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朝鮮労働党規約改定と金正恩後継公式化

2010.10.24
コリア国際研究所所長 朴斗鎮

 延期されていた朝鮮労働党第3回代表者会が9月28日に開かれ1日でその幕を閉じた。会議を一日で終えたことも異例だが、討議された内容も異例ずくめだった。今回の代表者会を特徴付けたのは、金正日総書記の3男正恩(ジョンウン)が後継者として事実上公式化されたことだ。
 金正恩は代表者会開催1日前の27日、叔母の金慶姫とともに「大将」の肩書きを電撃的に与えられ、28日の代表者会当日には党中央委員、党中央軍事委員会副委員長に選出された。
 勤労者の国を標榜し「民主主義人民共和国」を掲げ、社会主義・共産主義を目指すと公言してきた国が、一人独裁を続ける中でいつの間にか「王朝国家」へと変質し、今回の代表者会では歴史を逆回転させる異常さを見せた。時間とともに社会が後退する国家の誕生は人類史上北朝鮮がはじめてではないだろうか。
 とはいえ、この「異常な軍事専制国家」が東アジアの平和と安定に大きな影響を与えていることも現実である。その現実を踏まえたとき、異常さに嫌悪感を示すだけで終わるわけにはいかない。今回の代表者会の内容について冷静に分析し対処していく必要がある。

1、党規約で公式化された軍事専制の「金王朝体制」

 代表者会では、最高人民会議常任委員会の金永南委員長が開幕の辞を述べた後、3つの議題−@金正日総書記を再推戴する問題、A党規約改定について、B党中央指導機関の選出−を討議、決定した。

朝鮮労働党を「金日成の党」と改訂

 今回の労働党規約改定は、プロレタリア独裁を一人独裁に置き換えた「首領独裁」をさらに改変し、王朝的軍事独裁国家への変質を公式化させたところに特徴がある。
 代表者会翌日の労働新聞が伝えたところによると、朝鮮労働党規約の序文は、「朝鮮労働党は偉大な領袖金日成同志の党だ」というくだりで始まるという。これまで序文には、労働党を「偉大な首領金日成同志により創建された主体型の革命的マルクス・レーニン主義の党」と定義されていた。
 この意味するところは、朝鮮労働党が労働者階級の党ではなく金日成を始祖とする「金日成朝鮮」の王権を守る党になったということだ。
 改定された朝鮮労働党規約では、昨年修正された憲法同様、「先軍思想」を「チュチェ思想」とともに党の思想と規定した。これは、「先軍」の象徴である核保有を党規約の中に組み込んだことを意味する。すなわち朝鮮労働党が金日成の党である限り核の放棄はありえないということを示したものだ。
 改定案はまた、時代の要求に合わせ、党員の義務と党各組織の事業内容を全般的に修正、補充し、「党と人民政権」「党マーク、党旗」の章を新たに設け、「政権」と青年同盟に対する党の指導を強化し、「軍隊」内の党組織の役割を高めることに関する内容を補充した。

韓国併合路線に変化なし

 党の最終目的については、「最終目的は全社会をチュチェ思想化し人民大衆の自主性を完全に実現すること」としている。以前用いられていた「共産主義」の表現は削除された。
 *北朝鮮は既に昨年4月の最高人民会議第12期第1回会議でも、憲法から『共産主義』という単語をすべて削除した。
 党の当面の目的については、「朝鮮半島北部で社会主義強盛大国を建設し、全国的範囲で民族解放民主主義革命の課題を遂行すること」と明記し、引き続き韓国併合の野望を追及するとした。
 北朝鮮はこのように今回の代表者会で「金日成朝鮮」を公式化し、北朝鮮が金日成を始祖とする「金王朝国家」であることを明確にした。すでに北朝鮮では「金氏朝鮮実録」の編纂に着手したとの情報もある。

2、金王朝後継者論―血統主義による後継者決定

 今回の代表者会では共産主義と決別し、朝鮮労働党を金日成の党、北朝鮮を「金日成朝鮮」と宣言、王朝的血統主義による後継者公式化が行なわれた。
 これは一人独裁と金正日世襲政権の「成果」ともいえるものだ。したがって今回の金正恩後継を金正日後継時の「後継者論」をそのまま当てはめて解釈することはできない。
 金正恩後継公式化 の特徴は、一言で言って王朝的独裁国家の後継者選定、すなわち上意下達による「皇太子擁立」であったということだ。
 この後継者擁立の特徴は次のようなところに現れた。
@ 公式化までの準備期間が短い

 金正日の場合は1974年に入って後継者として内定し、6年後の6回党大会で公式化された。その間、党内での実績も積んだ。しかし、金正恩が内定されたのは2008年8月、金正日が脳溢血で倒れてからである。公式化されるまでわずか2年しか経っていない。
A 内定の手続きが家族(王室)会議のようなところで行なわれた。
 金正日は党中央委員会全員会議の決定で内定したが、正恩は金正日が脳溢血で倒れた時、家族会議のようなところで内定したといわれている。
B 後継者内定のプロパガンダが非公式情報の流出として進められた。
 今回の後継者プロセスが、前回と全く異なり異常であったのは、おびただしい非公式情報が流出したことだ。それは北朝鮮当局が意図して行なったことなのか、北朝鮮の情報管理能力が低下したためなのかは今のところ定かではない。とくに2009年1月15日の連合ニュース報道以降はさまざまな情報が入り乱れた。
C 朝鮮鮮総連が蚊帳の外に置かれた。
 金正日後継時には多くの役割を果たした朝鮮総連であるが、今回は事前の通報や資料の提供も受けられず、蚊帳の外に置かれた。決定に従えばよいとのスタンスだ。
D 後継者に中核権力が与えられていない。
 正恩は実績を積んで「後継者」に公式化されたのではない。後継者争いが長引くことを恐れた金正日によって皇太子に即位させてもらっただけだ。実績作りはこれからといえる。それは彼に党の「秘書」や「政治局員」の肩書きがないところに現れている。これは1970〜80年代に、金総書記が後継者権力である「唯一管理」を手にしたこととは大違いだ。
 こうしたいくつかの特徴を見てみると、正恩の後継者公式化が、金正日の後継者公式化とはその形式や内容において相当な違いがあることが分かる。
 金正日にとって今後の課題は「正恩の神話作り」と「核心権力の移譲」だが、これといった実績もなく、また正妻でなかった母親の素性を考えた時、この作業はそう簡単ではない。

3、人事に現れた特徴―家族主義と「太子党」

 代表者会では、金正日総書記の参席のもと同日行われた「朝鮮労働党中央委員会2010年9月全員会議」の決定内容が発表された。
 その決定によると、党中央委員会政治局常務委員会、政治局、書記局の組織結果が明らかにされた。また、党中央軍事委員会の組織結果が発表され、委員長に金正日総書記、そして副委員長には金正恩朝鮮人民軍大将と李英鎬総参謀長の2人が選出された。

 1)貫かれる血族主義−金慶喜後見と張成沢の相対的役割低下

 今回の規約で明示された「朝鮮労働党は偉大な領袖金日成同志の党」との規定によって、後見人として影のNO2金慶姫が表舞台に登場した。27日には正恩とともに大将に任じられ党政治局委員にも名を連ねた。夫の張成沢が党中央軍事委員会委員に選ばれたものの、政治局委員候補にとどまっていることとは対照的である。
 党代表者会以前までは、張成沢が正恩の後見人となり、政治局員だけでなく政治局常務委員に抜擢されるのではないかと見られていたが、「血族主義」の厚い壁に阻まれた形だ。
 張成沢はまた、政治手腕もあり中国との関係が深いとされ、過去には金正男との関係もあったために金総書記が警戒した可能性もある。

 2)呉克烈の沈下と李英鎬の急浮上

 張成沢の役割低下と合わせて意外だったのは呉克烈の党での沈下である。呉克烈は国防委員会副委員長であるにもかかわらず、今回中央委員にのみ名を連ね、党の重要役職にはつかなかった。病気で代表者会にも顔を出さなかった趙明祿が政治局常務委員に選ばれていることとは対照的だ。
 何らかの事情があってのことと推察される。もしかしたら、今回の公式化を時期尚早と主張したかもしれない。また金総書記が切れ者を後継者の傍に置くことに警戒したからかもしれない。それとは反対に、特別な裏任務が与えられ、あえて党の重要役職に就かなかった可能性もある。この点は今後注視していく必要がある。
 呉克烈とは対照的に参謀総長李英鎬(リ・ヨンホ、次帥、68)の躍進には目を見張るものがある。代表者会直前に次帥に昇格しただけでなく、政治局常務委員、中央軍事委員会副委員長を兼任し、代表者会直後に行われた記念撮影の際、金正日総書記・正恩氏親子の間に座った。
 金貞淑亡き後、金正日の面倒を見てきた金ヨンスンを母に持つ李英鎬は武闘派といわれ、砲術のエキスパートといわれている、金正恩も砲術の天才と宣伝しているところから見て、彼が正恩の軍事師匠である可能性が高い。そうしたことから正恩後継公式化を積極的に推進し、呉克烈と衝突した可能性もある。
 今回李英鎬を筆頭に、崔富日(チェ・ブイル)副総参謀長ら実質的な武力勢力を指揮する総参謀部メンバー(李英鎬勢力)が多数昇進、あるいは中央軍事委員などの要職を占めているが、韓国ではこの勢力を「新軍部」と呼んでいる。

 3)崔龍海の再浮上と太子党の台頭

 1970年代に行われた金総書記による権力継承では、崔賢、呉白竜、呉振宇など金日成の戦友が中心的役割を果たした。今回はその息子たちが正恩擁立の先頭に立ったようだ。特に崔竜海は、党政治局員候補、党書記、党中央軍事委員という三つの役職を同時に与えられ、代表者会の集合写真でも、金正恩のすぐ後ろに立っている。
 「崔竜海(チェ・リョンヘ、60)、呉金哲(オ・グムチョル、63)、呉日正(オ・イルジョン、66)たちは今年6月中旬以降、ある秘密の会合で金正日・正恩親子に対し忠誠を誓い、正恩の後継者就任を本格的に進めてきた」との情報もある。
 崔竜海、呉金哲、呉日正は、崔賢(チェ・ヒョン)元人民武力部長、呉白竜(オ・ベクリョン)元護衛総局長(警護隊長に相当)、呉振宇(オ・ジンウ)元人民武力部長の息子たちだ。
 呉白竜の長男・金哲上将(中将に相当)は、党代表者会前までは同党中央委員会候補委員だったが、今回正委員となった。空軍司令官を歴任した呉金哲は、党代表者会の翌日に行われた「金正日朝鮮労働党総書記の再推挙を祝う陸海空軍将兵の慶祝集会」では、代表として演説を行った。
 呉振宇の息子・日正は、朝鮮労働党軍事部長に起用された。軍事部長とは、400万人と推定される労農赤衛隊など、現役兵の数をはるかに上回る北朝鮮の予備役のほとんど(500万人以上)を総指揮する要職だ。
 こうした人事から「北朝鮮版の太子党が金正恩時代の権力中枢になった」といわれている(太子党とは、中国で共産革命を手掛けた重鎮の子弟たちを指す言葉)のである。

4、暗雲立ち込める金正恩後継体制の出帆

 9月28日の党代表者会で、後継者として公式化された金正恩であるが、その前途には早くも暗雲が立ち込め始めている。
 それは金正日総書記の長男である金正男(キム・ジョンナム、38)が、10月11日に放映(報道ステーション)されたテレビ朝日のインタビュー(10月9日)で、「個人的に3代世襲については、私は反対します」と明確に発言したことに示された。これは9月28日の朝鮮労働党代表者会と10月10日の朝鮮労働党創建65周年軍事パレードで盛り上げた金正恩後継公式化に正面から冷や水を浴びせるもので、金正恩の行く末を暗示している。

1)改善されていない金正日の病状

 金正恩の前途が暗いのは、なによりも金総書記の健康状態が一向に改善されていないことと関係がある。
 朝鮮労働党創建65周年軍事パレードに登場した金正日総書記の姿からは、2年前の脳卒中による後遺症がはっきり見て取れた。閲兵中は終始元気がなく無表情で、脳損傷による後遺症からか「うつの症状」が見られた。
 まず目に付くのは、右のほおにうっすらと見える黒斑が以前よりも大きくなった点だ。
これは心臓機能の異常と老化によるものと推定される。金総書記は長期にわたり糖尿病を患っており、腎機能が低下したとみられる。腎機能の異常で尿毒成分が尿として体外に排出されないと、有毒物質が皮膚に蓄積することになる。それが紫外線にさらされると、黒い色素沈着が生じる。
 金総書記は、左半身に後遺症が目立ち、その状況が改善していないとみられる。左肩はだらりと下がり、肩の関節を支える軟骨が力を失っている。これは肩の筋肉が委縮した結果だ。このため、金総書記は左腕を高く挙げることができない。左腕を体の中心方向に曲げるのも困難だ。それゆえ首を左に向けることもほとんどなかった。首の左側筋肉が硬直しているためとみられる。
 歩く際には、左足をひきずる様子が見られた。このような歩き方では、着地時に体重の圧力を自然に分散させることができず、いずれは関節の炎症を起こす可能性がある(朝鮮日報2010/10/13 )。

2)住民の冷ややかな対応

 北朝鮮当局が最近、常識外れの荒唐無稽な宣伝で、金正恩に対する大々的な偶像化作業を始めたが、これに対して住民からは冷笑と嘲笑が浴びせられているという。業績のない27才の若者を「偉大な指導者」として無理に美化したためかえって逆効果となっているのだ。このことも金正恩の行く末を暗示している。
 たとえば「青年大将金正恩同志に対する偉大性資料」(2009年末)というタイトルの宣伝物では、「青年大将同志は3才の時から銃を持ち、射撃で命中させた。今年は自動銃で1秒当たり3発射撃し、100メートル先の電灯やビンに命中させた」と主張した。また、ターゲットに20発撃ち、すべて10点内に命中させたとも宣伝している。そればかりか、「10代で古今東西の名将をすべて把握し、陸海空の全分野に精通し、技術者もできない『祝砲発射自動プログラム』を数日で完成させた」と書き記している。
 一方、北朝鮮の各家庭を有線でつなぐ第3放送では、金正恩が政治、経済、文化、歴史、軍事に精通しているだけでなく、2年間の留学で、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の4ヵ国語を完全に習得し、今後、これらを含めて7ヵ国語を征服するために勉強しているとし、さらに3才の時、難しい漢詩を筆で書いて周囲を感心させたと宣伝しているという。また、北朝鮮が核を開発したのも金正恩が海外留学を通じて、「核を持った者とは核で対抗しなければならない」という決心を固めたためだとも宣伝している。
 また北朝鮮当局が通達した「農民宣伝資料」には、金正恩が08年、沙里院(サリウォン)米穀協同農場を訪れ、その場で酸性の土壌を改良する微生物肥料を考え出して研究家を驚かせ、この農場では翌年、1町歩(=約9917平方メートル=3000坪)当たり15トンの稲を生産したという内容も含まれているという。昨年、韓国の1町歩当たりの米の生産量は5.2トンだった。
 このような講演を聞いた住民らは、「今は雪雨(ゆきさめ)が降っても米はできるので、食糧問題は解決した」、「ありあまる食糧をどう処理するのか、今から心配だ」などと皮肉まじりに嘲笑していると北朝鮮情報筋は伝えている。
 金正恩の偶像化は、金日成主席や金正日総書記の偶像化の時よりも荒唐無稽だ。今後金正恩偶像化に立ちはだかる生母高英姫の偶像化問題がどのように処理されるか注目される。

3)首領独裁の天敵−「市場」の復活と拡大

 金正恩の後継公式化は住民からの嘲笑を浴びているだけでなく、「首領独裁体制」の天敵である「市場」からも挑戦を受けている。
 北朝鮮当局は昨年11月に後継体制確立にも障害になるとしてデノミを実施し、「市場」を閉鎖しようとしたが見事に失敗した。現在北朝鮮には全国におよそ300カ所以上の市場が存在し活発な商取引を行っている。
 平壌の統一通りにある中央市場をはじめとして、平安南道平城、江西、黄海北道沙里院、黄海南道山城、平安北新義州道彩霞、咸鏡北道会寧などの市場が北朝鮮では代表的な総合市場として知られているが、その中でも平壌市楽浪区域で2003年8月にオープンした統一通り市場は、三つの建物に駐車場まで完備されている。同じく平壌市中区域の中央市場は単一のドーム型の建物で、やはり駐車場が完備されている。
 北朝鮮で市場は「黄色い風」(資本主義的な文化を意味する北朝鮮固有の語)の震源地として、常に警戒の目が向けられている。北朝鮮の市場は商品の売り買いだけではなく情報のやり取りもなされているからだ。こうした市場の拡大は、今後後継体制確立を脅かす最大の要因として立ちはだかるに違いない。
 そればかりか、ハード面とソフト面でのインフラの未整備は、国際的制裁と相まって経済の再生を妨げるだろう。特に市場経済とジョイントできない北朝鮮の基幹産業は、外資の導入で大きな困難ぶち当たるに違いない。中国がいくら支援しようとしても、「契約遵守」という商習慣のない北朝鮮では正常な経済関係を維持するのは至難の業だ。

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 北朝鮮は今後、中国の力を借りて後継体制構築を急速に進めようとするだろう。そして後継者の指導力を知らしめようとするに違いない。しかしそのためには、住民生活の向上が必須となる。当面は2012年までに北朝鮮経済の再生ができるかどうかが焦点だ。
 10日に急逝した黄長Y元朝鮮労働党書記は生前、「3代世襲が(北朝鮮内部での)権力争いの大義名分となり、金氏王朝は滅びていくに違いない」と予言していた。
 いつこの世を去るか分からない独裁者と27歳の息子が、新たな封建王朝を再び作り上げようとしているが、歴史の歯車をいつまでも逆回転させることはできない。2012年に向けて、いよいよ北朝鮮政権の変化の時が訪れようとしている。

以上

 
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