朝鮮中央通信によると、祖国平和統一委員会(祖平統)は1月30日の声明で、南北の対決状態解消に関する過去の合意事項をすべて破棄し、南北基本合意書(1992年発効)が定めた黄海(西海)上の軍事境界線の条項を破棄すると表明した。また、李明博大統領が、対北政策見直しにかかわった玄仁沢(ヒョンインテク)高麗大教授を次期統一相に指名したことなどを非難した上で、「南北関係はこれ以上、収拾する方法も正す希望もなくなった」と指摘し、「南北関係が今日、険悪な状況に直面することになった責任は、全面的に李明博一味にある」と非難した。
北朝鮮は17日にも朝鮮人民軍総参謀部の報道官声明で、韓国との「全面的な対決姿勢に入る」と警告しており、今回の声明は、軍事面に加えて南北合意の無効化宣言(南北合意書は一方的破棄宣言で無効に出来るものではないが)にも踏み込み、韓国への揺さぶりをさらに強めたものである。
公式の対韓国機関である朝鮮平和統一委員会を通じた今回の声明は、米国のオバマ政権にアプローチするとともに、南北の緊張を高めることで、韓国政府の政策転換を誘導しようとする「通米封南」戦術に沿ったものであるが、そこには内部の引き締めを強化し、南北関係が米朝関係の進展を妨げることがないよう、韓国政府の対北朝鮮政策を早期に変えておきたいという切実な願望が込められている。また、「北朝鮮の非核化交渉」を「核軍縮交渉」に転換させるための舞台づくりという側面もある。
北朝鮮はいま、韓国の対北朝鮮政策の変更を迫るためにも、米韓日連携を破綻させるためにも、米国との交渉を「核軍縮交渉」に転換させるためにも、また北朝鮮内部の統制強化のためにも、南北間の緊張を必要としている。
1、心理戦を強める北朝鮮
こうした一連の「声明」は、韓国内を分裂させ、米韓日の連携に楔を打ち込む「心理作戦」でもある。それは「脅迫」の段階を徐々に引き上げ、韓国側の心理的負担を増幅させていることを見ても明らかだ。
「祖平統」はこれまで、問題の重要度に従って、「記者会見→論評→備忘録→報道官談話→談話→報道官声明→機関声明」という順に発表のレベルを引き上げてきた。「祖平統」が昨年12月、李明博大統領に対し「6・15宣言(2000年6月の南北共同宣言)や10・4宣言(2007年10月の南北首脳宣言)の履行に関する意向をまず表明すべきだ」と求めた際には、「談話」の形式をとった。「祖平統」の「機関声明」は、韓国の統一部長官の声明と同レベルであり、韓国に対する発表としてはハイレベルなものである。
北朝鮮は心理戦の効果を強めるために、こうした「声明」だけでなく、長距離ミサイルの発射テストなどのデモンストレーションも開始しはじめている。このデモンストレーション効果を増すためにも、今後韓国に対する軍事挑発を絡めることは十分に考えられる。この場合、毎年3月ごろ行われる韓米軍事合同演習「キー・リゾルブ」の後、もしくは黄海(西海)上の北方限界線(NLL)周辺海域での緊張が高まる4〜6月のカニ漁シーズンに、北朝鮮が口実を作り動きを見せる可能性が高い。
*2月2日、北朝鮮が、核弾頭を搭載可能な長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射準備を進めていることが分かった。
複数の(日本)政府筋によると、米などの偵察衛星が、北朝鮮北東部の平安北道東倉里で新たに建設中のミサイル発射施設に複数のトラックが頻繁に出入りしているのを確認。ミサイルを格納する大型コンテナも運び込まれていることが分かった。コンテナなどの大きさからミサイルは、テポドン2号と同等以上のサイズとみられる。
すでに北朝鮮は昨年秋までに発射施設でエンジンの燃焼実験を行っていることが確認されている。北朝鮮のミサイルは液体燃料を使用しているため、発射台への設置や燃料注入にはかなりの時間を要するため、発射は早くても1〜2カ月先になる可能性が大きい(産経新聞2009・2・3)。
しかし、こうした瀬戸際政策をバックにした「作戦」は、一つ間違えば対米交渉に悪影響を与える。そのため北朝鮮は一定の「安全弁」も準備している。1月23日の金正日と王家端との会見で「緊張状態を望んでいない」と言及したのがそれだ。いざとなれば中国を利用して事態の収拾を図ろうとしているのである。
2、韓国政府の対応
北朝鮮のこうした「脅迫」と「揺さぶり」に対して韓国政府は冷静に対応している。与野党は対策をめぐり異なる反応をみせているものの、一斉に北朝鮮に対する懸念を表明した。しかし、民主労働党だけは、北朝鮮の主張に同調している。
統一部が2日までに分析したところによると、南北間の政治、軍事的な対決状態の解消に関する38事項の合意のうち、これまで履行されたのは3事項にとどまっている。北朝鮮の違反や後続協議の不発などにより、履行率が10%にも満たないことになる。
38の政治・軍事関連の合意事項は、1992年の南北基本合意書と付属合意書、2007年の南北首脳宣言、2000年と2007年の国防相会談の合意書、2004年の将官級軍事会談の合意書などに盛り込まれている。
このうち履行された合意事項は、まず、南北基本合意書に記された相手側の体制認定・尊重に関する条文の一部分である。韓国政府が北朝鮮での訪問制限施設と定めた5施設のうち3大憲章記念塔と戦勝記念塔について単純参観を認めたことと、北朝鮮側も2005年に韓国の国立顕忠院を参拝したことでこの項目は部分的に履行されたと統一部は評価している。
また、基本合意書付属合意の「軍事直通電話の設置および運営」は2005年8月に履行された。そして将官級軍事会談合意書の「軍事境界線地域の宣伝活動中止および宣伝手段の除去」も2004年から2005年にかけ、それぞれ履行された。
しかし、内部問題の不干渉、相手側のひぼう・中傷の禁止、武力の不使用、不可侵警戒線および区域の遵守など、残り35の合意事項は、17項目で北朝鮮が違反し、18項目は南北間の後続協議が進まず履行されなかった。
北朝鮮は「南側の合意不履行」と主張し、これら合意を無効化すると一方的に宣言しているが、3項目以外は北朝鮮が履行していないため、破棄したとしても大した影響はない。こうしたことから、韓国政府は、今後も冷静に毅然(きぜん)とした対応を維持すると思われる。
韓国政府が、統一部報道官の論評で迅速に遺憾を表明し、国防部を通じ「NLL(北方限界線)侵犯時は断固対応する」と明らかにしたのも、こうした基調を示している。また、現在は経済危機克服が韓国政府の最優先課題となっているほか、4月には再・補欠選挙という政治日程を控えているため、韓国が南北関係打開に向け北朝鮮に対し行動を起こす状況でもない。
当面韓国政府は、対北朝鮮警戒態勢を維持しつつ、不必要な摩擦を避ける一方、徹底した韓米共助を通じ「通米封南」という北朝鮮側の意図を無力化することに注力すると思われる。
統一部の金夏中(キム・ハジュン)長官は1月30日、京畿地域機関長らの集まりの朝食懇談会で、最も北朝鮮を理解したとされる金大中元大統領の任期中にも、5度にわたって35カ月間南北関係が断絶したと指摘し、現政権では南北の厳しい状況が10カ月に及んでいるが、これは1度は経なければならない調整期であると述べた。
また、今後韓国がどう対処するかが重要だと強調し、北朝鮮がどんなに批判してきたとしても南北対話を提議し続け、実質的な交流協力を支援しながら、毅然とした態度で対処しなければならないと述べた。
何よりも国内の親北朝鮮・保守間の「南南葛藤(かっとう)」が生じないよう努力すべきだとし、原則と柔軟性をもって対応すれば、この10カ月間は今後の正常な南北関係発展に向けた有意義な期間となるとの考えを示した。
最後に金長官は、北朝鮮の態度に変化がない限り、現在の調整期は続くとの見通しも示した。
3、韓国の与野党と世論の動向
与党ハンナラ党は南北関係がさらに行き詰まることを懸念し、北朝鮮への非難を自制しつつ状況を見守る考えだが、野党も李明博政権の対北朝鮮政策転換を促しつつも、北朝鮮の措置に遺憾を示した。
ハンナラ党の趙允旋(チョ・ユンソン)報道官は会見で、即時に対応するより事態を見守るとの党方針を明らかにし、北朝鮮が対話を提議すればいつでも応じる姿勢を堅持していると述べた。ハンナラ党は北朝鮮に対しいつでも人道的支援を行い、南北共同宣言と南北首脳宣言をいかに継承し、実行するかを話し合おうとする立場だと強調した。
民主党も2月2日、丁・セギュン代表が、南北間軍事的緊張を高める措置を北朝鮮が相次いで取っていることに対して 「北朝鮮は直ちに対決姿勢を撤回し交渉態勢に移らなければならない」と促した。また李明博政権に対しても「6・15」、「10・3」宣言履行の意思表明をすべきだと主張した。
自由先進党、進歩新党も北朝鮮に対して「遺憾」を表明し、対話路線に戻ることを促したが民主労働党だけが北朝鮮の主張に同調した。
韓国の世論も北朝鮮の脅迫に動揺せず、李明博政権の対北朝鮮政策を支持している。
韓国の民間シンクタンク韓国経済研究院は2月2日、1月に世論調査機関リサーチ・アンド・リサーチと共同で実施した対北朝鮮政策に対する世論調査結果を発表した。
それによると、「無条件的な支援よりも核問題の進展に沿って段階的に経済協力を拡大する現政府の対北政策をどう思うか」という問いに対し、68・4%が「支持する」と答え、「支持しない」は27・2%にとどまった。
また、北朝鮮が6カ国協議の合意に基づいた核検証を拒否したり、南北経済協力事業を一方的に中断した中での対北経済支援の拡大をめぐっては、「支持しない」(62・2%)が「支持する」(34・1%)を大きく上回った(済州道を除く全国800人の19歳以上男女を対象に実施)。
北朝鮮は民主主義政治が分かっていない。李明博政権は、金大中、盧武鉉前政権の親北朝鮮・左派路線に対する不満による民意によって誕生した政権なのだ。金正日政権は金大中・盧武鉉両政権時代を懐かしがるが、李明博政権の対北政策は、李明博大統領個人によって支えられているのではなく、「有権者」の支持によって支えられているものである。民意によって変更された韓国の対北朝鮮政策を、李明博叩きで10年前に戻そうとしてもそれは無理というものであろう。
〔了〕