【論考】 北朝鮮の核をいかにして平和的に放棄させるべきか
コリア国際研究所所長 朴斗鎮 2007.1.5
金正日政権は昨年核実験(2006・10・9)後6カ国協議復帰の意向を明らかにした。それは10月31日中国外務省によって発表された。いつものパターンであるが超強硬に走った後の「対話路線」である。
2006年12月18日から北京の釣魚台迎賓館で始まった第5回第二段階6カ国協議は5日間の協議を行い、実質的進展がないまま22日に日程を終了し再び休会に入った。議長国中国の武大偉外務次官が読み上げた議長声明は次回開催について「できる限り早い機会に再開する」とだけ触れ、具体的に日程を定めることもできなかった。協議は1月中に再開されるとの情報もあるが確定していない。
議長声明は(1)北朝鮮の非核化を盛り込んだ共同声明(2005年9月)にある約束を真剣に実施する(2)共同声明をできるだけすみやかに段階的に実施していくため、調整された措置を取ることで合意したことなどを列記した。ただ、中国が目指した「非核化」「エネルギー支援」「日朝国交正常化」など五つの作業部会設置には北朝鮮が賛成せず、明記されなかった。
この協議に「核保有」を自賛しながら臨んだ北朝鮮代表団(団長金桂寛次官)は、「バンコ・デルタ・アジア(BDA)問題が解決されるまでは公式に6カ国協議の主題に関する話をしてはいけない」との訓令を受けたとされ、米国による「金融取り締まり」の解除を一貫して要求し、「非核化」のための実質協議には応じようとしなかった。
その「金融取り締まり問題」では、米国側の譲歩もあって在北京米・朝大使館で19日から2日間、ダニエル・グレーザー米財務次官補代理と呉光鉄(オ・グァンチョル)朝鮮貿易銀行総裁が交渉したが、ここでも進展は見られず1月にニューヨ−クで再度協議することを決めただけで散会した。
交渉が決裂すると、米国のマコーマック国務省報道官は「われわれはこうした特別な外交的交渉過程を見直すしかない」とし、6カ国協議の効用性に対する批判的見解を表した。 日本の6カ国協議首席代表の佐々江賢一郎アジア大洋州局長も「6カ国協議の信頼性に疑問を提起する見解が出てくるはず」と語った。
6カ国協議の枠組構築は、2002年10月の第二次北朝鮮核危機がキッカケとなっている。米国大統領特使として北朝鮮を訪問したジェームス・ケリー米国務省アジア・太平洋担当次官補は、2002年10月、北朝鮮外務省姜錫柱第一次官と会い、北朝鮮が秘密裏に開発中である高濃縮ウラニューム(HEU)核開発に対する証拠を提示し、これは「ジュネーブ基本合意(1994・10)の違反であるとして即時中断を求めた。これに対して北朝鮮側は当初否認していたが、すぐさまそれを「認める」行動に出たのである。
その後、北朝鮮当局はNPTを脱退(2003・1)し、核施設再稼働と核燃料棒の取り出しを行い、2005年2月にはついには核武器保有宣言へと突き進んだ。そうした中で2005年9月、第4回六カ国協議が開かれ、なんとか共同声明(9・19)合意にこぎつけ、一時は平和的解決の糸口を見つけ出したかのように見えたが、この合意は余りにも粗雑であった。
1、六カ国協議だけでは北朝鮮の核を放棄させられない
この合意が未熟であったため北朝鮮の核実験を食い止めることが出来なかったともいえるだろう。それは一言でいって北朝鮮の「覆し戦術(反故に出来る文言を挿入し約束を覆し、その責任を米国になすりつける)」を阻止するだけの明確な合意に達していなかった。
第4回6カ国協議の「9・19共同声明」では、北朝鮮があらゆる核兵器と既存の核開発計画を完全に放棄しNPTとIAEA補償措置に復帰したならば、米国が、「朝鮮半島において核兵器を持たず、北朝鮮に対する核兵器または通常兵器による攻撃や侵略を行う意思のないことを確認し、国交正常化のための措置を講じる」と明記した。
日本は「平壌宣言に基づいて不幸な過去を清算し、懸案(拉致問題)の解決を行うことで北朝鮮との国交正常化措置を講じる」と約束した。そればかりか中国、日本、韓国、ロシア、そして米国は北朝鮮に対してエネルギー支援を行い、特に韓国は200万kWの電力供給を行う」と記した。
しかし、共同声明発表の1日後、早くも軽水炉提供問題をめぐって米国と北朝鮮の間で「先核放棄後軽水炉提供」(米国)、「先軽水炉提供後核放棄」(北朝鮮)と全面対決することとなった。9・19声明の各項目に、米・朝双方が自己の正当性を主張できる根拠と合意書不履行の責任を相手側に転嫁できる用語が挿入されていたからだ。
具体的に言えば、共同声明第1項の最後に「北朝鮮は、原子力の平和的利用の権利を保有していると発言した。他の参加者はこの発言を尊重すると述べると同時に、適当な時期に北朝鮮に対する軽水炉提供問題に対して論議することで合意した」と記された。また共同声明第5項は、「六カ国は『約束対約束、行動対行動』原則に従い、前記意見一致の合意事項に対してはそれを段階的に実施する調整された措置を講じる」などなどと記した。こうした文言は、何をいつまでにどのようにするのかという規定すら明確でない曖昧なものであった。
このような合意書でもって、自分の思い通りにならなければすぐに「瀬戸際政策」に逆戻りする北朝鮮を制御統制出来るはずがない。そう信じていたのなら余りにも金正日政権を甘く見ている。
9・19声明は、北朝鮮問題の本質を見抜いていない合意書であるばかりでなく、お互いの対立する見解を解消することは勿論、まともに調整すら出来ていない文献だ。
この矛盾だらけの合意書を論議していたその時、米国財務省は連邦官報でバンコ・デルテ・アジア銀行(BDA)を北朝鮮の資金洗浄拠点と指摘した。その後スチュアート・リビー米国財務部次官は「BDA銀行の資金が大量破壊武器(WMD)と連関していたことをはじめから確信していたが、調査が進むにつれ一層大きな不法行為が明らかになった」と語った。
金融取り締まりが進むにつれ、BDA銀行の2400万ドルの凍結ばかりでなく、北朝鮮と取引するその他の金融機関、スイスのコハス、シンガポールのユナイテッドオーバーシーズン銀行、韓国の外換銀行と新韓銀行、中国の商業銀行、日本の大手銀行などにも拡散した。それから1年4ヶ月、北朝鮮は銀行口座を利用した正常な対外取引までも大幅に制限されることとなった。そして外貨不足と貿易決済の困難さのため北朝鮮は仕方なく金塊の販売にまで乗り出している(読売新聞2006.12.26)。
「金融取り締まり」はあくまで偽造紙幣の流通や資金洗浄などの違法行為を中断させる国内法に基づくものであり、北朝鮮核問題の解決を図る圧迫ではない」と米国は主張しているが、北朝鮮は「体制の転覆」を狙った措置と受け取った。ラファエル・ヒール米議会調査局研究員の指摘どおり、この措置が「国際経済から北朝鮮を締め出す圧迫戦略」として効果を上げていることは確かだ。だがそれは北朝鮮の「犯罪行為」がもたらしたものである。
第4回6カ国協議では「核の平和的利用」を盾に「覆し戦術」を駆使した金正日政権は、今回の第5回第二段階6カ国協議では「BDA問題」を盾に「覆し戦術」を展開した。
このような経緯を見たとき「6ヶ国協議」という外交的手段だけで北朝鮮の核放棄を実現させることが「幻想」に近いものであることが分かる。
これまで多くの北朝鮮分析家は、北朝鮮の「核開発」を外交のカードとして見てきた傾向がある。もしもそうであるならば、6カ国協議は有効かもしれない。しかし徐々に明らかになってきているように、それは外交のカードではなく金正日政権の持つ本質、すなわち核武装を目指す「先軍政治」の本質がもたらしたものである。金正日政権がそれを交渉の手段として活用し、核開発の資金と時間を稼いできたことは確であるが。
核武装が金正日委員長の打ち出した統治路線である「先軍政治」に起因するものである以上、それに打撃を与えない限り、外交交渉である「6カ国協議」だけで「北朝鮮の核放棄」を実現することは出来ない。
2、北朝鮮の核は金正日の「先軍政治」が生み出したもの
1994年7月、金日成の死亡で名実ともに北朝鮮の新しい指導者として登場した金正日委員長は1993年9月「国の政治・軍事・経済力量のすべてを統率する国家最高の職責」(1993.9.5、最高人民会議常任委員会委員長金英南の推戴辞)である国防委員長に就任し、1996年自らの統治路線を「先軍政治」と命名した。そして北朝鮮は、1998年の憲法改正で国家主席を廃止し、国防委員長が国家を束ねる役職となった。
1)核武装をもたらした軍事力崇拝
「先軍政治」が登場した背景について北朝鮮の元将校であったキム・ギョンイル氏が次のように述べている。
「北朝鮮の公式宣伝資料によると、‘先軍政治’は1995年1月の『金正日タバッソル哨所訪問』から始まったとしているが、実は1996年の春からである。‘先軍政治’は、それまでの政治運営方式であった‘千里馬運動’や‘三大革命赤い旗獲得運動’のように、何かの会議や論文、演説を通じて新しく提起したとか、社会の集団的な生産革新運動を成文化したものではない。それは崩れ行く統治体制と社会秩序を何とか建て直そうとするあがきが、形式化され加工され生まれてきたものだ」。
では一体「先軍政治」とは何なのか?ここではその詳細については省き、その本質を金正日のいくつかの語録で見てみることにする。
彼は「先軍政治の哲学」を銃に対する自身の哲学であるいわゆる「銃観」で説明している。彼は次のように述べている。
「われわれの銃は階級の武器、革命の武器、正義の武器である。われわれの銃には、抗日革命烈士の高貴な血と魂が込められており社会主義の運命がかかっている。銃がなければ敵との闘いで勝利することも出来ず、国と民族、人間の尊厳と栄誉を守ることが出来ない。・・・私はいつも銃と共に生きている。この世であらゆるものが変化しても銃だけは主人を裏切らない。銃は革命家の永遠の友であり、同志であるといえる。これがまさしく銃に対する私の持論であり銃観だ」(キム・チョル著、「金正日将軍の先軍政治」、平壌出版社、主体89〔2000〕年9月30日)
この語録でも分かるように、金正日が信じているのは銃(軍事力)だけであり、したがって彼は銃に依拠し、銃を通じて自身の信念は勿論体制をも守護するという徹底した「銃至上主義信仰」で武装している。このような「銃隊思想」の具現が「先軍思想」である。
彼は1996年11月、数十万の北朝鮮住民が食糧難で餓死していた正にその時、人民軍部隊を現地指導しながら、「軍強化優先主義」について次のように語った。
「トンムたちは私が国の経済事情が難しいのになぜ人民軍隊の強化に莫大な資金を投入し、工場や農村ではなく絶えず人民軍部隊を現地指導するかをしっかりと知らなければならない。国の経済状況が苦しいからといって人民軍の強化を怠れば、わが人民は帝国主義植民地奴隷の運命に転落するからです」(前掲書、p304)。
このような彼の軍強化優先方針を発展させ、いわゆる統治路線として提示したのが「先軍政治」である。彼は「先軍政治は私の基本政治方式であり、わが革命を勝利に導く万能の宝剣」(1999.6.16労働新聞)と規定しながら「軍隊は社会主義の守護者であるばかりか、幸福の創造者の役割を遂行する」と主張し、経済生産にたいする軍隊の介入と役割を強調している。
そればかりでない、彼は先軍政治理論を展開し、マルクスとレーニンが規定した「革命の主力軍としての労働者階級」という命題を「軍隊が共産主義革命の主力軍」という命題に変えてしまった。
北朝鮮の文献は、先軍政治の観点から規定した「革命の主力軍」を次のように記述している。
「わが党は時代の発展と変化した社会階級的関係を深く分析し、革命運動の歴史で初めて先軍後労の思想を打ち出し、人民軍を革命の核心部隊である主力軍として規定した」(コ・ジョボン著、「先軍時代革命の主体」、主体94〔2005〕年12月25日, p32)
このように「革命の主力軍」が労働者階級から軍隊に変わったため「党の軍隊」という命題も修正するしかなく、この後北朝鮮では先軍後党の論理が示された。北朝鮮の文献には「先軍後党論」を次のように記している。
「主体革命では社会主義の政治問題を既存の革命公式や関係に拘束されることなく主体的に解き明かしてきたことを見ることができる。すなわち先党後軍ではなく先軍後党の道がさし示されたのである。
具体的には金日成主席が主体革命偉業の開拓期に、はじめに朝鮮人民革命軍を創建してその強化発展で祖国光復会を組織し、解放後には党を建設し、その次に軍隊を正規軍に強化発展させ、続けて建国の偉業を成し遂げられた。
金正日将軍は、首領様の革命闘争史は、軍隊をはじめに創建し、それに基づいて革命と建設を勝利へと導いた先軍革命領導の歴史であると言われ、金日成主席の革命闘争史を先軍革命領導史と規定された」(前掲書、「金正日将軍の先軍政治」、p20−21)
このように金正日委員長は先軍政治論を展開し、軍隊と労働者階級、軍隊と党の関係を自己式に再定義し「軍隊が党であり国家であり人民だ」(前掲書「先軍時代革命の主体」p69)と規定することによって「軍至上主義」を宣布した。
こうした観点から国家、党そして人民を論じ、軍隊を最上位において「先軍主義」を唱えているのであるから、統一問題や朝鮮半島の平和問題もすべて「軍事至上主義」観点で規定されるのは当然の帰結である。
2)先軍政治の統一戦略
先軍政治と統一について金正日政権は次のように主張する。
「先軍政治と祖国統一の関係は、何よりも先軍政治の威力で民族の自主権と尊厳が最上の状態で保障されることによって、わが民族同士が祖国統一を一日も早く成就できるところにある・・・
先軍政治と祖国統一の関係を見たとき、祖国統一はその本質的内容から先軍政治方式の具現を要求するところにある・・・
今日朝鮮半島における祖国統一の最大の障害要因は、米国の南朝鮮駐屯だ・・・
米国の民族抹殺的な自主簒奪を除去し、民族の念願である祖国統一を成し遂げようとするならば、先軍政治方式を具現しなければならない。先軍政治方式を具現してこそ米国の覇権的対北朝鮮侵略政策を阻止し、朝鮮半島の強固な平和を保障することが出来、進んでは朝鮮半島の平和的統一を実現することができる」(シン・ビョンチョル、「祖国統一問題100問100答」、平壌出版社、主体92〔2003〕年2月5日、p175−177)
このように金正日政権は「先軍政治」の観点で統一を認識しなければならないと主張する一方、同じ論理で「南朝鮮」と「朝鮮半島」の平和が「先軍政治」によって保障されていると次のように主張している。
「万一先軍で固められたわれわれの強力な戦争抑止力がなかったならば、数十数百回戦争が起こっていただろうし、北と南を含めた全朝鮮半島が取り返しのつかない戦争の火炎に包まれただろう。
全民族の生存と安寧を守るわれわれの先軍威力があったため南朝鮮の人民はこれまで戦争を知らず、そしてその恩恵をしっかりと被っている」(2006.8.12、救国戦線『米国の傘を捨てて北(北朝鮮)の傘の元に入って来い』)
「南朝鮮の人民は今日の平和な生活が誰のお陰かをよく知り、民族の生命であり希望である先軍政治を積極的に支持擁護し、受け入れなければならない」(2006.8.26、北朝鮮WEBサイト「わが民族同士」)
以上で引用したように金正日政権は、先軍政治を最高の統一路線、平和の防壁と規定し、先軍政治の徹底した遂行のため軍需工業の発展を国家の最大戦略課題と提示し、飢餓にさまよう北朝鮮住民を動員した。
昨年の8月24日に開催された「先軍領導46周年中央報告大会」において人民軍総参謀長金英春次帥は次のように演説した。
「国防工業を発展させることは、革命と建設において第一次的戦略的課題と捉え、ここに最大の力を注入し、いかなる厳しい状況があろうとも祖国の安全と革命の勝利的前進を軍事技術的に担保できる国防工業に発展させなければならない・・・。政治思想的攻勢を力強く繰り広げ、あらゆる党員と人民軍将兵、そして人民をわが党の先軍思想と社会主義に対する必勝の信念で武装させ、社会のあらゆる成員が革命的軍人精神で生きるようにしなければならない・・・」。
このような金委員長と軍の最高位当局者の発言を通じて、核開発に対する金正日政権の執拗な意思を読み取ることができる。
北朝鮮の軍事当局者は、すでに通常戦争では米韓連合軍と戦えないだけでなく、韓国軍との対決すらおぼつかなくなった北朝鮮の戦闘力を自覚し、迷うことなく大量破壊兵器での武装に踏み切ったのである。
最も短時間で、そして最も少ない資金で、最先端科学武器で武装した米韓連合軍と対峙するためには、大量破壊兵器を生産しなければならず、そしてその最も強力な武器である核兵器を保持しなければならないとしたのだ。それ故金委員長は自己の政権の運命を核とミサイルにゆだね、いかなる難関を克服してでも核武器を保有し、その数量を増やすことにまい進して来た。
それはまた、韓国を核の威力で軍事的に制圧し、「核の恐怖」で統一を実現しようとするものであり、「先軍統一」実現に立ちはだかる米国と日本をけん制しようとするものである。こうして見た時、金正日の先軍政治において核武器が占める地位と役割は、名実ともに「強盛大国」建設の根幹であるといえる。それ故北朝鮮の核を対話による経済支援での包容や、いくらかの補償と取り替えることは不可能だと断言できる。
金委員長は、外交カードで核兵器を開発しているのではない。また米国が圧迫することも直接の動機ではない(最近韓国と日本の一部で騒いでいる「米国責任論」は金正日の本質を覆い隠すためのものである)。それは、彼自身の「思想」がもたらすものであり、そして朝鮮半島を我が物とする「野望」がもたらしたものである。
核兵器の開発が、金正日自身の内的要求から出ていると認識した以上、経済的・外交的手段に偏ってきたこれまでの交渉方法を一日も早く根本的に見直し、新しい方法を採択しなければならない。その方法とは何か? それは金正日政権の生命維持装置である先軍政治を直撃することだ。
3、韓米日は結束して先軍政治に打撃を与えなければならない
上で見たように、金正日政権は、軍事力だけを信奉する「軍(暴力)至上主義政権」である。それ故北朝鮮核問題の究極的解決のためには、先軍政治に打撃を与えなければならない。すなわち政権の支柱である軍部、党、内閣など体制の中核で、莫大な資金を投入して構築した核軍事力が、効果を発揮していないばかりかむしろ国家体制を危機に陥れているとの認識を深めさせ、内部の動揺を呼び起こすことが必要である。
もし北朝鮮内部で核保有に対する疑問が起こり、それが北朝鮮社会全般に蔓延している人民大衆の体制不満と結びつけば、内部崩壊を促すこととなり、外部からの経済的・外交的圧力が真の効果を発揮することとなる。
過去こうした戦略を示したのが米国のレーガン政権だった。
周知のとおり、米国とともに世界軍事大国の双璧であった旧ソ連は、保有していた数万発の核兵器中ただの一発も使えないまま内部分裂によってあえなく滅びてしまった。その背景には、計画的で意図的な対ソ崩壊戦略を展開した米国のレーガン政権が存在した。
しかしこれまでの米国をはじめとした北朝鮮周辺国が取ってきた政策は、経済的・外交的制裁が中心である。これでは1996年以降の「苦難の行軍」時期を経て、飢餓を耐え抜く耐久力とこれを克服する自助力を会得した北朝鮮を屈服させることは出来ない。ましてや、中国と韓国が、金正日政権の崩壊を恐れ、崩壊防止のため多大な援助を続けている状況ではなおさらである。
1994年10月、米朝間にジュネーブ合意が成立しその後10余年の間、関係各国は、軽水炉、重油、食料、肥料、医薬品支援を行い、韓国は太陽政策に基づいて金剛山観光開発、開城工業団地の造成など対北朝鮮直接投資、賃加工貿易などを促進しただけでなく、数十億ドルの人道的経済的支援を行って来たが、金正日政権は以前とは何一つ変わらず、ついには核実験まで行った。
こうした過去の経験を考慮したとき、今後の方策としては、先軍政治の弱体化に的を絞り、軍事的圧力で支配層内部の対立と動揺を誘発させる戦略と戦術を構築することが重要であると思われる。
1976年8月、板門店で米軍の将校2名が、北朝鮮軍兵士のナタで殺害された事件(8・18ナタ蛮行事件)が起こったときである。事件発生後、韓米両国軍は即時に戦闘態勢に突入し、全面的な対北朝鮮攻撃の一歩手前まで至った。そして空挺部隊一個中隊を板門店に突入させ、事件の原因となったポプラの木を伐採した。こうした韓国軍の力の行動を目の当たりにした北朝鮮人民軍総司令官金日成は、即謝罪し、使節団を派遣して「遺憾の意」を公式表明することで事件を終結させた。この事件の顛末は現在の対金正日戦略を打ち立てる上で示唆的である。
勿論6・25(朝鮮)戦争を直接指揮し、勝利と敗北を経験することで相手の軍事力を知っていた金日成と、こうした経験のない金正日とでは戦争に対する認識において相当な違いがあることは確かだ。しかし利害打算に長けている金正日である。勝ち目のない戦争に出てくるはずがない。
こうした事実を勘案したとき、米・日・韓が協調し緻密な戦略計画を打ち立てて軍事手段の動員をも辞さないとする確固たる意思を持って対処すれば、その時には金正日も国際社会と協調する道を決断するに違いない。核を放棄させるには、核が無力であることを知らしめるのが一番だ。それは戦争の一歩手前まで圧力を加えることを意味する。平和がそのようにして守られてきたことは歴史の教訓でもある。
このような戦略を展開するにはまず解決しなければならない問題がある。それは米・韓・日の団結を確固としなければならないということである。米・韓・日3カ国が一致団結して積極的な攻撃姿勢に出た時、北朝鮮と利益共有関係(stakeholder)にある中国の尻を叩くことが出来、その二面性を放棄させることができる。
いま米・韓・日協調体制構築で障害となっているのは、韓国の反米親金正日勢力である。北朝鮮の核武装は韓国の反米親金正日勢力と一対となって維持され効果を上げている。この勢力は「民族共助」の名のもとに金正日政権を支え、自主の名のもとに反米勢力を育てている。金正日政権の「先軍政治」を支えるこうした勢力に打撃を与えることなくして米・韓・日の結束は難しい。
米・韓・日が一致結束すれば中国も北朝鮮に対する姿勢を変えてくるに違いない。すでに中国は北朝鮮の核実験によって「核不拡散」という米国との共通利害を増やした。万一中国が北朝鮮核問題で不安定化した朝鮮半島情勢を安定化させるため、鴨緑江と豆満江に対する一時的または部分的閉鎖を断行するだけでも北朝鮮は深刻な危機に直面する。そこまでは無理だとしても、中国がより強い態度で北朝鮮を説得し、韓国は金剛山観光と開城工団協力事業の中断を宣言し、日本が米国とともに経済制裁を強化するなど周辺国が毅然とした対応に出てそれに米国の軍事的圧力を組み合わせるならば北朝鮮としてはどうにもならなくなるだろう。そうしたからといって金正日政権が暴発することはない。
このような状況を醸成した上でいわゆる「核放棄にともなう補償」を提示すれば金正日政権はそれを受け入れざるを得なくなる。一言でいって「先軍政治」に対する直撃弾を打ち込み、金正日委員長と体制核心部に直接的な脅威を与えた時、初めて北朝鮮核問題の平和的解決に明るい展望が開かれる〔了〕。
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