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朝鮮労働党第4回代表者会での規約改訂と人事の特徴

コリア国際研究所所長 朴斗鎮
2012.5.1

 金正日総書記死亡後、手続きなしの「最高領導者」「最高司令官」に就任し、軍を中心に「現地指導(顔見世)」を行なっていた金正恩は、4月11日の「朝鮮労働党第4回代表者会」で党規約を改定して「朝鮮労働党第1書記」に推戴された。また、13日の「最高人民会議第12期第5回会議では、「国防委員会第1委員長」職を新たに設け、憲法を修正して選挙ではなく推戴の方法でその職責についた。父親の金正日総書記は、金日成主席の例に倣って「永遠の総書記」「永遠の国防委員長」に祭り上げられた。あと金正恩第1書記に残された肩書きは「元帥」の称号だけだ。

1、第4回朝鮮労働党代表者会で金正恩氏を「第一書記」に推戴

 朝鮮中央通信によると、朝鮮労働党第4回代表者会が4月11日平壌で開催された。
 代表者会には、朝鮮人民軍党、各道党、政治局代表会議で選出された1649人の代表者全員が参加した。また、党・武力・政権機関、勤労者団体、省・中央機関の幹部、朝鮮人民軍軍人、科学、教育、保健医療、文化芸術、出版報道部門の幹部515人がオブザーバーとして参加した。
 代表者会では、4つの議題@「金正日総書記を朝鮮労働党総書記として永遠にいただき、総書記の革命的生涯と不滅の革命業績を末永く輝かすことについて」、A「朝鮮労働党規約の改正について」、B「金正日総書記の遺訓を体して金正恩最高司令官を党の最高ポストに推戴することについて」、C「組織問題について」が討議された。
 また、党中央委員会政治局常務委員会委員を補選し、党中央委員会政治局委員、委員候補など党中央指導機関のメンバーを召還、補選した。
 崔龍海氏を政治局常務委員に、金正角、張成沢、朴道春、玄哲海、金元弘、李明秀の各氏を政治局委員に、郭範基、呉克烈、盧斗哲、李炳三、チョ・ヨンジュンの各氏を政治局委員候補に補選した。
 金慶喜、郭範基の両氏を党書記に選出した。
 崔龍海氏を党中央軍事委員会副委員長に選出し、玄哲海、李明秀、キム・ラクキョムの各氏を党中央軍事委員会委員に補選した。
 金永春、郭範基、朴奉珠の各氏を党中央委員会部長に任命した。

2、党代表者会で改訂された党規約の特徴

 第4回党代表者会では党規約を改訂、新指導者の金正恩(キム・ジョンウン)氏を党第1書記、故金正日総書記を「永遠の総書記」に推挙した。
 労働新聞が12日に報じた改正党規約の序文では、金総書記を故金日成主席と共に「永遠の首領」と呼び、「朝鮮労働党は偉大なる金日成同志と金正日同志の党」と規定し、「朝鮮労働党は偉大なる金日成同志と金正日同志を永遠に高く奉じ、敬愛する金正恩同志を中心に組職思想的に強固に結合された労動者階級と勤労人民大衆の核心部隊、前衛部隊である」と規定した。
 2010年9月の第3回党代表者会での改訂党規約の序文では、「朝鮮労働党は偉大なる金日成同志の党である」と規定し、「朝鮮労働党は偉大なる首領金日成同志を永遠に高く奉じ、偉大な領導者金正日同志を中心に組職思想的に強固に結合された労動者階級と勤労人民大衆の核心部隊、前衛部隊である」としていた。
 変化したのは、偉大な首領として金日成と金正日を並列にし同格にしたことと、金正恩に対しては一段下の表現である「敬愛する」との尊称を使っている点だ。しかしその権限は金正日総書記が持っていた権限と全く同じである
 また、朝鮮労働党は偉大なる金日成−金正日主義を唯一の指導思想とする金日成−金正日主義の党、主体型の革命的党である」と規定され、指導思想がそれまでの「チュチェ(主体)思想」から「金日成・金正日主義」に変わった。これは金正日の「先軍思想」が指導思想の中に付加されたもので北朝鮮の軍事優先が路線の範囲を越え「指導思想」の中に入り込んだものとして注目される。
 金正日総書記を「永遠の総書記」として「永久欠番」にした事と関連しては、党新規約で新たに「第1秘書(第1書記)」職を新設した。そして第1書記は党の首班として党を代表し、全党を領導して偉大な金日成同志と金正日同志の思想と路線を実現して行く」と規定されている。これは総書記と全く同じ位置づけである。
 金正恩が「第1書記」に就いたことから「集団指導体制移行」とする一部の学者や評論家がいるが、それは大きな誤りである。改訂された党規約は、「第1書記」と「総書記」の権限が、その内容において全く同じだということを示している。
 「集団指導体制移行」を云々する人たちは、「第1書記」を過去のソ連共産党の第一書記とダブらせているようだ。しかしソ連共産党の「第1書記」と今回の朝鮮労働党の「第1書記」とは、その意味するところが全く異なる。
 ソ連共産党の「第1書記」は、党中央委員会の「第1書記」であり、それは中央委員会の選挙で選ばれる。一方金正恩が「推戴」された「第1書記」は、党を代表し党を領導する「第1書記」で党の上に立つ「第1書記」である。前者は集団指導を前提としており、後者は一人独裁をその内容としている。

3、党代表者会で示された金正恩体制の人事とその特徴

 金正恩は新設された第1書記と党中央軍事委員長に就任し、常務委員としても名を連ね、党と軍を総括・指揮する権限を掌握した。党内の全事業は第1書記の金正恩から指揮を受ける党政治局常務委員を中心に行われる。党政治局を代表する政治局常務委員が政治局委員、党中央委員会書記を人選、党書記局を組織する。
 今回の党代表者会では、金正恩の全権掌握に基づき、ある程度金正恩色を出した人事が進められた。
 まず注目されるのが崔龍海(チェ・リョンヘ62)の大抜擢である。崔龍海は政治局常務委員に抜擢され、中央軍事委員会副委員長となった。すでに手にしていた次帥(4月10日)、軍総政治局長とあわせ強大な権限を手にし、金正恩最側近となった。1年7ヶ月前の党代表者会では、政治局候補委員、書記、大将の肩書きを得て大躍進と見られていたが、今回はそれを遥かに上回る大抜擢となった。
 総政治局長は軍の党組織と政治思想事業を担当、各階級の指揮官の事業を党的に調整・統制し、事業結果を定期的に党第1書記に報告する。
 軍隊内の全ての教育計画・命令書は軍指揮官と総政治局政治委員の署名がないと効力を発揮できない。政治委員らは軍指揮官の動向に関する報告書を作成する権限を持つため、総政治局所属政治委員は軍指揮官よりも強い権限を持つ。崔龍海は中央軍事委員会第1福委員長にも任ぜられた。
 注目されていた張成沢(チャン・ソンテク)はワンランク上がり政治局員となった。この人事に対して一部の人たちは、張成沢の権限が縮小したように受け止める向きがあるが、それは一面的な見方である。
 張成沢は金慶姫の夫として後見人の役割を果たす上においても、また、権力闘争の火種にならないためにも、あえて一歩下がったポジションに位置したのである。青年同盟時代を共にした弟分である崔龍海を、自らが座るべきポジションにつけ、軍に対する党の影響力を拡大させ、自らは大局的な立場から党、軍、政府の調整役に徹することがベストであると判断したと見られる。
 張成沢の政治能力は、金慶姫との関係においても変化を見せ始めており、実務経験の少ない金慶姫の張成沢に対する依存度は増しているという。また一時不仲説が取りざたされていたが、娘の死亡後修復されているようだ。
 張成沢、金慶姫後見人の政治方向は、肥大化し、腐敗が目立つ軍に対する党の指導を回復することである。軍の肥大化を克服することなくして金正恩の権力安定は望めないと見ているのだろう。それは金正日の「遺言」である可能性が高い。
 軍主導ではなく、党主導の「先軍政治」、これが金正恩体制が進める新たな「先軍路線」ではないかと思われる。昨年末に金正恩が国防委員会ではなく党政治局の名前で最高司令官となったのはその証であろう。
 今回の人事ではまた、金正角(キム・ジョンガク)を政治局委員に昇格させ、人民武力部長の職責と次帥の称号を与え軍の一角をになわせた。その結果、軍は総政治局長の崔龍海、参謀総長の李英鎬(リ・ヨンホ)、人民武力部長の金正角が鼎立する形となり、お互いを牽制させながらバランスを取る体制を整えた。呉克烈(オ・グンニョル)は政治局候補委員に選出されたが事実上「新軍部」からはずされたとみてよいだろう。

1)護衛総局を掌握した張成沢氏

 金正恩第1書記の義理の叔父に当たる張成沢朝鮮労働党行政部長が、金正恩氏の警護を担当する護衛総局を掌握したことについて朝鮮日報は30日、次のように報道した。
 北朝鮮の内部事情に詳しい消息筋は29日「金正日総書記が死去して以降、それまで軍の肩書きのなかった張成沢氏が大将の階級章付きの軍服を着るようになった」「張成沢が着ている軍服を詳しくチェックすると、通常の野戦部隊とは異なる護衛総局の特徴が見られた」などと語った。ただしこの消息筋は「保安上の事情」を理由に、軍服のどの部分にどのような特徴があるのかは明言しなかった。
 この問題で韓国政府の安全保障関連部処(省庁)の当局者は「護衛総局は最近、これまでの護衛司令部から護衛総局に名称が変わり、組織の改編が行われたことが分かっている。改編の過程で前任の尹正麟(ユン・ジョンリン)司令官(大将)が辞任し、新しい司令官が就任した。張成沢はこの新司令官を操っているのだろう」と述べた。
 護衛総局は北朝鮮で金氏王朝を守る最後のとりでだ。金正恩氏とその家族を警護することから、韓国の大統領府警護処に相当し、さらに軍によるクーデターの動きや人民による反体制の動きを監視・鎮圧する役割も担っている。また北朝鮮全域にある金正恩氏の別荘の警備も、護衛総局の兵士が担当する。ちなみに金正恩氏による全ての活動には、外側は人民保安部(警察に相当)、次に国家安全保衛部、最も近い警護は護衛総局という三重の警護体制が敷かれている。
 護衛総局の兵力は3万人前後とされるが、その下に編成されている平壌防御司令部を合わせると10万人を上回る。上記の消息筋は「護衛総局は戦車や装甲車などで重武装した最精鋭部隊であり、軍団クラスの部隊が反乱を起こしても鎮圧できるだけの火力を備えている」と述べた(朝鮮日報2012/04/30)。
 こうした情報は、当研究所でもすでに入手していた。金正恩体制を支える後見体制で張成沢氏が果たす役割はいっそう大きくなるだろう。

2)大抜擢された崔龍海とは何者か?

 崔龍海はいわゆる「抗日パルチザン第一世代」の中でも、金正日後継者推戴に関与した崔賢(チェ・ヒョン)元人民武力部長(1982年死亡)の次男だ。金正恩後継体制が公式化された2010年9月28日の第3回朝鮮労働党代表者会で、党中央委員会秘書(書記)、党政治局候補委員、党中央軍事委員などの要職のほか、人民軍「大将」称号を授与され、金正恩体制の核心人物として急浮上した。
 軍部での経歴がほとんど無い崔龍海が、人民軍「大将」称号授与からわずか1年7か月で「次帥」に昇進したことは、朝鮮人民軍の歴史上、前例のない超スピード昇進である。
 朝鮮労働党内の組織事業の経験が豊富な崔龍海の次帥への昇進と総政治局長への就任は、軍における党の領導力を強化するためと解釈できる。
 崔龍海は核心権力層の子弟が入学できる万景台革命学院を卒業後、金日成総合大学政治経済学部を卒業した。1986年、36歳で労働党の核心的な外郭組織である「金日成社会主義労働青年同盟(社労青)」の委員長に就任し、1998年までの12年間にわたり大組織を率いた。1993年には最高栄誉である「共和国英雄」称号を得ている。
 その後も金日成社会主義青年同盟第1秘書(1996年)、黄海北道党秘書(2006年)など党組織事業分野に従事。2008年、金正日の健康状態が悪化してからは、李英鎬(リ・ヨンホ)党中央軍事委副委員長とともに金正恩への後継作業を指揮する中心人物として浮上した。
 父親の崔賢に続き金親子の権力世襲作業の先頭に立ち、権力の頂点にいたものの、1990年代中盤の大飢饉のさなか、平壌市内の遊技場で青年同盟の「外貨稼ぎ企業所」などが稼いだ外貨を用い、派手な宴会を連日行ったかどで軍保衛司令部に摘発され、平壌市上下水道管理所党秘書に左遷された過去を持つ。
 当時、軍部は「われわれは飢えで苦しい中でも祖国の守護に命を掛けているのに、崔龍海のような青年同盟の奴らは、くだらない仕事に夢中になっている」と激怒したと伝えられている。父親の崔賢が金正日後継作業に功を立てた人物でなかったら、90年代、食糧難の責任をかぶせられ、スパイにされた徐寛熙(ソ・グァンヒ)農業担当秘書の「深化組事件(1997年に金正日が引き起こした大粛清事業)」の中心人物だった、チェ・ムンドク平壌市社会安全部(現在の人民保安部)局長のように銃殺される運命だったと平壌出身の脱北者らは言う。
 5年後の2003年8月、崔龍海は党総務部副部長に復帰したが、翌年、張成沢が「分派行為(派閥作り)」で粛清された際、側近らとともに権力の一線から外れることとなった。2005年、張成沢が党行政部長に復帰するや崔龍海も翌年3月、黄海北道党責任秘書に抜擢され金正日、金正恩体制の核心エリートとして再浮上した。


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 張成沢―崔龍海補佐ラインによる金正恩軍事独裁体制の確立、ここに新たに発足した北朝鮮体制の政治的特徴がある。この体制は当面軍の既得権層から反発を受けるだろうが、金正恩が彼らを信頼しているかぎり、北朝鮮権力はこのシステムに収斂するしかない。

以上

 
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