西海(黄海)白リョン島沖で3月26日に起きた韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件は、北朝鮮の「偵察局」が企画し作戦遂行した「海上狙撃旅団」の犯行であると確信する。
私は、NLL地域の状況と白リョン島の前面にある北朝鮮の「リョンヨン郡長山串(チャンサンゴッ)、そして甕津(オンジン)郡延坪(ヨンピョン)島前の北朝鮮「ドゥンサン串」で、偵察総局傘下の「海上狙撃旅団」と朝鮮労働党301海州(ヘジュ)連絡所の戦闘訓練課程を直接体験した一人として、この事件の内容を明らかにしたいと思う。
*白リョン島―面積46・29平方キロ・メートルの小島。韓国の仁川港からは170キロ離れ、連絡船でも片道4時間かかる。住民の約7割が農民で、残りは漁業、観光業で生計を立てている。
天安艦沈没を実行した浸透部隊
唯一西海で潜水戦闘訓練を行なう浸透部隊は、偵察局偵察隊の作戦集団(4軍団)と偵察大隊の作戦集団(2軍団)であり、朝鮮労働党所属海州301連絡所工作員たちだ。これら浸透組は、7〜12名の戦闘要員で海上浸透を想定した潜水訓練を実行している。
海州連絡所の戦闘員と偵察局要員の訓練を見ると、7〜16人が一組になって魚雷などを帯同し、潮流の引き潮と満ち潮を利用して目標地点に到達し、爆破する訓練をひんぱんに行なっている。
彼らが最先端探知機に探知されたとしても、海の上を漂流する数千数万の漂流物と誤認する確率が高く、速度が遅いために確認する方法がないという。
唯一韓国軍の海軍基地と港、艦隊を目標に攻撃する訓練を受けている部隊は、西海「海上狙撃旅団」である。その中でも第1大隊が、潜水艦、潜水艇、または人間魚雷のような水中爆破を専門とする訓練を「長山串(チャンサンコッ)」で受けている。
彼らはここで1年に40〜50名の潜水訓練を行なう。彼らが潜水艦を利用して行なう人数は最大50名であり、潜水艦を利用した訓練を4年に一度行なっている。そのほか推進モーターが装着されている魚雷や、敵艦隊に磁石式爆発物を装着する訓練を受ける。
こうしたことから今回の天安艦沈没事件が、西海「海上狙撃旅団第1大隊」か、朝鮮労働党中央の作戦部傘下の「連絡所」の犯行であることが推察される。
北朝鮮は、韓国の西海5島に隣接するスニ島やチョ(椒)島、そして周辺の島に小型潜水艇を自力生産して配置している。規模はさまざまであるが、2名で操縦する極めて小さい潜水艇から、3〜5名が乗りくむ小型潜水艇などが配置されている。
また小型モーターが装着された潜水服も持っており、テロを目的とした現代的水中武器も開発されている。自力発動機もあるが、電気充電器と圧縮空気で目標軍艦の射程距離まで接近し一撃を加えた後、高速発動機で脱出するのが基本だ。
今回の事件を推察するに、韓国の哨戒艇が北朝鮮の極小潜水艇を発見した可能性はある。しかし、判断ができず戸惑っている時に北の潜水艇は捕捉されたと判断し、魚雷を発射したものと考えられる。特に夜9時を過ぎた深夜であったことから、小型潜水艇が取る常とう戦法であったと判断される。
小型潜水艇は、隠密性と射程距離を確保するために、動力を使わず軍艦に牽引され特定の地域に潜伏するのが作戦の第一段階である。北朝鮮は2〜3日前に小型潜水艇を牽引してヨンピョン海岸のNLL地域に潜伏させたのであろう。
作戦部傘下連絡所の任務と訓練内容
朝鮮労働党中央の作戦部傘下連絡所の活動方式は次のようになっている。
呉克烈作戦部長(現国防委員会副委員長)が指揮する作戦部は、平壌の牡丹峰(モランボン)区域チョンスン洞にある労働党3号庁舎(4つの部署がある)にあり、対南(韓国)および対外工作部署として存在する。この部署の任務としては、韓国と第3国へ非合法的に浸透する工作要員を一定の地点まで案内する任務と、要人暗殺、拉致、軍事偵察爆破などの任務がある。
作戦部は1965年9月15日、金日成の教示に基づいて、主に韓国出身者および家庭がしっかりした者の中から忠実な人たちを選抜し、スパイ訓練と韓国浸透そして共産化統一を行うために作られた部署である。
金正日は1989年7月、人民武力部長呉振宇との権力闘争に敗れた参謀総長呉克烈に、現代戦を学べと言う指示を下し、彼を作戦部長に据えた。中央党作戦部は別名「金正日政治大学」と呼ばれている。呉克烈は1931年生まれで中国吉林地域で抗日パルチザン闘争をしていた呉ジュンファの長男である。
「金正日政治大学」では活動班と案内班とに分かれて訓練を受ける。この訓練要員には全国から500名ほど選ばれるが、家庭環境のしっかりした中学を卒業した17歳の青少年たちが、党中央2課の面接を受けて選抜される。
彼らは政治大学に入る前、中央党の中にある作戦部招待所において金日成と金正日の銃爆弾になるための忠誠教育を6ヶ月ほど受けさせられ、その後に政治大学の訓練に入る。
訓練は、スパイ活動、テロ主要対象物の襲撃、逃走訓練、格闘技、爆破、無線送受信訓練、海上訓練と陸上訓練、そして韓国語発音練習と韓国文化を学び、現地から拉致して来た人たちなどからの英語と日本語教育を受ける。連絡所要員たちは、4年間の教育を終えれば、主に作戦部傘下の連絡所に配置されるが、訓練過程で耐えられずに死亡する訓練生は数知れない。
連絡所の役割と作戦部の位置
作戦部傘下の連絡所には、平壌4・14連絡所をはじめ7・27連絡所、南浦連絡所、元山連絡所、海州301連絡所、沙里院連絡所、開城連絡所、清津連絡所、ムンチョン連絡所などがある。
3号庁舎近くにある平壌4・14連絡所は、衛星通信、電波分析および特殊物製造を基本としており、作戦部の実務的指揮本部となっている。通信技術は北朝鮮の他の研究所や専門機関とは比べ物にならないほど高い。最先端の技術力を駆使し、年間数百万ドルを金正日から支援されている。平壌4・14連絡所は45年の歴史を持っている。
1965年秋、金日成は当時対南事業の責任者であった李孝淳(リ・ヒョスン)に「対南事業で通信は生命だ」と強調し、「通信を情報組織の根幹にせよ」との指示を下した。この指示によって1965年秋に創設された4・14連絡所には現在本部人員3000名、地方勤務人員2000名規模となっている。
そのねらいは、主に韓国に派遣して北朝鮮の指令に基づいて全国的ゼネストを起こし、戦略的要所で武装蜂起させ、電信、電話、発電所、放送局、など重要な公共施設を占拠するとともに、電力供給を遮断し、通信・交通網を麻痺させ、「臨時革命政府」の名前で北朝鮮に支援を求めるという任務を遂行することにある。
元山連絡所と南浦連絡所は、商船連絡所と言われているが、主に貿易船船員に偽装し貿易船で韓国や海外に出かけ、海賊行為や麻薬または武器を密貿易する任務を遂行する。例えば1985年に韓国の水難民支援で韓国に来た北朝鮮貿易船「オウン青年号」がそうした船だ。この船は元山連絡所から貿易船に偽装させて送ったものだ。
陸地の基本活動部隊として浸透するのが、開城、ムンチョン、沙里院連絡所だが、その規模は、一連絡所あたり大隊規模で、戦闘要員300〜400、後方要員150名程度で計500〜600名程度となっている。
北朝鮮の対南工作機関所属要員は、1970年代初以来おおよそ15,000名ラインを維持しているものと思われるが、その後も大きな変動はないと見られている。連絡所戦闘員は、「1000人の中から1人が選ばれる」と言われ、頭脳と体力を兼備した人たちによって構成されている。
金正日が北朝鮮で唯一護衛部隊を引き連れないで突然訪問する所が、この連絡所を指揮する作戦部のアジトと言われている。金正日は作戦部を訪問し「ここは私の別働隊」と褒め称えたことがある。
親衛隊をはじめ24万名の大規模護衛部隊を持っている金正日が、作戦部に格別の関心を持っている理由は、ここが軍団指揮部をも一瞬のうちに無力化できる強大な力を持っているからだ。万一護衛部で反乱が起こったとしても、作戦部を動員すれば一気に制圧できるということだ。北朝鮮では、あらゆる兵力の移動や作戦は事前に当該機関に事前通報がなければならないが、作戦部の軍事行動は独自に行なう。
* この「論考」は、5月13日に行なわれたデイリーNK日本支局開局報告会で報告された内容を当研究所が翻訳、抜粋要約したものである。
* 題名、中見出しは当研究所がつけた。
以上