北朝鮮の金正恩体制登場以降、金正恩第1書記の活動スタイルが金正日総書記のそれと異なることから、韓国や日本などではまたもや「変化」を過大評価する論調が見られる。特に李英鎬(リ・ヨンホ、70)朝鮮人民軍総参謀長の解任以後その傾向が顕著となり、金正恩の夫人同伴や欧米音楽の導入などと結びつけ「改革開放」へとむかうのではないかとの憶測が広がっている。
「金正恩の妻」については、韓・日メディアの「悪い癖」が出て「妹」だの「第3の女性」だのと騒ぎ立てた。彼女の座る場所や「立ち位振る舞い」を見れば「正妻」であることは一目瞭然であるにもかかわらずである。そればかりか「夫人騒動」に便乗して、ガセネタの疑いが濃い「玄ソンウォル愛人説」まで取り上げた。こうした夫人同伴のパフォーマンスまでも「改革開放」と結び付けられている。
このような「願望的分析」は、過去の金正日時代にもあった。金大中元大統領の「太陽政策」がその典型であるが、彼は北朝鮮を支援すれば「改革開放」に向かだろうと「錯覚」し「太陽政策」を打ち出した。そして5億ドルの裏金で「南北首脳会談」を成就させ、「南北共同宣言」(2000年6月15日)という空手形(金正日がソウルを訪問するという約束は守られなかった)を受け取って韓国国民に「統一幻想」を撒き散らした。
しかしこの空手形で得たものは、北朝鮮の「核武装」と金大中元大統領の「ノーベル平和賞受賞」だけだった。北朝鮮で核武装が進むことによって、米国をはじめとした韓国、日本などの周辺国がいかに振り回されることとなったかは、6ヵ国協議の推移を見ても明らかだ。
1、「改革開放」の意味をもう一度吟味してみよう
現在、韓国や日本の一部では「改革開放」という言葉の中身を吟味しないまま北朝鮮の「改革開放」を論じている場合が多い。
「改革開放」とは政治システムを含めた「改革」であり、経済に限定されたものではない。特にマルクスレーニン主義を掲げた社会主義国家では、一党独裁の下ですべての経済システムが、国家の管理下で運営されていたために、政治改革を伴わない経済改革は不可能となっていた。
例えば中国が取った「改革開放政策」(1978年以後)も、毛沢東の個人崇拝とその体制を維持しようとした「4人組」を克服した後にケ小平らの「改革開放派」によって推し進められたものである。
毛沢東の個人崇拝下では、人民公社の解体も外資の導入や特区の設定も実現できなかったし、ましてや市場経済の導入は不可能であった。個人崇拝を通り越し指導者個人を絶対化・神格化する北朝鮮でのそれはなおさら困難である。
改革開放は市場経済の基本プレーヤーである小農経営、小規模の自営業及び企業の出現で可能であるが、北朝鮮の「首領独裁制」の下では一切の民間企業と企業家の創出が禁止されている。北朝鮮では計画経済と配給制の崩壊で国家管理の「総合市場」が復活したものの、市場経済の基本プレーヤーの出現が許されていないのである。小農経営、自営業及び企業などで構成される人民の 独自的経済活動空間は許容されていないということだ。
2、北朝鮮の「経済措置」は「改革開放」につながらない
北朝鮮で行われた「経済改革」といわれる措置の主なものには、2001年7月1日に行なわれた「7・1経済措置」や2009年11月の「貨幣改革(デノミ)」、そして今年の6月28日に発表されたという「6・28措置」などがあるが、こうした措置のすべては、「首領独裁体制」を維持または強化するための措置であって、市場経済化を許容し国民の生活を豊かにするための「措置」ではない。
それは過去の「7・1措置」の内容や今進められようとしている「6・28措置」の概略を見れば明らかだ。
2002年「7・1措置」の内容
北朝鮮は、計画経済と配給制崩壊の対策として2002年7月に、賃金と物価の実勢価格化、配給制の縮小、為替のヤミレートへの「サヤよせ」(北朝鮮ウオンの引き下げ)、企業の独立採算拡大、インセンティブ制の導入などを骨子とした「7・1経済管理改善措置(7・1措置)」を実施した。
しかしこれは、主に消費財の価格を闇市場の実勢価格にサヤ寄せし、それへの対応として賃金を引き上げ、「闇市場(自由市場)」を閉鎖してすべての物流を「国営商店」に一元化することが目的であった。すなわち、国家から離脱した経済部分を再び国家の統制下に置こうとするものであった。
この措置がいかに国民負担を増大させたかは「7・1措置」以後、賃金は17〜20倍に引き上げられものの、コメ価格は0.08ウオン(国家の買取0.6ウオン)から43ウオン(国家の買取40ウオン)へと500倍引き上げられた事実ひとつ見ても明白だ。
この措置の背景には「配給制度」の破綻があった。配給制度の破綻は、即、「首領」の求心力弱化をもたらした。
北朝鮮では1994年以後の飢餓によって、人民たちが職場から離脱して農産物の収買が不可能となり、配給物資をまともに確保することができなくなった。配給物資を確保することができない条件の下で、労動者を職場に復帰させる方法は、配給の代わりに賃金を支払って、すべての生活必需品を自己責任のもとに調達させるしかなかったのである。ところで、この賃金支払いが労動力動員という実效性をおさめるためには一定の範囲で市場の復活が必要だったが、国家の統制外に置けば政治体制に亀裂が入るために、闇市場を閉鎖し、物流を国家の支配下にある国営商店を通じて行なうことでそれを進めようとしたのである。
しかし、こうした措置は、物資の供給不足(日本からのモノとカネを前提にこの措置が採られたフシがある。それが小泉訪朝に対する北朝鮮の期待だった)によってすぐさま破綻した。その結果、生活必需品の供給を確保する必要に迫られ仕方なく従来の「自由市場」を黙認するとともに、2003年からは「総合市場」を開設した(これまで全国的に約300の市場が確認されている)。しかしその大部分は、農産物と輸入品を取り引きする市場(いちば)に過ぎなく、まともな施設を取り揃えたものとしては、平壌楽浪(ナクラン)区統一通りに設置された総合市場(100m×60m) 1ヶ所が紹介されているだけだ。
この「7・1措置」は、発行通貨の急激な増大をもたらしたが、この通貨増大に見合った物資の供給が出来なかったためにハイパーインフレが起こり、外貨を持たない国民は再び飢餓状態に落し入れられた。
「6・28措置」も過去の蒸し返し
北朝鮮は今年の6月28日に「新経済管理改善措置」を発表し、共同農場での作業の基本単位となる分組の規模を、現在の10−25人から4−6人に減らし、その分組に必要な生産費用を市場価格で国家が投資し、収穫後分組に配分された生産物を国家が市場価格で買い上げるとともに、各自が自由に処分できる農作物の割合も増やすことにしたという。その狙いは、生産意欲を刺激し、食糧生産を増やすことにあるようだ。
しかし北朝鮮は15年前の1997年にも協同組合での1作業班の人数を7−8人に減らし、国に農作物を納める割り当てを大きく減らす「改善措置」を発表している。その内容は今回とほぼ同じだった。それから5年後の2002年には、個人が任意で開墾・耕作できる耕作地を拡大する措置も下していた。ところがその後、これらの措置はさまざまな問題を理由に取りやめとなり、責任者は粛正された。北朝鮮は協同組合を住民監視に利用しているため、改革・開放によって住民の統制力が弱まってしまうと、体制そのものが揺らぐと判断したわけだ。
今回発表された「措置」も市場価格で買い入れた生産物をそれよりも安い価格で放出しなければならないため、その逆ザヤを埋める財源がなければ「7・1措置」と同じ運命をたどる可能性がある。ところがこの財源の確保が明確に示されていない。また分組への投資財源も明らかでない。
金正恩体制の命運が経済の再生、特には食料の増産にかかっていることは明確だ。もしも今回の「措置」が再び住民の期待はずれに終わるとしたら、その反動は過去の比ではなくなるだろう。
3、「先軍路線」を放棄しない限り「改革開放」には進めない
金正恩体制が「先軍路線」にこだわる限り北朝鮮は「改革開放」には進めない。それは「先軍路線」に基づく「強盛大国路線」が改革開放路線と全く相容れない路線であるからだ。
1995年前後は北朝鮮にとって難しい時期だった。金日成の死亡、300万人と推算される大量の餓死者の発生、中国への脱北者続出、国内経済の崩壊などが北朝鮮を襲った。北朝鮮はこのような状況を自ら「苦難の行軍」と呼んだ。それは一応1998年に終わったとされている、「苦難の行軍」後に出てきた体制維持のための総路線がすなわち「強盛大国路線」だ。この年、北朝鮮はテポドン1号を発射し周辺諸国に緊張を走らせた。
この「.強盛大国」という総路線は、困難な状況を改革によって正面から乗り越えるための国政方向ではない。ただ金正日政権のみを延命させるための手段に過ぎなかった。すなわち、周辺の 旧社会主義諸国が改革開放政策を選択することを見ながらも、北朝鮮だけは 旧体制を 固守することで延命を図るというものだった。それがほかでもない「ウリ式(我々式)社会主義」である。
金正日は、改革開放が旧社会主義諸国で崩壊した国民経済を再建する政策であったものの、その過程で必然的に政権交代が起こったという事実をはっきりと見たのだ。したがって金正日としては、いくら国内外情勢が難しいと言っても自己の生存のためには既存の閉鎖的路線を強化するしかなかったのである。
強盛大国路線が既存体制の強化であることは、強盛大国の内容をよく見れば分かる。強盛大国は政治思想大国、軍事大国及び経済大国で構成されているが、その構成内容のどれひとつ取っても旧体制の継承・強化につながるものばかりだ。
まず政治思想大国であるが、それは配給制の崩壊で弱化した「首領独裁」(首領の神格化、絶対化、信條化、無條件化)を、恐怖政治(暴力)でいっそう強化することを意味する。強盛大国論によれば、力強い首領の指導の下に一致団結すれば、天下無敵の政治強国が建設されるというのだ。しかしこの一人独裁強化と改革開放は相容れない。
二番目は軍事大国である。軍事大国を建設するためには国家の政治的及び経済的総力量を軍事化するしかない。しかし周知のとおり国民経済が破綻した条件の下で、軍事工業の建設は容易でない。また現代戦は火力戦であるため石油のない軍事大国もありえない。結局軍事大国建設の内容は、貧者の恫喝武器である核とミサイルの開発ということになる。しかし北朝鮮が核とミサイルの開発をあきらめないかぎり外国からの投資は望めない。
三番目の経済大国だが、これについては北朝鮮もまだ 未完成であるということを認めている。経済大国は政治思想大国や軍事大国とは違い、世界経済と結びつかないかぎり実現不可能だ。しかし北朝鮮は経済大国の建設において、自力更生に基づく自立的民族経済の原則を徹底的に貫徹しようとしている。市場経済と国際分業に依存しない経済大国を建設しようというのだ。このような経済大国はかつて地球上に存在したことがない。それにもかかわらず北朝鮮がこのような経済を建設しようと言うのは、首領の恣意的政策を拘束する市場原理と国際分業のルールを排除したいためだ。
金正恩が金正日が作り出したこのような「強盛大国」路線を継承するかぎり「改革開放」には進めない。それは北朝鮮自身も認めているようだ。
北朝鮮の対韓国窓口機関、祖国平和統一委員会のスポークスマンは7月29日、韓国の政府やメディアが最近の北朝鮮の動きを「改革開放の試み」と解釈していることに対し「われわれ(北朝鮮)の激動的な現実は全世界を驚嘆させている。かいらい一味(李明博〈イ・ミョンバク〉政権)がこうした現実を我田引水的に解釈して『政策変化の兆し』『改革・開放への試み』だのと騒いでいる」と非難し「体制変化や改革・開放の可能性を騒ぎ立てることは、われわれに対する誤った印象をつくろうとすることに醜悪な目標がある」「南朝鮮(韓国)は『吸収統一』という妄想を追求する邪悪な狙いを持っている」などと主張し「改革開放」を強く否定した。これは「改革開放拒否宣言」と言えるものではなかろうか。
以上