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金正恩権力継承の特徴とその脆弱性

コリア国際研究所所長 朴斗鎮
2011.12.31

 2011年12月17日、北朝鮮の金正日総書記が心筋梗塞で死去した。2008年に脳血管障害で倒れてから、つねに健康不安が言われていただけに、「来るべき時が来た」という感じで特に驚くべきものではなかったが、最近は健康が回復気味だと思われていたこともあり唐突な感じは否めない。2012年の「金日成誕生100年」と「強盛国家宣言」をキッカケに、金正恩後継体制の一層の強化を目差していた途上での死去であるだけに、北朝鮮体制に大きな打撃となることは間違いない。
 金総書記死亡が発表された12月19日、北朝鮮国営メディアは、28歳の若さで「後継者」となった金正恩に対して「主体革命偉業の偉大な継承者」「わが党と軍隊と人民の卓越した領導者」と表現した。28日の告別式に続いて、29日午前11時からの追悼大会(金日成広場)では、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が「われわれの前途には継承者の金正恩同志が立っている。金正日同志の思想、領導、度胸を受け継いだ最高の領導者」と追悼の辞で正恩氏をたたえ、「最高指導者金正恩」を内外に公式発表した。

金正恩権力の特徴

 しかしその権力基盤の脆弱さは、金日成から金正日へと権力が継承されたときと比較すると一目瞭然である。
 金日成が1994年7月に死去したとき、金正日は52歳で、すでに朝鮮人民軍最高司令官、国防委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、書記(組織・宣伝扇動担当)の地位についていた。
 またその呼称も後継者内定時の「党中央」との隠語から始まり「親愛なる指導者」「敬愛する将軍さま」などと実力に応じ20数年をかけて段階的に高められた。そういった意味では金正日の権力は「勝ち取った権力」であり「勝ち取った呼称」であったといえる。
 しかし、金正恩は父親が20数年かけて得た「主体革命偉業の偉大な継承者」「わが党と軍隊と人民の卓越した領導者」などの「呼称」をわずか一週間で得ている。このこと一つを見ても金正恩の権力は「勝ち取った」ものではなく「与えられた権力」であることは明白だ。金正恩の「呼称」には「業績」の裏打ちがない。ここに金正恩権力のぜい弱さが示されている。
 金正恩権力は脆弱だ。短期間で金正日のような一人独裁体制にもっていくには相当の無理がある。こうしたことから一部では「集団指導体制」を云々する論者もいるが、唯一思想、唯一指導の「首領独裁制」という政治スタイルをとっている北朝鮮では、「集団指導体制」は即「金王朝の廃止」を意味する。集団指導体制とは、議論を尽くし、トップが決済する形を取るシステムを意味するが、ある程度権限を各部署に移譲してこそ実現できるものだ。しかし、北朝鮮の意思決定システムはそれとは相容れない徹頭徹尾の一人独裁(首領独裁)のシステムである。
 したがって金正恩の権力は「一人独裁権力の弱体」→「集団指導体制」ではなく、過渡的形態として「首領独裁補強体制(後見人体制)」を経て、本格的首領独裁体制確立へと向かおうとしている。もちろんそれが思惑通り進むかどうかはひとえに金正恩の能力にかかっている。
 金正恩の血統的後見人は、正恩と同時に大将となった金正日の妹、金慶姫が務めることになる。金慶姫は、権力中枢に存在する金日成血脈の唯一的存在であり、夫婦仲の悪さが噂されるものの、党きっての切れ者張成沢を夫に持っている。28日の告別式では、その張成沢が霊柩車の右横を守り金正恩のすぐ後ろを歩くことで後見人としての存在を示した。当面は、この張成沢国防委員会副委員長、李英鎬朝鮮人民軍総参謀長、崔竜海書記あたりが金正恩を支えていくと思われる。ちなみに李英鎬の母親は金正日の母親とパルチザンで親しかった。また崔竜海の父親崔賢は金正日が後継者になるときに彼を支えた一人である。
 彼らを金正恩を支える人物と想定した場合、党中央軍事委員会を暫定的権力中枢機関にすることが最も自然かつ合理的だ。党中央軍事委員会のその他の構成メンバーも党・軍・政府の実勢であるために党と軍と政府を思うように動かせるからだ。この組織は金正日亡き後、実質トップが金正恩であるために新たな肩書きを作る手続きは必要ない。後は党中央軍事委員会が最高司令官の地位を金正恩に与えれば彼はそのまま軍の指揮権も掌握できる。金正日も金日成の死亡後に首領の後継者として「最高司令官令」をもって北朝鮮を統治した。19日に金正日総書記の死亡が公式に発表される直前、北朝鮮が朝鮮人民軍全体に下した「金正恩大将命令1号」も朝鮮労働党中央軍事委員会名義だった。
 今後焦眉の関心事になるのは党総書記(組織指導部長)の座だが、その職責は多少時間をかけても軍さえ掌握しておけば心配はない。だが時間は限られている。首領独裁体制では総書記を選挙ではなく「推戴」という形式で選ぶが、これは金正日総書記が手続きを省くために編み出した手法だ。金正恩もこの手法を踏襲するに違いない。

先行き暗い金正恩体制

 こうした権力移行を想定した上で、北朝鮮はいま金正恩を最高指導者とあがめるプロパガンダを強めている。19日に金正日死去を伝えた朝鮮中央テレビは「今日、わが革命の陣頭には、わが党と軍隊と人民の卓越した領導者(指導者)である金正恩同志が立っている」と強調。初めて「領導者」と呼び、後継者として国内外に正式宣言した。
 労働新聞は22日付の1面社説で金正恩氏を「革命偉業の継承者・人民の領導者」と紹介し、24日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」(電子版)は、金恩氏について「われわれの最高司令官、われわれの将軍と呼び、先軍革命偉業を最後まで完成させる」とする記事を掲載して金正恩を初めて「将軍」と表現した詩を掲載した。25日には朝鮮中央通信が正恩を「革命武力の最高領導者」「不世出の先軍霊将」と呼称した。しかしこうしたやり方は金正日が権力掌握を行なったプロセスとは全く逆である。
 無理の多い急ごしらえの権力システムであるこの体制が、短期的には成功するとしても、金正恩の力不足が明確になった時点では、利害が異なる勢力間で権力闘争が引き起こされる可能性がある。その時期は金慶姫の寿命とも関係するだろう。また軍服を着て登場したとはいえ党人派の張成沢と生粋の軍人である李英鎬の波長がこれからも合うかどうかもわからない。金慶姫の寿命が長く持たずこの両者が「金正恩」の忠臣競いを行なった場合、またそこに排除された呉克烈の勢力がその争いに加わった場合、この権力システムは困難に直面することになる。
 このシステムで党と軍の意見対立がもたらされた場合、金正恩は果たして金正日のようにその対立を調整することが出来るだろうか?。それは難しいだろう。結局、これまですべての権力を金正日という個人に集中させ、党や軍、政府を私物化させてしまった北朝鮮権力システムの弊害は、急ごしらえの後継者である金正恩の未熟さが明確になった時一気に噴出するだろう。
 金正恩が権力を完全に掌握するには二つの関門を突破しなければならない。
 まず第一の関門は軍の掌握である。金正恩が軍を完全掌握できるかどうか、ここに金正恩政権の命運がかかっている。金正日は服喪期間を3年とし、その間に水面下で軍の完全掌握を進めた。金正恩も服喪期間を設定しその間に軍の完全掌握を図るに違いない。しかしそれを実践するには残された時間があまりにも短い。この問題解決でのキーマンは張成沢だ。張成沢が軍服を着て登場したのもこうしたことと関係があると見られる。彼は金正日権力構築を実践し見てきた数少ない人物の一人であるからだ。
 第二の関門は、市場勢力を掌握できるかでどうかある。市場勢力をコントロールするには経済を立て直し「食糧問題」を解決しなければならない。軍を掌握しても食糧問題が解決できなければ2009年のデノミの時のような「市場の反乱」に遭遇し権力は不安定になる。
 ところがこの二つの問題は相反する面をもっており同時解決は非常に難しい。したがって金正恩体制は、遠からず「先軍王朝体制」か「改革開放体制」かのどちらかを選ばざるを得なくなるだろう。もちろんこの体制が生き残る道は「改革開放体制」しかない。それを拒否し続けた場合、金王朝の崩壊はまぬかれない。その結論はここ3年以内に示されるだろう。

 
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