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【論考】北朝鮮の対南戦略における最近の特徴
NLLの紛争化と中国の活用

2010.6.12
コリア国際研究所所長 朴斗鎮

 北朝鮮の当面の最高目標は南北の統一である。南北統一(韓国吸収)を実現してこそ朝鮮半島における金政権(王朝)の永久化が実現し絶対安定が実現する。それゆえ国内政策はもちろん対米、対中、対日、など北朝鮮のすべての対外政策はここから出発している。
  北朝鮮は北朝鮮地域を革命基地と位置づけ韓国を吸収する統一戦略を一貫して展開してきた。1990年代後半以降はその戦略を「先軍統一戦略」と命名し、2000年6月以降は「民族どうし戦略」と結び付けて推進してきた。
  この戦略による統一の方法には戦争による方法と平和的方法があるとしており、平和的方法は南朝鮮(韓国)革命戦略と組み合わされた北朝鮮式連邦制戦略として展開されている。
  連邦制を実現する南朝鮮革命戦略には、暴力革命で親北朝鮮政権を樹立すする方法(軍事政権時代)と選挙で親北朝鮮政権を作り出す方法があるが、金大中政権の出現以降は「太陽政策」を利用した「民族どうし戦略」で後者の方法が取られてきた。しかし李明博政権の出現で「民族どうし戦略」がうまくいかなくなるとふたたび韓国政権打倒をめざす「暴力革命路線」に回帰しつつある。3月26日にNLL海域で起こった天安艦沈没がそのことを示している。
  また「李明博政権からは経済的支援を期待することができない」と判断した北朝鮮は、活路を中国で見いだし、韓国を圧迫するカードとしてこれまで以上に中国を活用しはじめている。金剛山の韓国側財産没収の背景もそこにある。今回の金正日訪中も体制維持や後継者問題問題だけでなく、こうした北朝鮮の対南工作戦術変更が関係していると思われる。

1、先軍政治以前(1998年まで)の対南戦略

 1960年代以降1980年代末までの対南戦略は北朝鮮の体制有利の前提で展開された。そして、韓国での4・19蜂起(1960年)とベトナム戦争(1965年)から、大統領選での金大中支持拡大(1970年代)とサイゴン陥落(1975年)が大きな影響を与えた。
  4・19以後北朝鮮は韓国の地下党である「統一革命党」を結党、暴力革命で軍事政権転覆を狙う一方、対南軍事強硬路線を併用した。

*統一革命党事件
統一革命党(統革党)事件は、南派工作員に包摂された金鍾泰が4回北朝鮮を往来した後、国内に潜入、統革党を作り、学園、労働、宗教等のサークル形態の小組織とソウル市内に数ヶ所の学舎酒店を運営しつつ、宣伝・煽動活動を行ったが、中央情報部に摘発された事件である。1968年8月に摘発されたこの事件により、ソウル市党責任者金鍾泰、民族解放戦線責任秘書金ジラク、全南道党創党準備委員長崔ヨンド、青脈(チョンメク)誌編集長李文奎等、計158名が検挙され、73名が送致され、50名が拘束された。金鍾泰がこの事件で死刑を受けるや、北朝鮮は、群集大会等、大々的な追悼式を行いもした。北朝鮮は1994年にも工作員を送り、金鍾泰の妻等、遺族の所在を確認したという。
元工作員金用珪氏は、著書「声なき戦争」と「時効人間」を通して、統革党組織が北朝鮮労働党の主導で作られたと語っている。
金氏は、2冊の本において、「統一革命党は、1961年12月、全羅南道務安郡任子島において、面長をしていた地方有志崔ヨンドが、甥である南派工作員金スヨンに包摂されて始まった」と明らかにしている。 

 1968年の青瓦台襲撃(北ベトナムのテト攻勢に合わせた)や米国情報収集艦プエブロ号拿捕事件、1974年朴正熙大統領狙撃事件(陸英修夫人死亡)などがその例である。
  1975年4月には中国を訪問した金日成が「サイゴン陥落」に刺激され「われわれが戦争を行なえば得るものは統一で失うのは分界線(休戦ライン)だけだ」との強硬発言を行い中国側を驚かせた。
  朝鮮戦争以後のこうした暴力的対南工作路線は北朝鮮人民武力部を中心とする軍が担当し、人民武力部敵工局が主導した。

宥和政策と選挙を通じた親北政権の樹立

 しかし1970年代に入って米中が接近し国交を結ぶに至り、南北融和路線を取り入れる必要が生じた。その結果1972年7月4日に南北共同声明を発表することとなった。これはもちろん戦術的なものであった。こうした宥和戦術の裏で北朝鮮は1970年代に必ず統一すると豪語し、引き続き非合法の対南工作を強化した。この時期金日成は「秘密教示」で「革命の決定的時期」について具体的に何度も語っており、そのきっかけはテロでもかまわないと指示した。
  1970年代の対南宥和戦略で金日成に大きなヒントを与えたのは、1970年に選挙で政権を獲得したチリにおけるアジェンデ社会党政権の登場であった。暴力的ではない選挙の方法でも政権の獲得が可能であることを知ったのである。このことについて元工作員金用珪氏は、著書「声なき戦争」の結論において、金日成が対南工作要員に語った言葉を次のように紹介している。
  「チリでのアジェンデの経験は、選挙を通しても政権を奪取できる充分な可能性を示している。アジェンデが失敗した原因は、選挙を通して政権を掴んだ後、余りに急進的に改革を急いだが、逆クーデターを受けたことである・・・。今、南朝鮮では、金(大中)拉致事件により民心が傾いている。このような民心を上手く誘導し、信望の高い核心を立候補させれば、国会にも、いくらでも入り込むことができる。今から、対国会工作は、ブランチ工作に留まらず、議席を確保する工作に転換しなければならない」。
  こうした中で朝鮮労働党の対南戦略部署が改編され対外調査部(35号室)、社会文化部(対外連絡部)、作戦部、そして統一戦線事業部(統戦部)が組織された。

金正日の登場と対南工作の変化

 1974年に金正日が後継者と決定し党組織書記として活動するようになると、対南工作のすべての権限を党に移し金正日が掌握した。そしてそれまでの対南工作は0点だとの評価を下して人事の大幅な入れ替えを行なった。
  これにともない、象徴的だった党の対南部署は情報収集、対南侵入、人物包摂、対南心理戦および攪乱、破壊などに分類され、専門担当部署が新設された。この時期から、党には工作目的別に対外調査部(現在の35号室)、社会文化部(現・対外連絡部)、作戦部、統一戦線事業部などが生まれ、それまで中心的役割を果たしていた人民武力部敵工局は党の指導を受ける下部機関へと転落した。
  1970年代以後に行われた主要な事件、1974年の朴大統領狙撃事件(陸英修夫人死亡)、1983年アウンサン廟爆破事件、1987年KAL爆破事件が人民武力部でなく党35号室、対外連絡部主導で実行されたことからもこのことを確認することができる。
  この時期には、直接の侵入や韓国内での地下組織結成を主導する対外連絡部や35号室が主要な役割を果たし、「統戦部」は高麗民主連邦共和国構想などの統一構想に対する対南宣伝と心理戦、南北交渉のような副次的な業務を担当した。
  朝鮮総連を利用した対南工作が活発化するのもこの時期であった。韓国が軍事政権下にあったため、日本を迂回した工作戦術を駆使したのである。朝鮮総連は対南工作の「側面部隊」と位置づけられ、合法・非合法の活動を展開した。また日本に組織された「主体思想研究会」を通じても多様な工作を展開した。

 *北朝鮮工作員李善実(政治局候補委員)
朝鮮戦争後、北に帰り、工作員として召還されたが、正確な時期は知らない。70年初め頃、日本に渡って工作活動を行ったという話も聞いた。80年初めに在日僑胞申順女の身分を偽装し、合法的な永住帰国形態で韓国に入った後、私が連れていくときまで、継続してここにいた。いつだか、黄長Yが80年10月6次党大会時、李善実を見たことがあると語った報道を見たが、その時彼女はここにいた(武装間諜金東植―本名李スンチョルの証言、東亜日報2004年)。

 この時期に日本でも多くの北朝鮮工作組織が摘発され拉致事件も多発した(「朝鮮総連その虚像と実像」中公新書ラクレ参照)。

1987年の「民主化宣言」以降

 1987年6月29日の韓国の民主化宣言以降、北朝鮮は「統一戦線戦略」を強化した。3・8・6世代の中に勢力を拡大していた「主思(主体思想)派」を活用し革命組織の合法化闘争を積極的に進めていった。その代表的組織が「祖国統一汎民族連合(汎民連)」であり「韓国大学総学生会連合(韓総連―1980年代の学生運動を主導していた全国大学生代表者協議会(全大協)を継承して、1993年に結成された)」であった。

 *「… 今南朝鮮では多くの進歩的民主人士が各種在野団体に結束して活発に動いている。
私たちは一日も早く、北と南、海外の統一愛国力量を総網羅する前民族統一戦線を形成しなければならない。
全民族統一戦線を形成するためにはもちろん私たちが主動的に提起することもできるが、南朝鮮革命組職が先に在野団体の名前で発起するようにし、そこに北と海外運動団体が呼応する形式を取るのがもっと自然である。(金日成、1990年 5月 3号庁舍拡大幹部会義)

 こうした中で1989年には「主思派」中心の地下組織「反帝青年同盟」が組織されこの組織は「民族民主革命党」に発展したが、1997年韓国当局によって摘発された。

2、金正日時代の対南戦略―「先軍統一戦略」(1998年以降)

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年代初にかけて旧ソ連をはじめとした東欧社会主義体制は次々と崩壊し北朝鮮は体制の危機に直面した。その危機を脱出する政治が「先軍政治」であり、対米韓の軍事的劣勢を最も効果的に跳ね返す方策が「核武装」であった。したがって金日成死亡後の金正日時代の統一戦略は、南北の体制競争で北朝鮮が敗北した状況での統一戦略であるといえる。その特徴は一言で言って核武装による「先軍統一戦略」である。
  一方この時期北朝鮮は経済的にも新たな市場を開拓しなければならなかったが、外貨不足のため国際市場への進出や合弁事業は不可能であった。このために韓国の経済力を利用する必要が生じ、金大中政権の「太陽政策」を利用した「わが民族同士」という戦略が提起された。この戦略は「南北和解」を演出することで米韓の対立を煽り米国の対北強硬政策を阻止する役割も果たした。この戦略は現在では対南戦略という枠を越え北朝鮮の生存戦略にもなっている。

韓国を脅迫し米日を牽制する核武装戦略

 金正日は軍優先の方針を統治路線として提示し、「先軍政治は私の基本政治方式であり、わが革命を勝利に導く万能の宝剣(労働新聞、1999.6.16)」と規定しながら「軍隊は社会主義の守護者であるばかりか、幸福の創造者の役割を遂行する」と主張し、経済生産にたいする軍隊の介入まで正当化した。 この軍事優先の思想が貫かれた統一戦略が金正日の統一戦略である。
  統一の観点から見た時北朝鮮の主敵は米国である。米軍を韓国から撤退させ有事に米軍の介入を阻止してこそ韓国吸収の目的が達成できる。圧倒的に有利な米韓軍に対抗して金王朝独裁政権を維持し、武力統一路線を貫くために、金正日は核とミサイルに依拠する最も安上がりな方法である「先軍路線」に突き進んだ。そこにはもちろん彼の「暴力崇拝思想」が反映している。
  「先軍統一戦略」について金正日は次のように語っている。
  「先軍政治と祖国統一の関係を見たとき、祖国統一はその本質的内容から先軍政治方式の具現を要求するところにある・・・
  今日朝鮮半島における祖国統一の最大の障害要因は、米国の南朝鮮支配だ・・・
  米国の民族抹殺的な自主簒奪(さんだつ)を除去し、民族の念願である祖国統一を成し遂げようとするならば、先軍政治方式を具現しなければならない。先軍政治方式を具現してこそ米国の覇権的対北朝鮮侵略政策を阻止し、朝鮮半島の強固な平和を保障することができ、ひいては朝鮮半島の平和的統一を実現することができる」(シン・ビョンチョル、「祖国統一問題100問100答」、平壌出版社、主体92〔2003〕年2月5日、p175−177)
  この金正日の発言からも分かるように、北朝鮮の「統一戦略」は米軍を排除することを前提にしている。米軍を排除した上で韓国に親北朝鮮政権を樹立し「連邦制」によって韓国を吸収しようとするのが北朝鮮の平和統一路線であり、武力で戦争に勝利して韓国を制圧するのが武力統一路線である。
  この戦略を実現させるために北朝鮮は、すでに通常戦争では米韓連合軍と戦えないだけでなく韓国軍との対決すらおぼつかなくなったことを前提に、迷うことなく大量破壊兵器での武装と特殊部隊(約10万)の強化に踏み切ったのである。
  最先端科学武器で武装した米韓連合軍と対峙するためには、最も短時間で、そして最も少ない資金で大量破壊兵器を生産し、そしてその最も強力な武器である核兵器を保持しなければならないとしたのだ。  
  金正日は自己の政権の運命を核とミサイルにゆだね、いかなる難関を克服してでも核武器を増やし、大陸間弾道弾にそれを装着しようとしている。そしてそれによって韓国を軍事的に制圧し、「先軍統一」実現に立ちはだかる米国と日本をけん制しようとしているのである。
  このようにして見た時、金正日の先軍政治における核武器の地位と役割は何物にも変えがたいものである。それは「統一戦略」においても「強盛大国」の建設においても根幹を成している。それ故、北朝鮮の核を対話による経済支援での包容や、いくらかの補償と取り替えることは不可能だと断言できる。

韓国から資金を収奪する「民族どうし」戦略

 金正日は北朝鮮の圧倒的不利な状況での生き残りを「核とミサイル」に委ね国内を軍事色一色に固めて統治する一方、核戦略とともに韓国における親北朝鮮政権の継続と連邦制実現のために新たな戦略を編み出した。その戦略こそが「民族どうし戦略」すなわち太陽政策逆利用戦略である。この戦略は金正日が1998年の金大中政権出帆と同時に統一戦線事業部に指示して作成したものである。
  1998年に韓国で金大中政権登場後、2000年3月9日のベルリン自由大学における金大中演説を分析した金正日は、韓国の対北政策が「太陽政策」として長期化すると判断し「太陽政策逆利用戦略」を推進した。そして2000年の6・15南北首脳会談で民族共助を謳い、「わが民族同士」(ウリミンジョクキリ)という表現を使ってこのスローガンを絶対的な統一戦略として公式化した。それは2001年の3紙新年共同社説で発表された。同時に体制維持のために、全面開放ではなく特区開放政策で外貨を獲得し経済難を解消しようとする国家発展戦略も策定した。
  「太陽政策逆利用戦略―民族どうし戦略」の核心は、東ヨーロッパにおける共産圏の崩壊以後、北朝鮮指導部は北朝鮮の経済難を認め、統一情勢が成熟する時まで韓国の経済を北朝鮮の発展に利用しようとするところにある。
  このために金大中、盧武鉉政権の10年間は、以前のような侵入、破壊という強硬な手段よりは、対話を前面に出した経済利益の創出、人物の包摂、情報収集、攪乱のような柔軟な接近が優先した。対南工作部署の中で唯一、統一外交の大義名分を策定し合法性を主張する統一戦線事業部の機能が強調される理由がここにあった。陰性的に対南事業を進めてきた「統戦部」を陽性化させたのである。
  しかしこれは決して、北朝鮮の究極の目標である韓国吸収政策と対南工作部署の使命が変わったことを意味しない。むしろ「わが民族どうし」を打ち出し、直接対話と南北交流を通じて親北朝鮮化という目的をより具体化して現実化していったのである。
  この「民族どうし戦略」の目的は3つに要約できる。
  第1の目的は、南北関係を経済的利益にだけ限定させること。第2の目的は「わが民族どうし」という理念を通じて韓国内の北朝鮮支持勢力を拡散させること。第3の目的は、南北和解を戦略化して米軍を追放し北朝鮮主導の統一に有利な環境を作り出すことである。
  以前では韓国内における民主主義勢力の拡大を目標として、対南心理戦や工作を展開してきたとすれば、太陽政策政権登場以降は親北左派勢力の拡大といういっそう露骨で積極的な目標が設定された(「北韓の統一戦線事業部解剖」張チョルヒョン執筆参照)。

韓国民主化運動を利用した戦略

 韓国における民主化の期間、「統戦部」の主要な戦略課題は民主化運動を親北政権創出に活用することだった。従って韓国内「主思派(主体思想派)」の拡散、親北および左翼勢力の拡大や、いまだに過去を隠している秘密訪朝経歴者や一部の朝鮮労働党入党者の活用などによって反米、国家保安法撤廃運動を展開した。
  金正日による「太陽政策逆利用戦略」という指示を実現するために、「統戦部」は1998年以降1500人規模から3000人規模へと人員を拡大させた。またインターネットが広範囲に導入された韓国の現実に即して、インターネットによる浸透のためのコンピューター人材も大挙して育成編入させた。
  すなわち韓国の民主化運動は北朝鮮に汚染された運動の流れと、真に韓国の民主化を促進する流れの二つがあったということである。金大中の流れは前者の流れであった。朝鮮総連と民団との和合(2006・5・17)の動きなどは金大中の流れから発生したものである。
  金大中の民主化運動の流れが犯した最大の罪悪は、韓国民の安保意識を麻痺させ、韓国を武装解除させたことであり、金正日を優れた政治家であるように宣伝しその好戦的独裁的本質を覆い隠したことである。

3、最近における対南戦略の特徴―NLL紛争地域化と中国の活用

 金正日の対南戦略における最近の特徴はNLLを紛争地域化し韓国を圧迫するとともに、韓国内の理念対立を拡大させることにある。そうすることで李政権を「民族どうし」に引きもどそうとしている。また圧迫する手段として中国を活用している。「天安艦」の沈没事件で北朝鮮犯行説が濃厚となる中で金正日の訪中が行なわれた事実がそれを示している。
  北朝鮮はNLLを紛争地域とし対南工作における強硬路線を強化するために昨年対南工作ラインを軍中心に再編した。韓国統一部が出した「2010北朝鮮主要人物」は、代表的軍の対南通であるキム・ヨンチョル上将が「人民軍偵察総局総局長」に任命されたとしている。改編された偵察総局は、労働党の所属だった作戦部と35号室、そして人民武力部所属の偵察局を統合して拡大された工作機構だと言える。そしてこの総責任者には呉克烈国防委員会副委員長がついた。今回の「天安艦」沈没もこの偵察局の犯行といわれている。

「平和の代価」を求めるNLL紛争化戦略

 金正日は金大中政権の「太陽政策」を促進させるために「民族どうし」を叫ぶ一方で、韓国に対する軍事的圧迫も併用した。北朝鮮式「宥和と圧力」路線である。
  金正日はこの路線に従って1999年のはじめ韓国との交戦を指示した。当初は陸戦での交戦を考えていたらしいが、それでは韓国の対北支援や南北経済協力に支障が生じる可能性があるため、地域を海に移した西海(黄海)海戦を選んだという。これが1999年6月に起こった第1回西海(延坪)海戦である。2回目は2002年の韓日ワールドカップ開催の最中(6月29日)に起こった。
  金正日は西海海戦計画案を「統戦部」から受け取った時「対話と対北支援を引き出す方向で太陽政策を逆利用しながらも、韓国内の対立を誘発させる新たな戦略」と絶賛したという。
  北朝鮮はこれにより、対北支援をテコとして吸収統一を図ろうとする韓国政府の政策を阻止することができると判断した。また韓国政界に太陽政策や平和繁栄政策を定着させれば、韓国の相互主義政策を未然に防ぐことができるとも考えた。またこの戦略で軍の強硬姿勢を打ち出せば、韓国内に戦争の恐怖を呼び起こし対南交渉の優位を確保できるという点も考慮された。
  しかし、李明博政権登場以降「民族どうし」戦略は大きな障害に突き当たった。李明博政権が、民族的利害を国際的利害とリンクさせて「非核・開放3000」の対北朝鮮政策を掲げそれを固守してきたからである。
  李政権の登場によってひびの入っていた韓米関係は修復され、韓米協調はもとより、韓米日協調がこれまでになく強化された。こうした状況の変化は、北朝鮮戦略の柔軟性を奪っていった。
  ますます厳しくなる経済難も北朝鮮の柔軟性を奪っていった。昨年11月に実施した「デノミ」失敗で北朝鮮はいま2000年以後、最も厳しい経済難を経験している。
  対外貿易で絶対的パーセンテージを占めた朝中貿易が2000年以後、初めて5%以上減少した。武器輸出による収入は大量破壊兵器統制体制強化によって90%以上減った。南北関係で創出された収益と国際社会の対北支援も急激に減少した(中央日報、2010.04.26)。
  こうした状況の中で昨年の11月10日に北朝鮮はNLL海域で3度目の西海海戦である「大青海戦」を仕掛けてきた。しかし北朝鮮艦艇が大打撃を受け敗北に終わったことで、むしろ李政権の断固たる対応を際立たせる結果をもたらした。北朝鮮はその失敗を取り戻すためにNLLでの紛争をいっそう拡大する戦術に出てきた。

 *金成萬元韓国海軍作戦司令官(予備役海軍中将)が、天安艦事件以後の北側のターゲットは西海5島だと強調した。金提督は、「西海5島の占領は、金正日が2012年の強盛大国完成のためかなり前から準備してきたもの」とし、「北韓はこのため昨年の1月からNLLの無効化宣言、南北政治-軍事合意事項の無効化、地対艦/艦対艦ミサイル発射、西海5島へ出入りする艦艇への安全不保障宣言、大青海戦の挑発および2010年1月の海岸砲/長射砲のNLL海上への射撃などの手順を歩んできた」と説明した。

 今年1月15日には最高権力機関である国防委員会が、「対南報復聖戦」を宣言し、1月25日にはNLL南側水域を含む地域に「航行禁止区域」を発表した。そして2日後の27日には海岸砲を連射した。そして3月26日には天安艦沈没事件が発生することになる。
  天安艦沈没と時を同じくして北朝鮮人民軍が、特殊戦兵力5万人余りを休戦ライン近くの最前線に配置したことも明らかになった。韓国政府筋は5月5日、こうした事実を明らかにするとともに、北朝鮮軍が2〜3年前から進めてきた7個の軽歩兵(特殊戦兵力)師団の最前線配置計画を先ごろ完了したとも伝えた。師団当たりの兵力は7000人ほどだという(聯合ニュース、2010・5・5)。
  このように北朝鮮はNLLを紛争地域化し、韓国民の戦争に対する恐怖をかきたて「平和の代価」をせしめようとしているのである。この戦略は最近行われた韓国の「6・2地方選挙」でも効果を発揮し、野党の勝利に結びついたようだ。また朝鮮半島の緊張激化を嫌う周辺諸国からも戦争の危機を煽ることで「平和の代価−支援や譲歩」を得ようとしている。

武力侵攻時の作戦変更

  北朝鮮は武力統一に備え武力侵攻時の作戦にも変更を加えたようだ。韓国軍関係者は4月26日、「北朝鮮軍が全面戦争を想定した従来の‘5−7戦争計画’を‘制約的占領後に交渉’方式に変えたものと判断している」とし「韓米軍の発展した武器に対処するための措置と見ている」と述べた。
  北朝鮮軍が1980年代に樹立した「5−7戦争計画」は、開戦初期に長距離射程砲などを浴びせた後、機械化部隊を前面に出して5−7日間で韓国全域を掌握する計画だ。
  この関係者は「北朝鮮軍の新しい計画は、開戦初期にソウルと首都圏に戦闘力を集中的に投入して占領するというものだ」とし「まず首都圏を占領した後、状況によって南にさらに進撃するか、その状態で交渉に入る方式」と説明した。韓国の経済力が集中しているソウルと首都圏を占領すれば、有利な条件下で交渉が可能ということだ。
  北朝鮮が作戦計画を変更したのは、03年の米国のイラク戦争などによる教訓のためだと、匿名の軍事専門家は分析した。イラク戦争で北朝鮮軍と似た戦車で武装したイラク軍の大規模機械化部隊は、米軍の精密誘導武器の打撃で機能しなくなると、機械化軍団を利用した正規戦では勝算がないと判断し、非対称戦力を混合した新しい作戦計画を樹立した。

 *非対称戦力=戦車や野砲など在来式の兵器ではなく特殊な戦力をいう。通常戦力では対処するのが容易でない。核および化学・生物武器がその代表例で、特殊部隊、サイバー戦力、潜水艦と魚雷・機雷など水中戦力も含まれる。

 韓国軍関係者は「北朝鮮軍は南北間の通常戦力の差を克服するために前方部隊を改編した」とし「後方駐屯機械化軍団を機械化師団で編成した後、休戦ラインを担っている前方の4個軍団に1個師団ずつ前進配置したと把握している」と伝えた。
  また韓国の後方かく乱のために4個前方軍団に特殊部隊の軽歩兵師団を1個ずつ設置した。前方師団の軽歩兵大隊は連隊級に拡大改編した。軍当局は、これら軽歩兵部隊が韓国の前方部隊のすぐ後方に侵入し、かく乱作戦を行う、と見ている。北朝鮮は軽歩兵部隊の前方配置のほか、ミサイル・生化学武器などの非対称戦力を強化してきた。
  軍当局は、北朝鮮が韓米連合軍の上陸を防ぎ、韓国の海軍力に打撃を加えるために、先端魚雷および機雷戦力を補強したのも、その一環と判断している(中央日報2010.04.27)

対南戦略での中国の活用

 北朝鮮は統一・対南戦略を効果的に進めるために、対米、対中、対日外交を展開してきたが、最近では、対南工作の中で中国を積極的に活用しようとしている。この背景には中国の国際的地位向上と飛躍的経済成長があることはいうまでもない
  北朝鮮は昨年10月の温家宝訪朝を契機に中国に対する接近を強化した。その手法は、北朝鮮の核を中国の外交安保戦略に活用させることで「朝中同盟」の強化をはかり、中国の東北部開発である「長、吉、図開放開発先導区プロジェクト」(昨年11月発表)推進に北朝鮮が便宜を図り(経済利権の譲渡)、その対価として北朝鮮経済を再生させる大規模な経済支援を得ようとしていることである。
  そのために今年のはじめに「大豊国際投資グループ」を新たに改編出帆させ、資金の受け皿として「国家開発銀行」を設立して「100億ドルプロジェクト」をスタートさせた。このプロジェクトに中国の資金を誘致し外資誘致の呼び水にしようと画策している。この経済協力課題は、6ヵ国協議問題と並ぶ今回金正日訪中のメインテーマであった。
  北朝鮮は中国資本の誘致を匂わし韓国を牽制するカードとして中国を利用している。韓国からの経済的支援が途切れたことから今年に入って韓国にさまざまな圧力を加え、ついには「金剛山」における韓国政府資産の没収と職員の追放踏み切ったが、このこともこうしたことが背景にある。
  天安艦攻撃で「民族どうし」の仮面を脱ぎ捨てた北朝鮮が、経済的利権の譲り渡しを通じた中国との経済協力で成果を出すことになれば、北朝鮮の対南強硬路線は今後も続くことになる。
  天安艦事件に対する中国の対応過程で北朝鮮問題が中国問題であることがいっそう明確となりつつある。こうした中で、北朝鮮の対南戦略の変化についても真剣に分析する必要がある。そしてそれに基づいた米韓日協調体制の構築を急がなければならない。

 
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