金永煥(キム・ヨンファン、50)
ソウル大学法科大学校公法学科卒業
「鋼鉄書信」として知られた文書と書籍を通じて、主体思想と民族解放(NL)路線を、韓国学生運動の主流に成長させた人物。1991年5月に潜水艇に乗って北朝鮮に入国し金日成に会った後、北朝鮮こそ民主化しなければならないと決意し、北朝鮮の民主化活動家に転身した。2013年3月中国滞在中に国家安全危害の容疑で逮捕され、113日ぶりに釈放された。「取り調べの間拷問を受けた」と明らかにしたが、「中国の人権問題が浮き彫りになれば北朝鮮人権問題の本質がぼかされる可能性がある」として拷問の具体的な内容は公開しなかった。
*この論考は、2013年5月30日に行なわれた「2013デイリーNK東京情勢報告会」で発表されたものです。
【本文】
最近、北朝鮮はかつてない勢いで好戦的な発言を連発している。南北が長期間に渡り努力を続け最悪の状況でも維持してきた開城工業団地まで閉鎖する一方、米国のバスケットボール選手であるロッドマンを招待し試合観戦をしながら和気あいあいとした雰囲気を演出し、また全国軽工業大会を開き人民生活向上を強調するなどと、戦争ムードの高潮とは全く不釣り合いな言行を同時に見せたりもした。北朝鮮政府と金正恩のこうした矛盾した姿は、いかなる原因と条件から発生したのだろうか。北朝鮮による緊張高揚の程度や期間が過去になく強力で長期にわたるなかで、この状態をどう理解すればいいのだろうか。北朝鮮は今後、どのような方向に向かって進んでいくと見るべきなのか。
これらの質問に答えるためには、北朝鮮体制で死後も依然として絶対的な地位を占める金正恩の父親であり前任の独裁者である金正日の遺訓が何なのかを先ず理解する必要がある。
1. 金正日の遺訓
金正日は最小17年、最大38年にわたり北朝鮮で絶対権力を行使し神の位置に君臨していた。一般住民は言うまでもなく高位党幹部や軍指揮官らも神的な存在として奉った。そのため依然として北朝鮮では金正日の地位や影響力が絶対的である。金日成が死去してから19年の歳月が過ぎたが、今もなお北朝鮮での彼の地位が絶対的であることと同じである。また、金正日は金正恩の父親である。前任者を否定したくてもその権威のために仕方なく形式的に従うふりをするだけの後継者である可能性もほとんどない。このような側面を考慮する場合、現在の北朝鮮政府の路線と政策を判断するうえで、金正日の遺訓について先ず理解することが最初の手順となるだろう。
金正日の遺訓がどのようなものなのか明確に知られてはいない。金正日の遺書として公開されているものがあるが、まだ立証されてはいない。そのため金正日の遺訓を知るためには、彼が晩年に何を行ったのか、どのような明白なメッセージを残したのかを分析する必要がある。
そうしたことを念頭に置き、特に2008年8月に脳卒中で倒れ、数ヵ月後に病床から起き上がった後から死ぬまでの3年余りの期間中に何に注力したのかを分析してみる。
1)後継者の地位安定化
金正日が病床から起き上がった後、最も優先し集中的に推進した事案は後継者を公式化することだった。早々と2009年1月には金正恩が後継者であることを党の中下級幹部にまで公文を送り確認させ公式化させた。金正恩が後継者として確定したのは、2009年1月ではなく2007年1月という説も広く拡散しているが、現在のところ確認する術は無い。仮に2007年に金正恩を後継者として確定したとしても、極少数の核心幹部だけではなく広範囲な党幹部らと共有し公式化させたのは2009年1月だった。深刻な病を患った金正日としては、後継者を公式化させずに死んでは大変だということを考慮せずにはいられなかったし、自然の流れで後継者の公式化を最優先事業として推進したと思われる。
2)核兵器と長距離弾道ミサイルの持続的な開発
金正日がその次に優先順位を置き集中的に推進したのは、長距離弾道ミサイル実験と核実験だった。この時よりはるか以前から予定されていた可能性もあるが、自身が死ぬ前に完成に近いレベルの核兵器と大陸間弾道ミサイルを目にしたいという欲求のため、病床から起き上がった後、日程を早めるよう指示した可能性も少なくない。2009年4月5日、北朝鮮が人工衛星だと主張する大陸間弾道ミサイル「銀河2号」(光明星2号)の発射実験があった。銀河2号は3800km余りを飛行したが、3段分離が正常的に作動しなかった。成功とは言い難いが大いに発展したことは事実であり、成功に近づいたもの評価された。
その直後の2009年5月25日には、2回目の核実験を強行した。当時、震度4.5、TNT2~4ktの威力があったとされ、2006年10月の1回目の核実験当時、震度3.9、TNT1ktの威力だったのに比べればどの程度発展したのかが分かる。
しかし死が近いと考えた金正日が自身が生きているうちに完成を目の当たりにしたいがために、過度に事を急いだとみる視点も少なくない。銀河2号も成功とは言えず、核実験も濃縮ウランを使用したわけでもなく1回目の時と同様の方式を使用したものならば、その程度の爆発力改善で敢えて無理のある核実験を行う必要があったのかと疑わしい。
これらの実験が成功であろうと失敗であろうと、金正日が実験を過度に早めただろうと正常的な日程で推進したでろうと、いずれの場合にも関係なく自身が病床から起き上がり、後継者公式化に続き何よりも先に重点的に推進する事業が核兵器開発と大陸間弾道ミサイル開発という点を国内外に、そして党幹部と金正恩に強力に見せ付けている。
核兵器開発と大陸間弾道ミサイル開発がいかなる場合にも譲歩できない、最後まで推進すべき核心課業であるとい点が金正日の遺訓に必ず含まれるということは、大部分の北朝鮮専門家らが認めている。
3)中朝関係の改善
続いて金正日が重点的に推進したことが中朝関係の改善である。
北朝鮮による2回目の核実験に対し、国際社会は激憤し2009年6月、国連安保理決議案1874号を満場一致で採択した。満場一致というのは中国も賛同したことを意味する。決議案の内容は貨物検査、武器禁輸及び輸出統制、金融ㆍ経済制裁などを骨子としており、従来の1718号決議案に比べより具体的な内容が含まれていた。なかでも経済制裁案に対北金融支援、無償援助、新規借款契約禁止、既存契約減縮に向けた努力などが含まれていた。
ここまで来れば中朝関係は最悪になるのは当然である。中朝が血盟関係といえでも、北朝鮮は血盟を無視し二回も勝手に核実験を強行し、中国も北朝鮮に対する制裁案に迷うことなく賛成票を投じた。互いが強く非難し、敵対関係になるのは自然の成り行きと思われた。しかし結果は全く反対の方向へと進んだ。
国連決議案が発表される頃、中国指導部は根本的な対北政策を決めるための共産党中央外事工作領導小組(組長:胡錦濤主席)開催を決定した。小組は2009年8月上旬、2泊3日にわたる会議を開き今後の対北政策の方向性について議論を行ったとされる。様々な意見が出され激論となったが、北朝鮮に対する継続的な支援を含む従来の政策をそのまま維持することで決着がついた。北朝鮮核問題と中朝関係を分離し、北朝鮮の核とは関係なく北朝鮮との関係を強化するとの方針も決定された。
小組会議が幕を閉じた直後の同年8月末、武大偉6ヶ国協議首席代表が訪朝し、9月には戴秉国外交担当国務委員が訪朝。10月には温家宝総理が訪朝し、積極的な中朝関係改善に乗り出した。温総理は訪朝した際、「経済援助に関する交換文書」「経済技術協調協定」など多様な協定と合意文、議定書などにサインした。温総理は訪朝中「中国人民支援軍烈士墓」に立ち寄り、中朝間の血盟関係を再確認し誇示した。これら全ての動きが北朝鮮が2回目の核実験を終えていくらも経たない、中国が参加した国連安保理対北制裁から数ヵ月も経たない間に起きたというから非常に驚きである。中国は1年前、金正日が倒れたことを受け、北朝鮮をこのまま放置していては崩壊につながりかねないとの危機感を感じたとも考えられる。あるいは強圧的な態度では北朝鮮に影響力を行使するには限界があるとの歴史的教訓を思い返した態度とも考えられる。どっちにしろその後中国は、北朝鮮に対し一貫して友好的で支援の姿勢を貫いた。
北朝鮮も対中関係改善に積極的に取り組んだ。金正日は健康がある程度回復するや、2010年5月以降、1年間で3回も中国を訪問した。2010年5月、2010年8月、2011年5月と3回にわたり中国を訪問。2011年8月にはロシア訪問後の帰国の路で中国に立ち寄ったのを含めれば、計4回となる。これは内向的な指導者として知られる金正日であるためだけでなく、一般的な国家の指導者としても極めて珍しいことである。金正日が中国を訪問するたびに、中国は儀典や保安など様々な面で最高のもてなしをした。
中朝貿易も非常に早いスピードで成長してきた。中朝貿易額は2009年は26億8千万ドル、2010年は34億7千万ドル、2011年は56億4千万ドル、2012年は59億3千万ドルと増加した。金正日が対中外交に集中していた2010年~2011年の間の貿易増加額は22億ドルで、62%の増加率であった。
貿易がハイスピードで増加した以外にも、労働力交流や労働力の輸出も急速に増加している。2012年の一年間にビザを発給し合法的に中国を訪問した北朝鮮住民は全部で18万600人であり、2011年に比べ18.6%増加した。このうち就業ビザで中国に行った人は全部で7万9千600人に上った。今年に入ってもこのような雰囲気は維持されている。今年1月から3月までの三ヶ月間、中国を合法的に訪問した北朝鮮住民は4万6千人とされるが、これは昨年同時期よりも14%増加した数である。北朝鮮の核実験以降、中国で北朝鮮住民に発給するビザ審査を若干厳しくするとされるが、現在のところは人的交流が萎縮しているとの情報は特にない。
中国の対北投資は統計によれば、貿易ほどの増加の勢いは見せていない。毎年1千万ドル程度の線を維持している。中国の投資家の立場としては、北朝鮮の投資家保護がずさんな点、北朝鮮体制がいつ滅亡するか分からない点、戦争勃発の可能性などを理由に積極的な投資はしないように見受けられる。一方で撤退する投資家が増加しているという。最近、国軍捕虜が古乾原炭鉱、下面炭鉱、茂山炭鉱などで強制労働を強いられたとの報道があったが、これら鉱山地域で正常運営されている鉱山のほとんどは中国企業が運営しているという。
4)韓国との一定距離維持
金正日が晩年、全世界にもう一つ強力な印象を残していったのが韓国への挑発行為である。北朝鮮による挑発行為は昨日今日に始まったわけではないが、金正日が最後に起こしたそれは以前に比べ相当な勢いを持っていた。1987年の大韓航空機爆破事件以降の主な挑発行為はNLL紛争を媒介とした西海海軍によるものであり、残りは規模の小さいものだ。2010年3月と11月に発生した天安鑑爆沈と延坪島砲撃はその程度が西海交戦より何倍も強かっただけでなく、明白な名分も理由もなく挑発行為を強行し世界中を驚かせた。その前にあった西海交戦は北朝鮮が計画的に起こした事件ではあるが、証拠が不明瞭なうえ北朝鮮が長期間提起してきたNLL紛争という形式的名分もあった。しかし天安艦爆沈と延坪島砲撃は形式的名分も提示できなかったうえ、現在までも状況は変わらない。これらの挑発行為は全て金正日の意識状態が明瞭で正常に政務を執行していた頃に発生している。二つの事件とも金正恩が主導したとの説もあるが、このような説は確実な根拠がないうえに例え金正恩が提案したとしても当時の北朝鮮体制の特性上、このような重要な問題については金正日の精密な検討と決心が決定的だったことは明白である。
では金正日は世界に向け北朝鮮の評価を大きく低下させる、百害無益にしか見えない挑発行為を何故行ったのか。
その理由は複数あると思われるが、そのうち最も重要なことは「韓国と距離を置くため」だと思われる。金正日は後継構図を確定させ核兵器と長距離弾道ミサイルの発展を一定程度進めた後、経済発展と安保における中国の確固とした支援を獲得した条件で、体制安定のための事前作業に積極的に乗り出したといえる。韓国の存在自体が、そして韓国との接触が長期的に北朝鮮体制に大きな威嚇として作用すると判断し、韓国との関係を可能な限り遠ざける大儀名分と条件を蓄積するものである。北朝鮮が中国に対し積極的な開放と改革を推進している条件を考えれば、北朝鮮体制の安定性はますます懸念される状況である。従って韓国とはさらに距離を置き緊張関係を維持する必要がある。その次に北朝鮮の核兵器保有と中国の急速な軍事力強化、中朝関係の強化など、変化した東北アジア情勢で韓国、米国、中国などがどのように対応するか様子をうかがい、それに見合った戦略を立てるための可能性もある。後継者の金正恩が戦略戦術的能力が総体的に劣ると判断し、自身が生きている間により緻密な戦略を立てておくためとも考えられる。そのほか、後継体制が本格化する条件で北朝鮮内部の動揺が発生しうると予想し、対外的な緊張関係を造成し人民と軍に対する統制と掌握力を強化し、その過程で自然に金正恩の影響力を拡大させるという狙いも考えられる。以上の理由のうち、いずれかひとつに力点が置かれていることも考えられるが、これら全てを一度に考慮した可能性がさらに高いと考える。
改めて整理をするならば、金正日が脳卒中で倒れ病床から再び起き上がった後、3年余りの間に集中的に推進した事案、もしくは遺訓として残した可能性が最も高い事案は、第一に後継者の金正恩を中心に確実に団結すること、第二に核兵器と大陸間弾道ミサイルを絶対に放棄せず最後まで開発し保有すること、第三に中朝関係、そのなかでも特に中朝経済関係を急速に発展させ、これをもとに経済と安保の二兎を捕まえようとすること、第四に韓国との一定の距離と緊張関係を維持することである。
金正日が死去した後、現在までの進行過程をみた場合、北朝鮮は総じてこのような金正日の遺訓または啓示に従っているものと思われる。核兵器と長距離弾道ミサイルの開発を持続的に推進している中朝間の政治的、経済的関係を今後も保護・維持しており、南北関係を改善する意図を持つ朴槿恵大統領の就任に合わせ、核実験を行い好戦的な発言をすることで韓国と距離を維持しつつ緊張関係を強化している。
2. 金正恩政権の基本戦略 -経済と核の並行路線
金正日は一生涯にわたり経済開発や改革開放に対し曖昧な態度で一貫した。正統社会主義の道を教条的に守ろうとするわけでもなく、改革開放をしようとするわけでもなかった。2000年代に入ってからは改革開放的な要素をある程度は受け入れようとするジェスチャーを幾度か見せたが、持続的な政策と実践としては発展しなかった。そんな彼らしく最後に見せた啓示も若干不明確な部分が存在した。中国式改革開放を積極的に行えという意味なのか、中国と経済協力はしつつ改革開放は不可避な最小限の水準におさえよという意味なのか、普遍的な開放の方向へ進めという意味なのか、中国に対してのみ開放せよという意味なのか明確でない。金正日が金正恩にだけこのような問題に関する具体的で明確な指針を提示したかもしれないが、そうでない可能性も十分にある。核問題で国際的に孤立した条件で、中国との経済協力を強化すべきということは彼の政治的センスなら容易に判断できることだ。しかし経済政策と関連してはまともに成功したことがない彼としては、経済政策についてはそれ以上の具体的な指針を提示しなかった可能性も高い。
仮に金正日が具体的な経済政策について指針を提示したとしても、経済政策と関連し成功を収めた父親の姿を見たことがない金正恩が、そのような指針を教条的に受け入れるとの保障もない。よって金正恩が改革開放政策を展開するか否かについてだが、万が一展開するならばどの程度のレベルで実践するかは金正日の啓示よりは金正恩が見せた各種路線と政策、彼の政治スタイルを見て判断するしかない。金正恩はまだ独自な権力基盤が脆弱なため、父親の権威に主に依存する政治を行ってきたが、最近は少しは独自な動きを強化した姿も見られる。その代表的なものが「経済建設と核武力建設の並行路線」である。
北朝鮮の朝鮮労働党は今年3月31日、党中央委員会全員会議を開催し「経済建設と核武力建設」を並行していく路線を採択した。会議決定ではこの並行路線について、金日成と金正日が徹底して実現させてきた「経済と国防並行路線」の継承であり、深化•発展であると表現した。しかし実際には金正日は「先軍政治」のみを重点的に掲げ、並行路線を実践したと言えるほどの成果はない。そのため金正恩による並行路線は金正日とは異なる新しい路線だとも言える。1962年、金日成が提起した「経済国防並行路線」の場合、当時の論争構図から判断し経済よりも国防に焦点が合っていた。金正日の先軍政治の1960年代版とも言える。しかし金正恩は言葉では並行路線と言っているが、実際には「我々は核兵器を絶対に放棄しない。それゆえこれについては一抹の期待も持つな。ただし、核兵器がある程度完成し安保が確実になったため今後は経済に重点を置いて邁進していく」というメッセージが核心となっている。よって言葉では金日成と金正日を継承したとは言うが、金日成と金正日が先軍の方に中心軸を置いたならば、金正恩は先軍よりは経済の方に中心軸を置くとの意志が読み取れる。金正恩は3月31日、中央委員会の演説で「全ての力量を総集中させ経済強国建設で決定的な転換を成し遂げなければならない」と強調し、数日後の4月5日、労働新聞の社説では「経済建設と人民生活向上に向けた闘争に資金と努力を総集中させるのに有利な条件が準備」されたと強調していることから、このような意志が明白に表れている。
中央委員会の決定で並行政策を「恒久的に堅持していくべき戦略的路線」と強調したことから、金正日が掲げた「先軍政治」と同水準の核心政治路線として掲げていく可能性も高いと思われる。同決定では人民経済先行部門•基礎工業部門の生産力増大、農業と軽工業に対する力量集中を通した最短期間内の人民生活安定、自立的核動力工業の発展及び軽水炉開発事業推進などを提示。また、貿易を多角化・多様化する必要があり、知識経済を発展させ元山と七宝山地域を観光地区とし、各道に経済開発区を展開させなければならないと要請した。翌日の4月1日に開かれた最高人民会議で北朝鮮の経済改革を代表する人物である朴奉珠(パク・ボンジュ)党軽工業部長を総理に選任したのは、それだけ経済発展の意志が強いと理解すべきである。金正恩は3月18日、10年ぶりに開催された全国軽工業大会で「軽工業戦線は農業戦線とともに現在の経済強国建設と人民生活向上のための闘争で火力を集中すべき主たる打撃方向」と強調した。金正恩は昨年は頻繁に軍部隊を訪問したが、4月20日頃に405部隊を訪問するまで二ヶ月近く軍部隊を訪問しなかった。その代わり機械工場を含む数ヵ所の工場と妙香山少年団野営所を訪問し経済民生の現場視察に注力した。これらの行いも経済を強調する自身の発言の説得力を高める姿勢を思われる。
3. 経済・核並行路線成功の可能性
北朝鮮が核を保有したまま経済を発展させることは不可能との指摘も多く出ている。核兵器により外部世界との対立が持続すれば、外部の投資家はもとより中国の投資家も北朝鮮への投資をためらうようになり、地球村の主導国家となった中国が国際世論を完全に無視してまで北朝鮮に一方的な経済支援をすることも難しくなる。このような理論は相当部分理に適った側面もあるが、2006年の北朝鮮による1回目の核実験以降の7年間の過程を見る限り、必ずしもそうとは言えない側面も存在する。当時、北朝鮮が核兵器を媒介に西方世界との対立を続ける場合、経済が破綻し継続的に持ち堪える底力が次第に枯渇するだろうと推測する人も多かったが、反対にこの7年間、北朝鮮の経済は持続的に改善してきた。これの相当部分は中国が北朝鮮を積極的に保護し支援してきたために可能だった。
今年の北朝鮮による3回目の核実験以降、中国は国連の北朝鮮に対する制裁に賛同するという立場から、北朝鮮に対する一部金融制裁とビザ審査の強化などと一連の制裁措置に着手した。しかしこれらの措置に対し、北朝鮮の神経質的反応がないことから北朝鮮と中国の間で事前に話し合われた措置である可能性もあると思われる。いくつかの真似事程度の水準の制裁に終り、数ヵ月後に再び中朝経済協力を強化する方向で進むならば、核兵器を手にしたまま経済発展を追求するという北朝鮮の戦略はある程度は成功する可能性も排除できない。2回目の核実験後、2009年に北朝鮮との関係改善に乗り出した際に中国がどのような立場で臨んだのかも気になる。当時、中国が北朝鮮に対し追加の核実験を中止するよう要求した可能性は高い。しかし金正日のスタイルからして、これに応じた可能性は皆無である。適当にごまかしたり朝鮮半島の特殊性に関する長談義をした確率が高い。すでに北朝鮮の立場を知りこのような反応を予想していた中国が、これらを甘受してまで北朝鮮との積極的な関係改善に乗り出したのは、過去の核実験と製造済みの核兵器と核物質をある程度は認めるだけでなく、今後もありうる核実験に対してもすべてとまではいかなくともある程度までは認める心構えだったことは明らかである。このような側面を理解する場合、中国が国際世論と北朝鮮との関係を同時に考慮するとしても、結局は雰囲気の流れをうかがいつつ北朝鮮との関係維持と強化を選択する可能性が高いということを示している。
4. 北朝鮮体制の根本的限界
北朝鮮の経済発展政策は成功するのか?
肯定的な要素としては金正恩などの指導部が経済発展に対し、かなり強力な意志を持っているように見られ、権力掌握力が当面は大きな問題はないように見えることと、北朝鮮が依然として優秀で勤勉で金稼ぎに積極的な多くの住民に支えられている点、30年間にわたり世界で最も急速に成長し現在も急成長している中国の全幅的な支持と支援の下に推進中という点などがある。これらの肯定的な要素は非常に重要で強力なものであるため、これは極めて看過し難い。
しかし同時に否定的な要素も決して無視はできない。体制への威嚇がその核心である。金正日が今まで経済開発に対する意志が全くなかったわけでもなく、愚直なために実行不可能だったわけでもない。経済開発にも並々ならぬ意志を持っていたが、経済開発よりは体制維持に重点を置いた結果、経済政策は一貫性を失い完全に使い物にならないものとなってしまった。経済活動は信頼と安定性を命とするが、体制に対する不安感のために右往左往しているうちに経済活動の参加者らは積極性を持つことができず、外部はさらに北朝鮮を信頼することができなかった。
北朝鮮が現在追求する経済発展戦略に改革開放という用語を使用できるのかは、しばらく様子を見る必要がありそうだ。「改革開放」は中国が追求していたものと同様の方向に進む場合にのみ使用可能なものと理解するべきである。現在の状況では北朝鮮の経済政策にこのようなタイトルをつけるのは難しい。経済発展が一定水準を越えた時に改革開放政策の方向に進まない場合、それ以上の発展を期待することは難しいと思われる。
しかし北朝鮮は改革開放を実行するのは根本的に困難である。
第一に北朝鮮社会が全面的な改革開放を受け入れることができないほどに満身創痍状態である。北朝鮮社会の腐敗が余りにも酷く、正常的な経済活動は非常に困難である。もし外部の投資家や北朝鮮内部の富裕層が公開的に投資し企業を運営する場合、上下のあらゆる拝金集団が金を喝上げたり横流しするために集中的に群がってくるだろう。現在、北朝鮮に投資をしている中国人投資家らは中国での不正腐敗に慣れているにもかかわらず、中国よりも何倍も上手の北朝鮮の不正腐敗に嫌気がさしている。利潤目的でない援助目的の投資をしている外国人、例えば北朝鮮の子どもたちに無料でパンを提供するため、北朝鮮にパン工場を運営するなどの活動を行う人にまで様々な理由で賄賂を要求する場合が多いという。中間幹部は金を少々くすねる程度で終わるだろうが、高位級幹部の場合は利潤が多く生産される企業を発見すると何としてでも奪い取るか、その持ち前の半分以下の価格で恐喝まがいに奪い取るために執拗に努力する。こんな状態では正常な投資をしようという欲求が生まれてこない。外国人でさえこのような有様であるため、北朝鮮内部の富裕層は、金を埋蔵したり海外に貯蓄するなどして、北朝鮮内部で公開的に投資しようとはしないだろう。
勿論、最高指導部でこのような不正腐敗を認めはしないだろう。しかし不正腐敗を克服するのは決して簡単なことではない。世界中の大方の国の歴史に記録されているように、不正腐敗の克服は長い歳月と粘り強い努力が必要である。正確な政策と強力な意志と執行力を以てしても不正腐敗の克服には長い歳月がかかるが、北朝鮮の最高指導部が果たしてそのような明確な認識と意志を持っているのか不確実である。
第二に北朝鮮体制が開放に持ち堪えるほど頑丈ではない。1978年、中国が改革開放政策を開始した際、中国共産党のリーダーシップは強力で確固としていた。国際共産主義運動もはっきりとした敗亡の兆しを見せていない時だったため、台湾は体制威嚇の条件としてはほとんど作用しなかった。そして改革的で進歩的な知識人や学生が文化大革命当時、弾圧を受けていた鄧小平、胡耀邦、趙紫陽など改革開放の指導部を積極的に支持した。
北朝鮮は現在、国際共産主義運動が完全に崩壊した条件の下で開放を開始しなければならない。朝鮮労働党のリーダーシップも中国共産党ほどに強力ではなく、また最大の体制威嚇要素となりうる韓国とは多方面で直接対決を強いられるという点を覚悟する必要がある。そして鄧小平とは違い、金正恩は金日成と金正日から受け継いだ過去の体制と決して絶縁することはできず、その否定的政治遺産を余すところなく引き続き抱えていかなければならない。北朝鮮が開放的な経済体制に向かったとしても、現在の中国レベルの政治的自由を与えるのは難しいだろう。しかしひとまず開放体制に向かった以上は現在の中国の半分程度の言論の自由、政治の自由を与えることは不可避と思われ、現在のような極端な弾圧は到底不可能に近くなるだろう。現在行われている弾圧を続ける場合、外国人投資家、技術者、知識伝授者が北朝鮮に住んだり事業を行うことを嫌がるだろうし、資金のある北朝鮮住民も北朝鮮で投資することは避け、可能ならば外国に移住をしようとするだろう。一定の水準で開放をすれば体制崩壊の危険が大きく高まり、現在のように締め付けては経済に関与する人たちの反発は尋常ではないだろう。どっちにしろ進退両難の状態に陥るに違いない。政治的に十分に訓練された老練な指導者なら、このような状況でも相当期間バランスよく特別な問題もおこさず国家を運営する可能性は排除できない。しかし若い金正恩にこのようなバランス感覚と忍耐心、我慢強さ、老練さなどを期待するのは非常に非現実的である。参謀からの助力を受けることは可能だろうが、さまざまの国家の例を見ると、参謀との関係が長期的に健全に維持されるのは容易なことではない。特に北朝鮮のように独裁者の権力が非常に強い場合、指導者が苦しい決断を下さねばならないケースが多々発生するからだ。
体制への脅威が依然として続いている条件で、金正恩が経済発展で大きな成功を収めるためには、経済政策において一貫性を維持しつつ、体制威嚇要素を正確に把握し経済活動に妨害とならないように静かに完璧に解決しなければならない。これは一時的なものとなってはならず、忍耐と集中力を長期間にわたり維持する必要がある。政治に精通し経済発展に対する識見が豊富な能力のある老練な人であっても、長期間の安定を維持してこのような姿勢を続けることは容易ではない。そのため政治経験が少なく、年齢も若く忍耐と我慢強さが検証されていない金正恩が、このような大事業を安定的にうまく遂行できると期待するのは難しい。
また、いくら強力で広範囲な監視網を総動員し細かく監視しても、経済発展が持続的に進めばその網から抜け出す現象が日ごとに増加していくだろう。現在も政治犯のうちの2/3は賄賂を渡し、立件される前に釈放されているという。現在、政治犯は他人との力関係で悔しくも逮捕されたり、誤った発言により逮捕されるケースがほとんどだが、このような傾向がひどくなれば、重罪を課された政治犯までもが賄賂によって釈放されることが増えるだろう。また北朝鮮に住む外国人が増加し外国との接触頻度が増加すれば、現在のような監視と弾圧の度合いを維持するのは不可能である。統制網は次第に弱まり、網の目から抜け出す人や組織はますます増えていくだろう。そのような条件で体制を安定的に維持するのは非常に困難である。結局は岩礁にぶつかり再び過去に回帰するか、困難を覚悟で根気強く政策を進めるか、そのどちらかの決断を下さなければならないのだが、北朝鮮の現状から判断するに、過去に回帰するにしても、厳しい条件下で粘り強く頑張るにしても、体制生存の可能性は非常に低いと思われる。
ところで問題は北朝鮮体制が深刻な脅威に直面した時、最後のあがきとして韓国との重大な緊張を誘発させる可能性があるということだ。天安艦爆沈と延坪島砲撃の5~10倍程度の強力な挑発行為を強行する可能性があり、単純な挑発行為の水準を超える深刻な軍事的行動の可能性もある。その際に極度に危険な状況に至る可能性は否定できない。相手が崖っ縁に追いやられた状況であるだけに、理性的な説得や甘言も大して役に立たないだろう。北朝鮮がこのような状況に陥ることを防ぐ方法はなく、北朝鮮の体制崩壊を防がなければならない理由もない。北朝鮮が平和的な方法で経済的に発展・近代化し、文明化された社会に軟着陸するならば願ってもないことだが、そのような可能性は非常に低い。北朝鮮の体制崩壊を避けることが極めて困難な場合は、これを避ける方法を探すよりは北朝鮮のそのような状況での深刻な韓国向け挑発行為に対する徹底した備え、北朝鮮の体制崩壊後の状況に対する徹底した備えに集中する必要がある。
5. 北朝鮮政府の危機管理能力と朝鮮半島の全面的危機対応
最近の北朝鮮の態度を見る限り、北朝鮮の軍事的緊張管理能力や、管理能力や危機管理能力が相当劣るのではないかとの疑問を拭い去ることができない。
南北間に緊張を造成するのは金正日時代にもあった。現在も北朝鮮の立場では多目的に必要なことであろう。韓国との一定の距離を維持するため、核実験イシューをごまかすため、北朝鮮軍と人民に対する掌握力を高めるためにそうしてきた。しかし今回の北朝鮮の態度は不必要なほどに過度に刺激的な発言を連発し、期間も不必要に長かった。途中で出口戦略を試みる機会が何度かあったにもかかわらず、全て見逃してしまい惜しいことに何の名分も契機もないままひっそりと暴言挑発を中断した。暴言挑発のどこが危険なのかと言う人もいるが、高レベルの暴言挑発が続く場合、双方の軍指揮官らを過度に緊張させ刺激し、小さな紛争が容易に拡大する危険性が増大し危険な状況に発展する余地がある。危険な行動を慎重な戦略戦術もないまま軽い気持で実行してしまう危険があるということだ。
開城工団をコントロールする金正恩政権の能力と態度も疑問を持たせる。北朝鮮が最初から開城工団を完全閉鎖しようと計画していたとの主張もある。開城工団から発生する金額は少額ではないが、中朝貿易の増大により北朝鮮経済が改善してきたので、韓国企業との接触で従業員に好ましくない思想的影響が及ぶ開城工団をなくす決心をしたというのである。しかし北朝鮮が世界のあらゆる情報に比較的自由に接することができる中国に年間8万人ずつ就業させている状況で、24時間徹底的に監視できる開城工団を危険視するというのは極めて納得し難い。開城工団が危険ならば疑い深い金正日がこんなにも長期間放置してはいなかっただろう。李明博政権で南北間にあれほどの暴言が往来するなかでも金正日は死ぬまで開城工団には手をつけなかった。これは金正日が明示的だろうと暗黙的だろうと開城工団維持を遺訓のごとく残したと解釈すべきではないだろうか。
開城工団になぜ手をつけ始めたのか正確な背景は分からないが、完全閉鎖を初めから計画して手をつけたのではなく、朝鮮半島の緊張高揚の一環として手をつけたのだが、途中で抜け出すタイミングを逃し、結局は最悪の状況に至ったという可能性が多分にあると思われる。朝鮮半島の緊張高揚状況で開城工団のような対象に一度手をつけたら後戻りが非常に難しいということを知らなかったようだ。
最初から閉鎖を計画していたにしろ、出口を探せずこのようになったにしろ、開城工団閉鎖は経済発展に死活をかけている北朝鮮にとって大変な災難である。外部からの予備投資家や北朝鮮との貿易その他の経済関係を予定していた人々に北朝鮮は市場経済の基本規則すら守れない無頼漢との印象を強く与えたことだろう。もし開城工団が一定期間経過した後に再稼働したとしても、このような印象は完全にはなくならないだろう。すでに完全に資本主義化した中国の投資家に対しても同様の印象を強く与えたものと思われる。
そして緊張を高めるなかでおぼつかない姿も頻繁に見られた。今すぐにでも戦争を起こすように見せかけておいて、米国の有名バスケットボール選手のロッドマンを招待し、金正恩と和気あいあいとした雰囲気で、ともにバスケットボールの試合を観戦したりもした。他にも北朝鮮が戦争威嚇を最も高めていた3月18日には、平和な時代に最もふさわしい「全国軽工業大会」を10年ぶりに開催した。現在の北朝鮮の戦略上、全国軽工業大会は必須の行事だったが、最悪の時期に実施されたといえる。昨年2月29日、米朝合意でミサイルを発射しないと約束したが、2ヶ月も経たないうちにミサイル発射に踏み切り、実益を失い国際的な評価も失ったことは典型的な愚行であった。もちろん北朝鮮の立場ではミサイルを発射しないわけにはいかなかったのだろうが、米朝交渉とミサイル発射の時期を調整すべきだったにもかかわらず、最悪の時期にこの二つを同時に進行させた。
昨年末から今年の4月まで、金正恩は今すぐにも戦争を起こすかのように騒ぎ立てたが、韓国人のなかで実際に戦争が起きると考える人はほとんどいない。金正日がどのように振る舞ってきたのかを長い間見てきており慣れているためである。しかし金正恩が金正日と同じと考えてはいけない。
金正恩が金正日の戦略戦術を踏襲しているように見えるが、踏襲するといっても金正日程度に安定的な戦術を駆使でこると見ることはできない。朝鮮半島の戦争危機が最も高まったのは1994年初頭の核危機や、1968年のプエブロ号事件、1976年の板門店でのポプラ事件などの時期だった。これらは全て金日成が生きている時だ。金日成が死んでからは、これほどの水準まで危機が高まったことはなかった。金正日は緊張が一定水準以上高まる場合、自身も統制できない状況に発展すると判断し、南北間の緊張レベルを自からが定めた一定の区切り以上に高めなかった。天安艦攻撃や延坪島砲撃などは一見極めて危険な戦術に見えるが、金正日は単発的に終わらせればそれほど危険ではないと判断し決行したし、その後も特に追加の緊張高揚を図らず静かに事態を収拾した。しかし今年に入り金正恩が見せている動きは1995年~2011年の間に金正日が見せた緊張高揚の全ての線を越えている。これらがどのような意味がありどのように管理されどのように統制すべきなのかをよく分かっていないように見える。
すでに韓国には北朝鮮の挑発行為には強力に対応すべきとのコンセンサスが拡散しており、これが、若さによりさらに強力な指導者としての権威を熱望するプライドの高い金正恩と衝突する場合、事態がどの方向に進むのか予測しがたい。
特に軍事力が急速に強化されている中国が、朝鮮半島での戦争に再介入する可能性を排除できない状況で、「韓国と米国は中国を相手に戦争しようとはしないだろう」と安心し、さらに強力な賭けに出る場合、朝鮮半島はますます危険な状態に置かれるだろう。父親を継承しつつ父親よりも威厳があり強力で恐ろしい指導者と言う点を見せ付けようとしている金正恩が、どんな危険な賭けに出るか予測不可能な状態である。
全面戦が勃発する可能性は高くはないが、国民意識、国家政策、軍事力などにおいて全面戦に備えた十分な準備は必要である。
金正恩政権が、どこにに向かうのか分からない非常に危険な政権だという点がここ数ヵ月間で立証された。核兵器開発は北朝鮮が数十年間にわたり腐心し推進してきたため、別途に考えるとして、その前後の動きが関心を引いた。核を持つこのような危険な兄弟と同居し続ける方向へ進んではいけない。北朝鮮が現在も継続的に核兵器を開発し、核兵器を製造している条件で、従来の単純なレベルの支援や圧迫に安住しているのは任務放棄であり安逸をむさぼることである。現在の東北アジア情勢からみて、われわれが武力で北朝鮮を解放する戦略を採択することはほとんど不可能だが、政治的な方法で北朝鮮政権を早期に交代させるために多くの人的、物的力量を投入することが切実な時点にきている。
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