北朝鮮を語らずして韓国を批判する姜尚中氏の『政治学入門』
金一男
1944年神奈川県出生。早稲田大学第一文学部史学科卒。
韓国・漢陽大学文学部修士課程修了。韓国現代史研究者。
2009.10.11
韓国の代表的親北朝鮮学者姜萬吉氏はその『韓国現代史』において、北朝鮮を語らずして韓国の正統性を批判することで事実を歪曲し、真実をゆがめた。同様の例を在日社会にも見ることができる。『姜尚中の政治学入門』(姜尚中著、集英社、2006年、東京)がそれである。
北朝鮮との対称性を排除して韓国を評価することは韓国の歴史を正しく理解するうえで危険なことといえる。しかし、姜尚中氏はその著作において一度も北朝鮮についての所見を具体的に述べたことがない。それはこの著作においても同様である。また、自分は韓国語も十分には理解できず、朝鮮史は自分のフィールドではないといった趣旨の発言もしている。
だとすれば、氏の朝鮮半島問題の立論が先入見、あるいはイデオロギー的偏見に基づく臆説となる余地が十分にあり、氏の学問的な誠実性が問われることになる。ことは単なる学問的な仮説の設定や第三者としての批評的発言にはとどまらない。われわれは今、南北7000万人の運命について語っているのだから。
そうしたことを踏まえて、北朝鮮を語らずに一方的な認識に基づいて韓国論を語る姜尚中氏の断定的所見を検証してみることにする。
韓国現代史に対する姜尚中氏の独断的な認識
同書の中で、韓国・北朝鮮に具体的に触れているのは、以下の2ヵ所である。少し長くなるが、ほぼ全文を引用する。
1ヶ所目は
「例えば、1990年代のクリントン政権の際も、スーダン、アフガニスタン、コソボに対しては、共和党のブッシュ政権と同様に、空爆等の攻撃的政策を取っています。1994年には、北朝鮮と戦争の一歩手前まで来ました。クリントンは、ブッシュと違って、単独行動主義的な有志連合を結成するまでのことはしませんでしたが、対外的な軍事行動の本質は、ほとんど同じです」(上掲書、第一章「アメリカ」、P.30)であり
2ヵ所目は
「現在、韓国政府が主導で進めている、対日協力をはじめとする過去の歴史を解明する動きは、一つの突破口になるかもしれません。
(A)…韓国の近代化を主導した朴正煕元大統領をはじめとする主だったパワーエリートたちが、奉天軍官学校や満州軍官学校出身の満州人脈であったことなどは、韓国におよぼした満州の、そして『日帝』の影響の大きさを物語っています。解放後の韓国はその歴史的正統性という点で、大きな問題をかかえていたわけです。(B)…重要なことは、解放後の韓国の歴史が、親日派と軍国主義者の野合の歴史であったということです。(C)…敗戦そして解放から60年、結局、日本も韓国も過去を清算してこなかったことが明らかになってきました。具体的には、1948年の済州道4.3事件や、朝鮮戦争期におけるさまざまな問題、さらには1980年に起きた光州民主化闘争などが取り上げられ、再検証されています。(D)…例えば、南北分断のなかで、金日成という存在をどう捉えるのか、また、朝鮮戦争をどうみなすのか、朝鮮民主主義人民共和国の成立をどう評価するのか、ということは、たいへん深刻な問題とみなさざるをえません」(上掲書、第六章「歴史認識」P.138〜P.141/A〜Dまでの整理番号は筆者)である。
この主張の中に北朝鮮を語らずに一方的な認識に基づいて韓国史を批判する典型的なパターンが見られる。
教条的トラウマ、姜尚中氏の反米主義
1ヶ所目の記述は、対米批判を目的とした叙述である。米国による対外政策の暴力的性格を浮き彫りにしようとする意図が強すぎるあまり、事実関係の全体的構成がゆがめられている。全体の論旨も、個別の事実の取り上げ方も、ともにゆがめられている。姜尚中氏には、反米イコール進歩とする古めかしい教条的トラウマがあるのではないかと思われる。
クリントン政権によるスーダンへの介入は、部族間紛争が大量虐殺に発展していたからである。アフガニスタンへの介入も、国際テロ組織と関連するイスラム原理主義勢力の組織的蛮行が背景にある。コソボでは、旧ユーゴスラビア解体後、セルビア民族主義による「民族浄化」とよばれるジェノサイドが展開されていた。
クリントン政権によるこれらの介入は、いずれも当時の国際世論の支持をえており、というよりその要請に応じたものであり、これをブッシュ政権の「イラク侵攻」と単純に比較して、「対外的な軍事行動の本質は同じです」とすることは困難である。
その違いにはさまざまな側面がある。2001年の「9.11同時多発テロ」を経たブッシュ共和党政権のイラク侵攻には、大義名分とは異なり、明らかに産・軍・政の複合的動機を背景とした中東の石油利権確保という不純な意図が伏線としてあった。そのため、「大量殺戮兵器」の存在がでっち上げられたのだった。
しかし、クリントン民主党政権時代の上記3国への軍事介入は緊急な人道的必要に基づく行動だった。姜尚中氏の分析は、一部特定の読者のおもわくに迎合的であり、短絡的である。
あまりに粗雑な分析と事実の歪曲
姜尚中氏は、上記の一ヶ所目の記述で、続けて「では、どこが違うのかというと、例えば、セクシャリティーやジェンダー、あるいは家族などといった、いわゆる文化に関わる価値観の違いではないかと思います」、としている。明らかにその階層的基盤を異にする米国共和党と民主党との違いを、単なる「文化的価値観の違い」に解消しようとしている。とても政治学者の省察とは信じられない粗雑な分析である。
1990年初の東欧社会主義圏の崩壊後、米国の国際戦略は、クリントン民主党政権に続く2期のブッシュ共和党政権、そしてオバマ民主党政権へと、単独行動主義から多国間協調主義への道を、ゆれながらたどってきている。アメリカという国家そのものを、政権や党派にかかわりなく単純に「悪」とするのは、一つの原理主義だといわざるをえない。
とりわけ氏の主張で問題となるのは、「北朝鮮と戦争の一歩手前」の部分である。スーダンなどへの軍事介入と一律に並べることで、問題の発端が北朝鮮の核開発にあった事実が、ほぼ意図的に伏せられている。少なくとも、「北朝鮮による核開発をめぐって北朝鮮と戦争一歩手前」とするなり、「核開発をめぐって北朝鮮と戦争の一歩手前」とするのが、学者としての最低限の良識ではなかっただろうか。
このような叙述上のまやかしのテクニックは危険だ。やがてはテクニックに溺れて真実を見失うことにもなりかねない。自己の立論や仮説については片時も懐疑のムチをゆるめてはならず、真実を見失うことを恐れ続けることは学を志す者の原点ではなかろうか。
それまで密かに核兵器開発を行っていた北朝鮮は、1993年3月、国際原子力機構(IAEA)の査察を逃れるために核不拡散協定(NPT)からの脱退を表明した。
この時、クリントン政権は最悪のパターンを想定して空爆のプランを持つにいたる。しかし、94年6月のカーター元大統領の訪朝により、金日成はIAEAの査察継続に同意した。その金日成は7月に死去し、3ヶ月後の10月、米朝枠組み協定が結ばれる。95年3月には朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が発足、関連諸国の支出で北朝鮮支援の体制が組まれ、97年8月、北朝鮮の新浦で軽水炉型原発が着工にいたった。
以上が第1次北核危機の流れである。「戦争の一歩手前」の状況を作り出しのは北朝鮮の核兵器開発であって、米国の覇権主義ではない。
留意すべきことは、北朝鮮側がこの時点でも核開発は核兵器製造のためでなく平和利用のためのものであり、核の平和利用は自主権に属すると主張していたことである。それが偽りであったことは、北朝鮮があくまでも核兵器保有国の地位を主張するこのたび(5月25日)の第二次核実験とそれに伴う核危機が証明している。
北朝鮮を語らずに北朝鮮を擁護する
以上のように、姜尚中氏による上記1カ所目の記述には、北朝鮮擁護の意図が隠されているとみなさざるをえない。少なくとも、記述からは北朝鮮による核開発の危険性を薄める効果をもたらしている。
もしも、北朝鮮の核兵器開発について、それが何らかの理由で正しい行動である、または、やむをえない行動だとする見解を姜尚中氏がもっているのなら、氏はそれを読者に向かって正直に明らかにすべきではないだろうか。
北朝鮮の核兵器開発については、大きく分けて二つの擁護論がある。
一つは、北朝鮮の核兵器は「自衛」のものというものであり、もう一つは、「アメリカが核兵器を持っているのに北朝鮮が核兵器を持ってなぜ悪いのか」というものだ。
二つの言説は、北朝鮮の軍事的安全が中国の核の傘によって守られてきた現実を意図的に無視している。北朝鮮に核兵器を持つことが許されるなら、同じ論理によって、韓国そして日本も核兵器を持つことが許されることになる。そうした事態がどのような結果につながるかは言うまでもないことである。
先にも述べたように姜尚中氏には、具体的な北朝鮮論の公表がない。ただ片言隻語だけで朝鮮半島問題にかかわろうとしている。それでは不誠実のそしりをまぬかれることはできない。北朝鮮に対する政治学者としての姜尚中氏の明瞭な発言に期待したい。
ちなみに、同書の第二章「暴力」のところで姜尚中氏は、「革命党は、人民という聖なるものの代行機関であり、前衛である自分たちだけが、革命的暴力の主体として許容される。こうした考え方は、つい最近まで、左翼思想を継承する一部の人々によって実践されていました」(P.54)、と述べている。
暴力主義的アナーキズムへの批判的叙述である。このような「革命的英雄主義」こそは、1950年6月に朝鮮労働党をして朝鮮戦争を敢行せしめた観念であった。北朝鮮は、現在も朝鮮戦争は「米帝国主義と南朝鮮反動勢力」がしかけたものだとし、ことあるごとにその惨禍に対する復讐を人民に呼びかけている。
しかし、問題はそれにとどまらない。朝鮮労働党は、本来「前衛」にのみ適用されるべき組織規律を市民社会一般に強要して普遍化した。そして「全国土の要塞化」「全人民の武装化」をスローガンとして掲げ、それが現在の「先軍政治」へとつながっている。これは、彼らがかつて依拠したマルクス-レーニン主義の原理論からすれば、「左翼小児病」と規定されるべき逸脱である。北朝鮮当局は、その逸脱を「主体思想の独自性」として強弁することで合理化した。
「主体思想」の「絶対性」の論理は、社会主義政権における権力の王朝的「世襲」という逸脱を合理化することにも利用された。
1970年代中盤、北朝鮮指導部は革命の困難と長期性を指導者の絶対性に結びつけ、さらに血統的後継者の絶対的権威にこじつけた。「代を継ぐ指導者への無条件的忠誠」という滑稽な「後継者論」を展開し、「世界革命の首領」金日成からその息子への権力世襲を強行したのだった。
「社会主義」は、北朝鮮における個人崇拝扇動によって名実ともにドロにまみれた。今日の北朝鮮は、原理的にも社会主義社会とはいえない。もはや社会主義以外の得体の知れない何ものかである。このような社会に対して、姜尚中氏は氏の理念的立場からどのように考えているのだろうか。
歴史的現実を無視した不誠実な記述
姜尚中氏の2ヵ所目の記述に移る。
記述全体として、(A)〜(C)までと(D)とが対称関係に組み立てられている。前者は韓国批判であり、後者は著者自身のコメントなしに「金日成」「朝鮮戦争」「朝鮮民主主義共和国」といった個別的な問題提示の羅列となっている。
問題は、後者の問題提示に対する著者のコメントがまったく欠落していることである。そため、表現効果として、韓国はその国家的正統性に問題があり、北朝鮮の国家的正統性には問題がないということを印象づけることとなっている。
北朝鮮関連の項目に対しての著者の言及がないため、何のためにこうした操作をするのか、その理解に当惑する。実は姜尚中氏の頭の中で明瞭な整理ができていないからではないかと思われるが、実に不誠実な記述の仕方になっている。
(A)の記述では、朴正煕元大統領らが日本の軍官学校出身であることから、「日帝」の影響があり、韓国の国家的正統性に問題がある、とする。
1945年8月、朝鮮の南北は日本軍を武装解除するために38度線を境界として米ソ両軍に分割占領され、複雑な経緯を経て北には親ソ的政権、南には親米的政府が形成された。これは誰もが知る歴史的事実である。
南北の分断権力は、東西冷戦体制と世界的な理念対立の中で、それぞれ米ソの「衛星国家」として出発せざるをえなかったことも誰もが知る事実である。王朝時代の鎖国政策のために時代の流れに取り残され、ついに自力での民族解放ができなかったのだから、「国家の正統性」を問題にするなら、いかようにも問題にできるであろう。
だが、厳然たる事実は、60余年後の今日、大韓民国は経済的・社会的に成功した国家となり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は失敗した国家となったという現実が存在することである。結果として、韓国の進路は方法的に正しかったのであり、北朝鮮の進路は方法的に誤っていたのである。
国家ないし地域は、数百万人、数千万人の生活がかかった社会統合の舞台であり、統合の内実が統合のプロセスを合理化する。「国家の正統性」なるものは、統合の果実が決定するのである。「国家の正統性」を決めるのは、そこに住む人々の命の重みであり、生活以外の何ものでもない。
歴史は弁証法的展開の中で綴られる。世界中のどこに、出自を問題にされない国家などが存在するであろうか。国家が受益者のための法的な暴力装置であることは誰でも知っている。問題は、その統合の内容であり、質なのだ。
もし韓国が失敗した国家となったのなら、1948年の建国から1988年のソウルオリンピックまでの40年の韓国歴史のうち、建国当初の12年間におよんだ李承晩政権や、18年余の間持続した朴正煕政権の、あわせてほぼ30年の執権期間の責任に帰せられるかもしれない。指導者の一部の出自も問題にされうるであろう。
しかし、韓国が世界でもまれな成功した国家であり、その韓国の経済的基盤が李承晩政権から朴正煕政権までの30年間に築かれたということは厳然たる事実なのだ。このことは、かつて独立運動に挺身して命を落とした人々の尊厳と名誉とは別の範疇のことがらでる。彼らもまた、彼らが心から願った韓国を今日の現実をもって是とするはずである。
韓国政治におけるイデオロギーと南北問題
韓国における「国家の正統性」の議論は、もともと、韓国内の保守と左派とのイデオロギー分野での権力闘争の一環として始まった。それは、韓国政治の歴史的座標を明確にするうえでそれなりの意味があったのだが、左派勢力の一部が、この問題を不用意に南北問題や統一問題と結びつけてしまった。
そのため相対的に北朝鮮の国家的正統性に対する擁護論とみなされ、国民の審判において左派は破れた。その表れが、2007年12月の大統領選挙における与党の大敗であり、翌年4月の総選挙における民主党の歴史的敗北であった。イデオロギーの問題、すなわち韓国社会の統合をどのように進めるべきかの方法論の問題は、本来的に、南北問題、統一問題とは別の範疇として認識されていなければならなかったのだ。
朴正煕の出自は、死去から30年後の現在、韓国国民の70%以上が圧倒的に支持することですでに免罪されている。しかもなお、韓国国民は一指導者の神格化の傾向に対しては、これを拒否するほどに賢明な判断力を備えるに至っているのである。国民のこの批判的精神こそ、韓国という国の国家的正統性を証明している。
そもそもすべてを相関的関係において批判的に洞察する民主主義の常識は、人間において完全な人格というものを想定しないし、完全なる指導者というものを期待しない。したがって、「韓国の歴史が親日派と軍国主義者との野合の歴史であった」(B)という極端な立論はしりぞけられる。
ただし、親日派を起源とする問題を韓国における権威主義の清算過程における問題として整理するのであれば、それは意味があることであろう。もちろん、究極の権威主義体制が北に存在することを前提としてのことではあるが。
分断と対立は南北の政治権力に相互依存的な共犯関係を成立させたし、社会の強権的な統制の口実となった。権威主義の暴力的なテコとなった情報政治は、かつては南においても日常のことがらであった。
人々は38度線からの侵略と戦争の再発を恐れて、長い期間、その現実を消極的に是認し、耐えていたのである。そして、そのような状況を利用して利益を得ていた階層が隠然と存在していたことは、間違いのない事実である。
繰り返して強調するが、イデオロギーの問題は南北問題とはいったんは別の範疇の問題として考えるべきものである。まして、韓国史の歴史上の瑕疵をもって北朝鮮の現実の正当化につなげることなどは、問題に対する正しいアプローチの仕方とはいえない。
(C)「日本も韓国も過去を清算してこなかった」については、十分に検討の意味がある。特に日本の過去の清算については深く検討する余地のある問題と考えるが、紙数の関係上ここでは所見を省略する。
問題は韓国における過去の清算で姜尚中氏のいう「朝鮮戦争期におけるさまざまな問題」に関してのことである。氏が主張したいのは、おそらく、1951年2月の「居昌虐殺事件」や国連軍による誤爆事件などのことであろう。しかしこの問題を論ずるにあたっても、まずは朝鮮戦争についての姜尚中氏自身の評価を聞きたいものである。
姜尚中氏が取り上げた「済州道4.3事件」と「光州民主化闘争」の二つについて見ることにしよう。
1948年4月の「済州道4.3事件」は行政官吏たちの腐敗が原因で発生した。暴動にまで発展したことについては、南朝鮮労働党(*1946年11月に南朝鮮共産党を母体として結成、のちに北朝鮮労働党に吸収合併されて朝鮮労働党となり、朝鮮労働党が全朝鮮を代表するとする主張の根拠となった)が組織的に関与している。
したがって、南朝鮮労働党の活動に対する評価なしには、全体像を措定できない。とくに、人的犠牲を決定的に拡大した島の中での武装蜂起については、その行動が正しかったかどうかを含め、智異山パルチザン闘争への評価とともに、これからなお検証されるべきテーマである。
これは、一連の事件による犠牲者のすべてに対する哀悼とは別の問題である。
1980年5月の「光州民主抗争」は、朴正煕大統領の死去にともなう混乱の中で、軍部のクーデターに対する抵抗として起こった。今日では、1987年6月の「6月民主抗争」に連なる民主化闘争としての評価が確立されている。ただし、その犠牲者の拡大については、リーダーの一部が軍の武器庫を襲撃して武装闘争戦術を取ったことに起因しているが、この間の経緯についてはまだ資料的に実態が明らかにされていない。一部リーダーの武装闘争戦術の採用については、別に批判的評価を必要としている。
韓国における大規模な民主化闘争の白眉となる87年の「6月民主抗争」では、この教訓をもとに暴力的手段を徹底的に排除して世論をリードし、当時の軍部政権から大統領直接選挙による民政移管の誓約を勝ち取ることに成功した。
「済州道4.3事件」と「光州民主化闘争」、および「6月民主抗争」は、時代的背景を異にし、運動としてもその性格と結果とを異にする。
なお、何事にも明瞭な評価を下そうとする姜尚中氏が、これらの問題について自身の判断を明らかにしていないのは、単刀直入に言えば、具体的な事実を知らないためではないかと思われる。以後の研究の成果に期待したい。
姜尚中氏による韓国史批判の対称として提起されている(D)「金日成」「朝鮮戦争」「朝鮮民主主義人民共和国」については、姜尚中氏がどのような評価に基づいて、またどのような意図により提起したのか、判然としないため論じようがない。
繰り返して言うが、姜尚中氏が北朝鮮問題についての自身の理解を具体的に明らかにしたことがないからである。
姜尚中氏の北朝鮮論が要請されている
筆者としては、提示された3項目への評価をこれまでの分析である程度明らかにしたものと考える。また、北朝鮮を語らずして韓国を批判することの学問的な危険についても簡単ではあるが明らかにしたつもりだ。
姜尚中氏は『姜尚中の政治学入門』において、北朝鮮を語らずして韓国を批判することで、朝鮮半島現代史の全体像をゆがめたといえる。
朝鮮半島の現代史は、その分断と対立、そして和解への試みと将来の統合のすべての過程において、南北それぞれの地域における政治的・経済的・社会的動向が、互に密接にからまりながら一つの全体をなしている。
韓国を語らずして北朝鮮を語ることができないとともに、北朝鮮を語らずに韓国を語ることはできない。韓国への批判的検証の作業の試みは、北朝鮮に対する批判的分析をともなって初めて可能となるものである。
にもかかわらず姜尚中氏は、北朝鮮に対する綿密な分析を抜きにして、また、北朝鮮当局の行動をほぼ「無条件」に追認して、一方的に韓国に対する批判的評価をなそうとした。
この過った方法論のために、氏は韓国での個々の出来事についての判断と評価に失敗したばかりでなく、韓国の国家的正統性に対する判断と評価をも誤った。そして、朝鮮半島の現代史について現実とは異なる情報を読者に伝えることになった。
その結果、国民に一切の批判を禁じてきた北朝鮮当局の情報統制政策に間接的に加担したのみならず、漂流を続ける北朝鮮当局に対し、建設的な代案すらも提示できないでいる。
* * *
姜尚中氏が歴史記述において採用した「北朝鮮を語らずして韓国を批判する」方法は、つまるところ、北朝鮮当局の行動を無批判的に追認するものであり、北の世襲化された特権的支配層による歴史的誤謬と利己的な保身政策に対する援護射撃の役割を果たしてきたものだといえる。
姜尚中氏は、韓国問題や統一問題について語る前に、北朝鮮の現体制に対する見解を明確にし、北朝鮮がどうあるべきかについて公開的に語るべきである。北朝鮮の現政権をあわれむ前に、北朝鮮人民の苦しみをこそあわれむべきであろう。
もし北朝鮮における権力の空白化がもたらす災厄を危惧しているのなら、その危険が現実化する前に、北朝鮮権力のとるべき進路について、かくあるべしとの具体的な提言を明確な形で行うべきである。
実践的行動なくして何のための歴史学であり、誰のための政治学であるのか。率直に批判もせず、真摯に提言もしない者が北朝鮮にとって真の友人と言えるだろうか。それは北権力にとっての友人ではあるかもしれないが、北朝鮮人民の友人とはいえない。
北朝鮮人民にとって朝鮮労働党による一党支配の60年は長すぎた。北朝鮮は間もなく変わるだろう。進路によっては大きな犠牲をともなう変化になるかもしれない。その危険に対して姜尚中氏は、これからも北朝鮮当局の行動を追認し、北当局の誤謬を増幅し続けるのであろうか。
(2009年9月15日) |