き出し中国をも巻き込み北朝鮮を追い詰めるかに見えたブッシュ政権は、間もなく腰砕けとなり大きくその政策を転換する。この国連決議成立に主導的役割を果たし、戦後初めてと思える「自主外交」を展開し北朝鮮に対する経済制裁を強化した日本も、ブッシュ政権の腰砕けで苦しい立場となっていく。
北朝鮮核実験から1ヶ月半後の11月28、29の両日、北京の釣魚台国賓館で米中朝3か国による6カ国協議のための事前協議が開かれた。米国のヒル国務次官補は、北朝鮮の金桂寛外務次官に、協議再開の前提条件として、10月に核実験を実施した咸鏡北道吉州郡豊渓里の地下核実験場埋め立の他〈1〉北朝鮮国内にあるすべての核施設・核計画の自己申告〈2〉国際原子力機関(IAEA)要員による全核関連施設への査察の早期受け入れ〈3〉プルトニウムを生産している寧辺の実験用原子炉の稼働停止など4項目を提示した(12月2日付読売新聞朝刊)。金次官は本国に持ち帰って検討するとしてその条件を持ち帰った。そして2007年1月にドイツのベルリンで米朝会談がもたれた。
2、宥和への転換、「ベルリン会談」から「ジュネーブ作業部会」まで
北朝鮮の核実験後「核の完全放棄」から「核の不拡散」に政策転換したブッシュ政権は、米中朝3か国協議後、それまで拒否してきた「米朝二国会談」に積極的に応じ北朝鮮に譲歩を重ねていくことになる。それを促進させたのがクリストファー・ヒル次官補であり、ライス国務長官だった。この政策転換は2007年1月の「米朝ベルリン会談」で決定的となる。
ベルリン会談結果に金正日は大喜び
2 007年1月16日から18日までドイツ・ベルリンでヒル次官補と金桂寛次官の「米朝二国会談」が電撃的に行われた。この「会談」で米国は北朝鮮の要求通り「バンコ・デルタ・アジア」の凍結資金解除を北朝鮮側に提示した。この会談内容について北朝鮮は2月11日の朝鮮新報を通じてその内容を明らかにした。
それはバンコ・デルタ・アジア(BDA)北朝鮮口座の30日以内の凍結解除、6ヵ国協議で約束された60日以内の北朝鮮側初期履行措置の完了、初期履行措置による米国の経済及びエネルギー支援、そして米朝関係の正常化への道筋などであった。
このベルリン会談で北朝鮮側は露骨に米朝接近の利点を説いたという。それは米朝が国交正常化すれば@米国は中国を牽制できる。Aわれわれも米国と関係を正常化してこそ中国と対等になれるといった内容であったという。ベルリン会談後の1月末に金策製鉄所の建設部を訪れた金正日は喜びのあまり、年末には石油が大量に入ってくると担当幹部にもらしたという。北朝鮮の「テロ支援国指定解除」はこの時事実上政治妥結したと思われる。
ベルリン会談の具体化−「2・13合意」
そしてそれは2月の6ヵ国協議で「2・13合意」として具体化された。
2月8日から北京の釣魚台で始まった第5回第三段階「6カ国協議」は13日午後合意文書を採択して幕を閉じた。合意文書は7項目からなっているが、その骨子は「6カ国協議の参加国は、北朝鮮が早期に核廃棄措置を実施し、さらに寧辺の核施設の“核施設不能化(disabling:今後原子炉関連施設を使わないということ)”を受け入れた場合、年間最大で重油100万トンに達するエネルギーと人道支援を提供する」というものだった。
具体的には北朝鮮側が、今後60日以内に延辺核施設の閉鎖措置(shutdown)を取れば、1次的に重油5万トンの提供を受けられるというものだ。 また、寧辺の原子炉を不能化段階まで進めた場合、残りの重油95万トン相当の支援を行い、それを5カ国が均等負担するとした(重油100万トンは当時の国際時価でみて約388億円程度になる)。
参加国は、北朝鮮が寧辺の原子炉を閉鎖した場合、それ相応のエネルギーを支援する代わり、北朝鮮側は国際原子力機構(IAEA)の視察要員を受け入れるだけでなく、北朝鮮による核施設の申告も含めることでも合意した。 そして5つの作業部会の設置にも合意した。
しかしこの合意の問題点は、北朝鮮が2006年10月9日に核実験を敢行して確保した核兵器の廃棄に対する内容が含まれていないことだった。そればかりか2002年10月に大統領特使として平壌を訪問したジェイムズ・ケリー米国務省次官補が指摘し(姜錫柱も暗黙で認めた)た“ウラン濃縮核プログラム”や、すでに抽出されたプルトニウムについては全く言及されなかった。
だがこの合意文をクリストファー・ヒル国務次官補は13日未明の草案段階で早くも「素晴らしい草案だ。採択されることを願っている」と強調し(2007年2月13日 読売新聞)自賛した。
BDA凍結資金引き出しとヒル次官補の訪朝
その後この合意履行はいつの間にかベルリン会談での米朝合意であるバンコ・デルタ・アジア(BDA)の「凍結資金送金問題」に転化された。そして期限の4月12日を過ぎても北朝鮮は合意を履行する気配を見せなかった。
しかし期限が2ヶ月過ぎた6月15日にバンコ・デルタ・アジア(BDA)に凍結されていた北朝鮮の資金が引き出し可能となる。その直後の22日、ヒル国務次官補は北朝鮮の招請に応じ韓国の烏山基地から軍用機で電撃的に北朝鮮を訪問した。この訪朝でテロ支援国家指定解除までの道筋が決められたようだ。
北朝鮮で歓待を受けて舞い上がったヒル次官補はソウルに戻った時、金正日政権が「完全な非核化」意志を持っていると示唆した。問題の高濃縮ウラニュウム(HEU)問題についても、北朝鮮が「廃棄意志」を示していないにも関わらず、否定的な発言はせず解決の可能性が高いとの姿勢を示し幻惑した。そればかりかこの時彼は7月初めの6カ国協議首席代表会談と、それに続く6カ国外務大臣会談、そしてコンドリーザ・ライス米国務長官と朴宜春(パク・ウイチュン)外相間の米朝外相会談までも展望した。
その後7月3日金正日は、訪朝した中国の楊潔チ外相と会い、「最近の朝鮮半島情勢は一部緩和される兆しを見せている」と述べ満足を表したという。この満足表明の裏には、ヒル次官補を最上級貴賓接待所である「百花園招待所」で接待した「手応え」があった。
北朝鮮外務省報道官は履行期限が3ヶ月も過ぎた7月15日、朝鮮中央通信を通じ、「重油5万トンの最初の配分が到着した14日、寧辺(ヨンビョン)の核施設の稼働を停止し、国際原子力機関(IAEA)要員にその監視を認めた」と述べ、2月の6か国協議合意に基づく「初期段階の措置」に着手したことを表明した。
米朝ジュネーブ作業部会で第2段階準備
ジュネーブで9月1日から2日にかけて行われた米朝関係正常化作業部会でクリストファー・ヒル次官補は金桂寛次官と会談し、▲北朝鮮の「テロ支援国家」指定解除、▲敵性国交易(通商)法の適用終了、▲北朝鮮の核施設無能力化核プログラムの報告、▲日本人拉致問題などに対する協調などが議論されたとという。
ヒル次官補は、初日の会談終了後、北朝鮮の年内の核施設無能力化に対し「可能だと確信している。全般的に見ても非常に中身のある議論だった。これまでわれわれが行ってきた議論の中で最も実質的な議論になった」と楽観的に語った。金外務次官も会見で「会談は成功した。今後順調にいくとみている」と満足感を示した。
金正日総書記はこの米朝関係正常化作業部会での米国側の譲歩を受け「まず核施設の無能力化まではやってみよう」と決断したと思われる。
3、「核申告」の提出と「テロ支援国指定解除」手続きまで
9月27日から北京で開かれた第6回第2段階6か国協議は4日目の30日、北京の釣魚台国賓館で首席代表会合を開き暫定合意した内容を10月3日、6ヵ国協議議長の中国外務次官が共同声明形式の合意文として発表した。その要旨は次のようなものだ。
共同声明の骨子
一、12月31日までに、寧辺の実験用黒鉛減速炉、使用済み核燃料棒再処理施設、核燃料棒製造工場を無能力化する。
一、米国は無能力化に向けて中心的役割を果たし、資金を提供する。米国は2週間以内に専門家を北朝鮮に派遣し無能力化のための準備をする。
一、12月31日までにすべての核計画の進行状況を正確に申告する。
一、北朝鮮は核物質、技術または知識を移転しないことを約束した。
一、米国はテロ支援国家指定解除に向け行動を開始する。対敵通商法の適用の中止に向け行動する。
(産経2007.10.3 21:23)
この協議では第2段階措置とし「2・13合意」で決められていたすべての核施設の無能力化は盛り込めなかった。2007 年内の無能力化の対象は北朝鮮・寧辺にある5000キロワット級の原子炉、核燃料再処理施設である「放射化学研究所」、核燃料加工施設の3カ所にとどまった。
共同文書案ではまたウラン濃縮計画も含めた核計画の申告を明記する一方、米国が北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除する方針も盛り込まれた。しかし「すべての核計画の完全な申告」の焦点として挙げられた(1)02年に疑惑が浮上したウラン濃縮計画(2)シリアなどへの核の拡散(3)核兵器の3点を挙げていたがこの点は明確にされなかった。
このほか、核施設の無能力化と核計画の申告の見返りとしての経済エネルギー支援については、提供の時期を特定せずに重油45万トンと重油50万トン相当のエネルギー施設を提供することが盛り込まれた。テロ支援国家指定の解除はこの時点でほぼ確定したものと思われる。
ブッシュ親書とジュネーブでの「ヒル・金桂寛会談」
12月31日の期限が迫った12月3日、ヒル国務次官補は6月以来2度目の訪朝を行い、ブッシュ大統領の「親書(1日付)」を伝達した。ホワイトハウスによると、この親書でブッシュ大統領は6カ国協議の合意に基づき、北朝鮮に「核計画の完全な申告」を求めたという。
しかし、北朝鮮は「申告は終わっている」として12月31日の期限を守らなかった。そこにはブッシュの足元を見た引き伸ばし戦術があったと思われる。またできるだけ交渉を延ばしブッシュ政権との交渉を2段階までにとどめ、後の交渉は次期政権に持ち越そうとする思惑も見られる。そのほか韓国に保守系大統領が登場したことも遅延戦術の背景にあった。
2008年に入って「核申告」問題を詰めるため米・朝両国は3月13日(現地時間)スイス・ジュネーブで、北朝鮮側の申し入れ(主導)による「ヒル・金桂寛会談」を持った。断続的に9時間続けられたこの会談ですでに期限(昨年12月31日)が過ぎている北朝鮮の核プログラムに関する申告の方法について協議し双方の意見差を縮めたという。朝鮮中央通信は18日、この会談について米朝は同協議の合意履行に向けた解決方法を継続して討議していくことにしたと伝えた。ただ、具体的な内容には触れていない。
北朝鮮がジュネーブでヒル次官補に飲ませようとしたのは @プルトニウム生産量の過少申告 A濃縮ウラン計画の否定 Bシリアなど第3国への核拡散の否定 C核兵器の申告除外などであったと思われる。ヒル次官補はこの申告内容を拒否もせずそのまま本国に持ち帰りブッシュの承認を得る。その後4月8日からのシンガポール会談で申告はプルトニウムだけとし、濃縮ウラン問題とシリアへの核拡散問題は米国に別途非公開文書での報告を行なうとすることで「暫定合意」に至った。
拉致問題は置き去り、アリバイ作りに利用された日朝会談
以上が「核申告」と「テロ支援国家指定解除」取引までの顛末である。ここでは日本の拉致問題は置き去りにされた。その間6月11日から12日まで北京で日朝交渉が持たれ北朝鮮が再調査を約束し、日本も制裁を一部解除するとしたが、その後何の進展もなく26日に「テロ支援国家指定解除」が行なわれた。こうしたことから見てこの日朝会談は「テロ支援国家指定解除」のためのアリバイ作りだった可能性が高い。そのほか北朝鮮はこの会談で李明博政権の孤立化を図り、福田総理訪朝の足がかりを作ろうとした。
北朝鮮の金正日政権を悪の枢軸と呼び「完全かつ検証可能で後戻り出来ない核の放棄(CVID)」を求めていたブッシュ政権が、「核計画の完全な申告」もさせられず、結局「抽出プルトニュウームの申告」と寧辺の「ポンコツ化した核施設の無能力化」と引き換えに「経済支援」を与え「テロ国家指定解除」を進めた。
イラクの混乱と米国経済の混乱しかもたらさなかったブッシュ政権ではあるが、弱体化した金正日政権に譲歩する姿には「?」が付きまとう。米朝間に対対中国戦略での隠れた密約でもあるのだろうか?昔から「極は極に行く(極端な人は反対の極端に走る)」との「ことわざ」があるが、まさしくブッシュの行動がそれである。
4、今後の展望
ブッシュ政権やそれに追随する日本の福田政権は、「テロ支援国家指定解除」まで徹底的に検証すると言っているが北朝鮮はそんなことが45日間でできるわけがないと読んでいる。今後の45日間は「偽造した申告書」対「米国の分析能力」の戦いとなるだろう。しかしよほどのことがない限り指定は解除されると思われる。ブッシュ政権に後戻りする勇気も力もないからだ。そのためにソン・キムを何度も送り申告書の「答案作り」を教えてきた。
問題はこの後北朝鮮の交渉が第3段階に入るかどうかであるが、入ったとしても具体的進展は期待できないだろう。北朝鮮は、すでに任期切れが近いブッシュ政権と交渉するより、「直接交渉をいとわない」とする民主党オバマ政権誕生に期待をかけている。
今回の一連の動きを受けて開かれる次回6カ国協議では、無能力化と申告の第2段階を評価、検証方法を検討し、核廃棄の第3段階について協議する段取りだが、今後の協議では北朝鮮が遅延戦術を取る可能性が高い。現在、寧辺で使用済み燃料棒引き抜きなど無能力化の作業が行われているが、北朝鮮は年末まで遅延させるだろう。また、申告リストのプルトニウムの扱いについても「保有する核物質の廃棄」については軽水炉提供など法外な要求を出してくることも予測され申告以後の行程は難航が予想される。
4月に訪朝したブッシュ政権初期のプリチャード元米北朝鮮特使に対し、北朝鮮の朴義春外相と金桂寛外務次官は、「米国と核保有国のイスラエルは友好的な関係」と指摘、「われわれは米国と同等の核保有国の地位を追及している」と述べたという。北朝鮮は今回のテロ国家指定解除などによって米朝関係が良好となり、さらに「核保有国」として認められたと認識しており、今後は米国と対等の立場で核軍縮交渉を進めることを狙っているとみられる。
一方苦境に陥っているのが日本政府である。米国が、北朝鮮に対する有力な外交カードだった「テロ支援国指定解除」を手放し、一段と対北融和姿勢を見せていることで、日本が取れる選択の幅は狭まっている。日本が強く反対してきた「指定解除」に今回あっさり踏み切ったことは、日本国民に日米同盟よりも北朝鮮との関係を優先したとの印象を与えた。今後の日米関係にも影響がでるだろう。
日本にとって、今後の交渉の大きな節目は、テロ支援国の指定が解除される45日後の8月10日だ。それまでに6か国協議や日朝協議などを通じ、米国などと連携して拉致問題で具体的な進展を得なければ、福田政権は大きな打撃を受けるだろう。
以上