hedder
headder space1 headder space2 トップページ サイトマップ
HOME  >  デイリーNKニュース  >  今週のニュース
北朝鮮研究
南北関係研究
在日社会研究
在日経済研究
朝日・韓日研究
朝米研究
民主主義研究
コラム
資料室
研究所紹介
 

今週のニュース

金正恩体制における軍統制方法の変化

高在弘(コ・ジェホン)
韓国国家戦略研究所研究委員
月刊「北朝鮮」10月号より翻訳転載

2013.11.8

 軍に対する党の統制を回復させる金正恩

 金正恩時代になって北朝鮮の軍主導勢力と軍に対する統制方法は変化した。2011年12月、絶対権力者金正日の急死は、金正恩には唯一絶対権力を振り回す機会を与え、党の高位官僚たちには先軍政治で後退した北朝鮮軍に対する党の統制を回復する機会となった。そして身分上昇を夢見る若い軍幹部たちには新しい政権の軍主導勢力となる機会を与えた。現在進行中である金正恩政権の軍主導勢力の形成は、変化する権力を利用し身分上昇をもくろむ新進軍幹部と軍に対する党の統制を回復しようとする党幹部たち、そして自身の軍側近勢力を構築しようとする金正恩の利害関係が一致した結果である。
 それと共に、金正恩の軍統制方法も金正日時代の統制方法とは異なる様相を見せている。この金正恩による軍統制の変化が、今後北朝鮮軍の一体化にいかなる影響を及ぼすかは、注意深く見守る必要のある問題だ。重要なのは、2013年現在、金正恩政権の軍主導勢力形成と軍に対する統制が一段落したと言うよりは、依然として進行中であり金正恩政権の不安定性が解消されていないという点である。金正恩の軍統制方式は、金正日のそれとは一定の違いを持っている。
 過去における金正日の統制方法は、終身職制と昇進など恩恵措置などで軍の忠誠を維持し、序列と階級を重視して均衡的昇進人事で軍の一体化を維持し、軍内部の分割統治による競争助長で軍の安定を図るという特徴を持っていた。これに対して金正恩の軍統制は、軍に対する党の統制に過度に依存しており、軍に対する特別待遇を緩め、軍の人事で序列と慣例、終身職制を無視し、自身の権力誇示を重視するところに特徴が見られる。特に頻繁な軍首脳部の交代は、金正恩の軍統制方式の最も大きな特徴であると言える。

 金正日の軍統制方法における特徴

 まず、金正日の軍統制方法の特長について見ることにする。
 それは第一に、金正日が軍最高司令官になった直後の1992年4月、彼は一挙に647名もの大規模な昇進人事を断行し恩恵を与えたことだ。当時非公開の軍佐官級、尉官級の昇進まで考慮すると数万名に達する昇進措置だと言える。同時に軍予備役に対しても1階級特進させる措置を取った。大規模な人員が昇進した軍の立場からは忠誠の祝典であったと言えるが、昇進に必要な費用負担を担う党の官僚や住民にとっては悪夢が始まる瞬間であった。金正日は軍の崩壊を防ぐために、限られた資源を、他の分野を犠牲にしてまで、「選択と集中」で軍に投じたのである。
 第二に、金正日は軍の序列と階級を重視し、均衡人事を進めることで軍の統合と忠誠を引き出したことである。1997年、金正日は海軍司令官金イルチョルを人民武力相に任命するに際し、海軍司令官の地位が陸軍の軍団長の地位にしかならない前例を考慮して、人民武力相の席が空席であったにも関わらず、一年間は第1副部長の地位に留め、その後に人民武力相に任命する慎重さを見せた。
 また、当時の総政治局長に空軍司令官出身の趙明禄(チョ・ミョンロク)を、総参謀長には作戦局長出身の金英春(キム・ヨンチュン)を任命することで、陸軍優位の軍形態から脱皮する前例のない3軍均衡人事を断行した。こうして北朝鮮軍における3軍司令官の階級と地位を同等に維持し、職責と地位を一致させたのも1990年代中盤以降のことである。
 もちろん李乙雪(リ・ウルソル)人民軍元帥のように金正日の個人的好みで人事が行なわれたこともあったが、当時旧ソ連・東欧社会主義が崩壊する中で、軍の崩壊を防ぐ彌縫策であったとはいえ、金正日の序列と階級重視、均衡人事の断行は、結果として軍の統合と忠誠を維持するのに寄与したと評価することができる。
 第三に、金正日は軍の終身職制を守ることで、軍の忠誠と統合をもたらした。金正日時代の高位幹部は、龍川駅の爆破事故(2004年)の責任を取って更迭された崔ヨンス人民保安相を除いては、これといった更迭の事例はまれであった。2009年以後、金正恩後継体制構築に合わせて金イルチョル人民武力部長や朱霜成(チュ・サンソン)人民保安相などが粛清されたが、その前までは軍幹部に対する終身職制を維持することで忠誠と一体性を維持してきたといえる。
 例えば金正日が「革命の先輩を礼遇することは革命家の崇高な道徳的義理である」と強調したように、1995年、呉振宇(オ・ジヌ)人民武力部長は、すでに1~2年前から病気で人民武力部長職が勤まらなかったにもかかわらず、死亡するまでその職に留まらせた。呉振宇が死亡すると、最年長の崔光(チェ・グァン)を人民武力相に任命し、崔光もまた死亡するまでその職に留めた。
 また趙明禄総政治局長の場合もそうだった。2003年に腎臓手術を行い、すでに正常な業務を遂行できなかったにもかかわらず、2011年に死亡するまで総政治局長職を維持させた。そして社会安全相の白鶴林(ペク・ハクリム)や、党軍事部長の李ハイルなどの元老級が第一線から退く時には当該分野の顧問として役割を果せるようにしたし、第一線から退いた金英春(キム・ヨンチュン)や李明秀(リ・ミョンス)、呉克烈(オ・グンリョル)も名誉職位を与えて退陣を誘導した。金正日生存時、北朝鮮軍における軍幹部の自らの転役要請はむしろ反逆と見られるといっても過言ではなかった。

 金正恩式軍統制方法

 これに対して金正恩の軍統制方式の特徴は、第一に、党による軍統制に過度に依存していることである。2012年4月、金正恩は総政治局長任命において内部昇進や軍人による人事を排し、生粋の党官僚出身であった崔龍海(チェ・リョンヘ)を任命することで直接統制よりも党の統制に依存する姿勢を見せた。この人事において崔龍海が抜擢されたのは、彼が社労青(金日成社会主義青年同盟)秘書(書記)出身で、大部分の軍幹部が彼の保証で労働党員になったという点が考慮されたかもしれないが、より重要なのは、軍に対する統制回復を狙う党幹部の意向が反映している点である。
 だが金正日は生存時、労働党の権威強化が必要だとしても過度な党傾斜は警戒していた。張成沢、金慶姫、朴道春などの党幹部たちに軍の階級を与え、金正恩の最悪時には「軍法」で統制できるようにしたのも金正恩の権力維持を考えてのことであったと思われる。
 第二に、金正日最高司令官が行なった大規模な軍人事の恩恵措置を取らなかったということである。金正恩は2011年12月30日に最高司令官に任命された直後、2012年1月~2013年8月までの間、わずか108名の大佐級幹部を将官級に昇進させただけだ。1992年時の金正日による大規模軍幹部昇進で苦痛を受けた党幹部の影響力が作用したと考えられる。その代わり、その財源は大規模少年団行事に回された。20年ぶりの大規模昇進を期待した軍幹部の落胆は明らかである。
 第三に、軍首脳部人事で階級降格と回復が頻繁に行なわれていることである。北朝鮮軍将官の階級は、少将―中将―上将―大将―次帥―元帥(元帥には人民軍元帥と共和国元帥があり金正恩は共和国元帥)となっているが、玄永哲前総参謀長は、次帥から大将に1階級降格され、金英徹総偵察局長は大将から中将に2段階(訳者注:後に回復)、崔冨日前作戦局長は大将から上将に1階級降格され後に回復した。軍における降格は、北朝鮮軍の「規律規定」では懲戒の手段として規定されている。金正日時代にはほとんど見られなかった現象が、金正恩政権の北朝鮮軍内部で頻繁に行なわれているのである。これは軍にたいする順調な掌握というよりは、金正恩の軍統制が余りスムーズでないということを意味する。
 第四に、金正恩政権下で軍首脳部の頻繁な交代が行なわれているということである。これは、これまでの北朝鮮軍の昇進慣行と序列の重視、そして終身職制が無視されていることを意味する。2008年末金正恩登場以降今日に至るまで、人民武力部長は金イルチョル→金英春→金正覚→金格植→張正男と移り変わり、軍に対する思想教育・人事を監督する総政治局長は趙明禄及び金正覚第1副局長→崔龍海(2012・4)、総参謀長には金格植→李英鎬→玄永哲→金格植→李永吉、総参謀本部作戦局長には金明国→崔冨日→李永吉など核心指揮系統人事がわずか数ヶ月単位で交代した。
 このような金正恩による頻繁な北朝鮮軍首脳人事交代は、6・25戦争(朝鮮戦争)以来の北朝鮮軍の昇進慣行と序列を徹底的に無視しているという点で、またこれまでの慣例よりも金正恩個人の権威を誇示を優先させているという点で、今後否定的影響を増大させる可能性がある。特に2013年5月、50代の張正男第1軍団長を破格に抜擢し人民武力部長に任命した人事は、過去に金正日が金イルチョルを武力部長に据える時、1年間第1副部長に留めた後に任命したことと比べると大きな違いがある。それは今後の不安要素となりうる。
 北朝鮮軍首脳部人事の頻繁な交代の背景に対してはさまざまな解釈が可能であるが、金正恩の権威誇示と新しく軍の主導勢力になろうとする若手軍幹部の欲望、そして軍に対する党の統制を回復しようとする党幹部の利害関係一致がもたらした結果と見ることができる。

 金正恩式統制方法の問題点

 こうした過程で現在形成された金正恩政権の軍主導勢力は、変化する権力に便乗した若い新進幹部たちであるが、彼らは、姜建(カン・グォン)総合軍官学校や金策(キム・チェク)政治軍官学校、そしてその他の兵種別軍事学校と金日成総合軍事学校を卒業した非留学グループである。
 彼らは、6・25戦争はもちろん、中東戦争、ベトナム戦争やアフリカ内戦に参加した経験のない戦争未経験世代として、特別な経歴や成果もなく、ただただ「忠誠」だけを担保にして金正恩政権の軍主導勢力に編入された人たちだ。張正男の人民武力部長抜擢が、崔龍海の主導する軍の決起大会で認められた結果だとか、張成沢の遠縁に当たるからだとか言われているが、これらの軍主導勢力が金正恩の「尊厳冒涜」に極めて敏感に反応する理由は、変化する権力に便乗し「忠誠」だけで昇進したことと関係している。
 金正恩政権の軍統制方式と関連しては、2つの重大な問題点が見受けられる。
 一つは、後継者授業が短い指導者に合わせて軍主導勢力を交代させているが、新しく登用された張正男人民武力部長や李永吉総参謀長など軍首脳部は主に2000年代中盤以降に昇進した人たちだということである。従って金正日時代の軍主導勢力が1992年の昇進組であったことを考えると、1997年から2000年時期の昇進組は金正恩時代の軍首脳人事から疎外されていると言える。これは、この時期に該当する疎外された将官たちの金正恩に対する「忠誠度」が落ちることを意味する。
 もう一つは、これまで行なわれてきた金正恩の頻繁な軍首脳部の交代が終わりの段階ではなく、むしろ金正恩政権下でこれからも続く可能性が高いことである。なぜなら、終身職制が崩れ序列が無視されることで、張正男人民武力部長や李永吉総参謀長なども、過去のように10~20年の長期にわたってその地位を維持できないと思われるからだ。少しの失敗には昇進を狙う同僚や二番手幹部からの非難や追求が待ち構えていることになだろうし、それはまた金正恩の権力誇示手段として活用されることになる。

以上

 
著作権について

COPYRIGHT©Korea International Institute ALLRIGHT RESERVED.
CONTACT: info@koreaii.com