北朝鮮の核保有路線とその人事
コリア国際研究所所長 朴斗鎮
2009.2.19
2月16日に来日し、17日に日本の首相、外務大臣、小沢民主党党首だけでなく、拉致被害者家族や東京大学の学生たちとも意見の交換を行ない日本重視の姿勢を見せたクリントン国務長官は、対北朝鮮政策について、6ヵ国協議の枠内で、核問題だけでなくミサイル問題や拉致問題を含めた包括的な解決をめざすと言明した。また北朝鮮が核放棄に向けた準備を行なえば米国も国交正常化に向け行動を起こすとも言明した。
オバマ政権対金正日政権の外交戦は始まったと見てよいだろう。しかし「核の検証」を「核軍縮交渉」として位置づけ、北朝鮮の非核化を「朝鮮半島の非核化」とすり替えている北朝鮮に対して、「外交交渉」だけで核を放棄させることはほとんど不可能だ。特に最近の北朝鮮は、軍・党・政府に強硬派を配置し、「改革開放路線」を明確に否定している。それはまた核保有国家として生き残りを目指すという意思を示したものでもある。
1、「軍・党・政」の大幅な入れ替えへ
北朝鮮は核保有国家として生き残りを目指すために党・軍・政府と外郭団体など体制全般にわたって人事刷新を行っている。
韓国統一部が2月11日に発表した、北朝鮮の主要人物302人をまとめた人名簿「2009・北朝鮮の主要人物」を中央日報が分析した結果、中核幹部302人のうち、07年から現在まで新しく任命された人物は51人で、およそ6人に1人が入れ替わった模様だ。 統一部当局者はこの名簿について、「うわさや間接的な確認ではなく、北朝鮮のマスコミや公式発表を通じて確認された内容だけ収録している」とし「未公開の人物を含めば人事の幅ははるかに大きくなる」と説明した。
軍首脳部の大幅交代
金正日国防委員長はこの2年間、空軍司令官(李炳哲、大将)、海軍司令官(チョン・ミョンド)、作戦局長(金明国)、総政治局第1副局長(金正覚)、宣伝部局長(鄭太根、中将)、金日成軍事総合大学総長(ヨ・チュンソク)ら軍の指揮部を全面交代させた。
北朝鮮関連情報を扱う韓国政府当局者は「かれらは韓国戦争を直接経験しておらず、戦争を簡単に考える強硬派である。最近の緊張醸成とこうした人事は関係がないとは言えない」と説明した。この北朝鮮軍の人事でのもう一つの特徴は、金委員長の世代で埋められていることである。
党の「新・再起用」併用人事
「党の中の党」と言われる組織指導部には、李容哲(リ・ヨンチョル、軍事担当)、李済強(リ・ジェガン、党生活担当)第1副部長らが主軸となる中、キム・ギョンオク第1副部長が加わった。同氏は90年代半ばまで、金正日書記室の軍事補佐役を経て李容哲第1副部長の下で副部長を務めたが、昨年末に昇進した。
韓国情報当局の推定によると、李容哲副部長は野戦分野を、キム・ギョンオク副部長は「軍の中の党」とされる総政治局をそれぞれ担当するという。
張成沢(チャン・ソンテク、行政部)、金養建(キム・ヤンゴン、統一戦線部)部長らとカン・ドンユン(組織指導部)、リュ・ヨンソン(統一戦線部)副部長、キム・ソンギュ(民防衛部)らも新しいポストに就いた人物だ。
復活組みも目立っている。最近、再起用された代表的な人物は崔益奎(チェ・イッキュ、76)元労働党宣伝扇動部副部長だ。崔副部長は60年代、金委員長が宣伝扇動部課長だった時代に親密な仲となって以来、宣伝分野を担当してきたが、05年に文化相を解任された。 しばらくの間公式の会場から姿を消していた同氏は今月11日、金委員長が砲兵部隊を視察する写真に登場した。韓国の情報当局者は「同氏が復帰したといううわさはあったが、写真公開から考えて、宣伝扇動部副部長に復帰した可能性が高い」とした上で「金委員長の親類とされる幹部部副部長も一時ポストから外されていたが、復帰した」と伝えた。
ラ・ジョンビン元中央党副部長も昨年初め、平壌市人民委員会の責任秘書に再起用された。同氏は金委員長の仲立ちで結婚したほど信任が厚かったが、2000年代初めに不正事件で辞任した人物だ。
内閣長官の大幅交代
内閣(行政府)は昨年だけでも長官30人のうち9人を交代させた。うち6人が昨年10月以降に入れ替わっている。昨年8月に脳卒中で倒れた金委員長が業務に復帰した直後、「経済司令部」にあたる内閣にメスを入れた。特に現在の内閣を構成する長官のうち、発電所・造船所・炭鉱など各種の工場と企業所で長年活動してきたテクノクラートが、首相を含め17人にのぼっている点が注目される。これは最高人民会議を経て3月にスタートする金正日政権の第3期と、2012年の「強制大国」を目指す狙いとも関係している。
外郭団体の責任者らも大幅に入れ替わった。金日成社会主義青年同盟委員長(李ヨンチョル)、朝鮮職業総同盟委員長(金炳八)、朝鮮女性同盟委員長(盧成実)らが新しいポストに就いた。
2、目立つ張成沢人脈の起用
この一連の人事異動で張成沢朝鮮労働党中央委員会行政部長の側近が、権力の前面に急浮上していることが特徴的だ。「今回の人事の核心は、軍部要職に張部長側の人物を配置したこと」と指摘する韓国専門家もいる。
その代表的な人物が、11日に任命された金英春人民武力部長と李ヨンホ総参謀部長、そして朴明哲(パク・ミョンチョル)国防委員会参事だ。朴参事の場合、北朝鮮当局が任命を公式発表したものではなく、朝鮮中央通信などの北朝鮮メディアが12日夜から翌日にかけて報じた金総書記の視察同行者の名から明らかになった。
複数の韓国情報消息筋は、北朝鮮メディアが報じた朴参事が、「粛清」された朝鮮体育指導委員長を務めた朴明哲氏だと確認した。朴氏は地方のある郡で人民委員長を務めていたが、最近、国防委参事に電撃起用されたものと伝えられている。
朴参事は、金日成主席の信頼があつかった対韓国工作員として上層部にあった人物の長男で、張部長の系列だ。1975年に体育委員会副委員長、1992年には委員長に昇格し10年にわたり体育界を率いてきた。ところが彼は2003年末、多数の幹部と共にある幹部子息の結婚式に出席したことで「権力欲による分派行為」と糾弾され、「張成沢ライン」として粛清された。
この時の「事件」で、労働党組織指導部第1副部長として強大な権力を誇っていた張部長も2004年初めに業務停止処罰を受け、側近ともども左遷された。この背景には高英姫グループの策略があったとされている。しかし、2005年末に張部長が中央に復帰、その側近も地方幹部に相次ぎ起用される形で復活した。2007年南北首脳会談にあたり、軍事境界線で当時の盧武鉉大統領を迎えた崔竜海(チェ・リョンヘ)黄海北道党責任秘書も、張部長の系列とされる。
3、鮮明になった核をバックにした対決体制
北朝鮮は金永春(キム・ヨンチュン73・次帥) 国防委員会副委員長を人民武力部長に、李ヨンホ(大将) 平壌防御司令官を総参謀長に任命したが、これは核保有国路線の推進と対韓国対決を意味するものでもある。
金永春は、1994年に起こった「第六軍団反乱」時、党組織部副部長の張成沢と共に鎮圧に向かい残忍な弾圧を行なった人物だ。 1995~2007年人民軍総参謀長を勤めた後、国防委員会副委員長に移動した。前任の金鎰封白キが海軍出身なのに比べて彼は陸軍軍団長出身で軍内地盤もしっかりしていると言われている。
金永春はまた、1995年以降、北朝鮮による数々の挑発行為を実際に行ってきた強硬派でもある。東海(日本海)での潜水艦侵入事件(98年)やテポドン1号の発射(98年)、また第1次延坪海戦(99年)、第2次延坪海戦(02年)、テポドン2号の発射と核実験(06年)など、すべて金永春が総参謀長だった期間に起こったものである。
金永春の人民武力部長就任をきっかけとして、北朝鮮軍による対南・対米姿勢は、さらに強くなる可能性が高まった。2月18日にも北朝鮮軍参謀部スポークスマンは、朝鮮中央通信とのインタビュー形式で再び対韓国全面対決を主張している。
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