北朝鮮が1月6日に発表した「水爆?実験」に対して、米韓両国は独自の調査に基づき、いずれも水爆にしては爆発規模が小さすぎるとして「成功していない」との判断を下した。また一部核融合を利用した「ブースト型原爆」についても、韓国当局は成功していないと結論付けた。北朝鮮が行ったのは本当に水爆実験だったのか、それとも核融合の工程で不備が生じ失敗したのか、真偽は今後、時間をかけて検証されるだろう。
ただ今回の核実験でハッキリしたのは、金正恩第1書記の核武装に対する確固たる意思と明確な立場だ。それは北朝鮮が2月8日から25日の間に発射(6日に7日から14日に変更)するとした事実上の長距離弾道ミサイル実験で一層明確となっている。
この状況をもたらした第一の責任は、北朝鮮の術数にはまった米国にある。そして北朝鮮に対価を与えれば核を放棄させることができると考えた韓国の太陽政策と北朝鮮の核問題を一貫して自国の安全保障に利用してきた中国にある。
1、今回の核実験で金第一書記が明確にした内容
1990年代初期の共産圏崩壊とそれに続く90年代中盤の大飢饉で体制の危機に瀕した北朝鮮の金氏独裁政権は、米国の融和政策と対イラク政策の失敗、そして韓国の太陽政策と中国の庇護によって起死回生し、「水爆」を口にするまでになった。
今回の実験が水爆かどうかは別にして、核弾頭を小型化して移動発射できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)や開発中の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に搭載する日が近づきつつあることは確かだ。
では今回金第一書記が、国際社会に対して明確にした内容は何だったのか?
(1)核とミサイルは政権維持の根幹であるということ
金正恩が今回明確にしたのは「先軍政治」の根幹である核と長距離弾道ミサイルは引き続き開発を続け絶対に手放さないということだ。
だが、これまで日本などでは「非核化は金日成の遺訓だから対価を得れば3年内に核を放棄するだろう(2013年時点で)」「北朝鮮が核実験を行うのはそのための米国に対するラブコールだ」などとする「専門家?」の解説がステレオタイプのようにテレビメディアなどで流されてきた。今回の核実験に対してもまだそのようなピントはずれな発言をしている学者もいる。北朝鮮という国がいまだによく分かっていないようだ。
そういった意味では米韓日の当局者も似たようなところがある。だから北朝鮮の欺瞞戦術にまんまと引っ掛かったのだ。北朝鮮の核問題について朝鮮労働党元書記の黄長燁氏はかつて「外交交渉では解決しない。核を放棄しなければ金氏政権が崩壊すると認識した時に初めて放棄する。そのチャンスは1994年にあった」と語っていた。また、「北朝鮮非核化にための六カ国協議は、外交官の給料稼ぎにしかならない。結局中国の権威を高め北朝鮮を再生させるだけだ」と看破していた。
米韓日を欺瞞し核開発を続けた北朝鮮は、2010年4月には修正採択した朝鮮労働党規約で、「朝鮮労働党は先軍政治を社会主義基本政治方式として確立し、先軍の旗じるしの下に革命と建設を領導する」と明記し、金正恩時代に入ってはその根幹となる核保有を労働党規約と憲法に明記した。
この先軍政治の本質について金正日総書記は次のように述べていた。
「われわれの銃は階級の武器、革命の武器、正義の武器である。・・・銃がなければ敵との闘いで勝利することも出来ず、国と民族、人間の尊厳と栄誉を守ることが出来ない。・・・
私はいつも銃と共に生きている。この世であらゆるものが変化しても銃だけは主人を裏切らない。銃は革命家の永遠の友であり、同志であるといえる。これがまさしく銃に対する私の持論であり銃観だ」(キム・チョル著、「金正日将軍の先軍政治」、平壌出版社、主体89〔2000〕年9月30日)
この発言でも分かるように、金正日が信じていたのは銃(軍事力)だけであり銃を通じて自身の信念や体制を守るという徹底した「銃至上主義信仰」である。このような「銃台思想」が核武装至上主義に行き着き、それが「先軍政治」の根幹となっている。サダム・フセインやカダフィ大佐のたどった運命は金正日に核武装の必要性を一層切実なものとして痛感させた。
それゆえ金正日が核武装に突進したのは、政権生き残りの交渉用でもなければ、またそれと交換し何らかの代償を得るためのものでもない。核武装こそが金氏独裁政権を守り抜く「根幹」であり、それはまた韓国支配へとつながる「宝剣」となるとの信念から出たものである。経済再建のおぼつかない金正恩もまたその道をまっしぐらに突き進んでいる。今回の核実験がそのことを一層明確にした。
(2)核武装の目的が交渉用ではなく韓国支配にあるということ
金氏独裁政権は、韓国を支配しないかぎり、絶えず南からの脅威にさらされ、米国の干渉からも逃れられない。核武装して米国本土攻撃を現実化させた時、米国との平和協定が実現し、米軍の韓国からの撤退とそれに伴う北朝鮮主導の統一への道筋が開かれると考えているのである。今回の北朝鮮政府声明でも、米朝対話の内容として「停戦協定の平和協定への転換」を求めているのはそのためだ。
金正日は、金大中、盧武鉉政権の「太陽政策」を逆利用する形で、金大中との「6・15宣言」と盧武鉉との「10・4首脳宣言」を導出し、それを利用して核とミサイル兵器の開発にまい進した。
金正日は、朝鮮半島の統一(韓国の支配)と先軍(核武装)政治の関係について次のように語った。
「先軍政治と祖国統一の関係を見たとき、祖国統一はその本質的内容から先軍政治方式の具現を要求するところにある・・・
今日朝鮮半島における祖国統一の最大の障害は、米国の南朝鮮支配だ・・・
米国の民族抹殺的な自主簒奪を除去し、民族の念願である祖国統一を成し遂げようとするならば、先軍政治方式を具現しなければならない。先軍政治方式を具現してこそ米国の覇権的対北朝鮮侵略政策を阻止し、朝鮮半島の強固な平和を保障することが出来、ひいては朝鮮半島の平和的統一を実現することができる」(シン・ビョンチョル、「祖国統一問題100問100答」、平壌出版社、主体92〔2003〕年2月5日、p175-177)
この金正日の発言からも分かるように、北朝鮮の「統一戦略」は米軍を排除することを前提にしている。この戦略を実現させるために北朝鮮は、すでに通常戦争では米韓連合軍と戦えないだけでなく、韓国軍との対決すらもおぼつかなくなったことをさとり、迷うことなく少ない資金で武装できる核とミサイル兵器での武装に踏み切ったのである。それによって「先軍統一」実現に立ちはだかる米国と日本を排除して韓国を軍事的制圧下に置こうとしている。
金正恩もまた、「遺訓政治」を掲げ「最後の勝利のために!」とのスローガンを叫び、祖父と父が果せなかった野望の実現に「妄進」している。今回の水爆?実験はこのことを再び明確に示した。
(3)核は政権が維持される限り絶対に放棄しないということ
ことここに至り、金正恩政権を対話で説得して核を放棄させる可能性はほとんどなくなったといえる。今回の「核(水爆?)実験」は、2003年以降の「北朝鮮の非核化を目指す六カ国協議」の終焉宣告である。それはまた1993年以降20余年にわたる米国の対北朝鮮政策の失敗を物語るものであった。
北朝鮮が1993年に核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言して核危機を高めた当時、まだ核爆弾も、実践使用できる長距離弾道ミサイルも保有していなかった。この時に総力を結集し軍事力行使も辞さないとする厳しい対応(ポプラ事件の時のような)で徹底的に圧力を加えた上で交渉に臨んでいれば北朝鮮は核を放棄した可能性が高かった。
当時の北朝鮮は、ベルリンの壁崩壊に続いて始まった「湾岸戦争(Gulf War)」(1991年1月17日)による激震で危機意識は最高レベルに達していた。しかし米国は10年もすれば崩壊するだろうとして「ジュネーブ合意」に応じ北朝鮮を危機から救った。
それから20余年、現在北朝鮮は長距離弾道ミサイルに核弾頭を装着する段階にまで至り、韓国と日本が核ミサイルの標的となっただけでなく、米国にとっても直接の脅威となっている。対話でそれを放棄させるのはほとんど不可能となった。
この事態に至った背景には、一貫性のないクリントン、ブッシュ政権の対北朝鮮政策、対価を与えれば外交で核を放棄させることができると考えた韓国の「太陽政策」などがある。こうした政策ミスの連鎖によって北朝鮮が核武装する時間と環境を獲得したと言っても過言ではない。
2、米韓日の対北朝鮮政策と国連制裁を嘲笑う金正恩
マイケル・グリーンは、2016年1月8日中央日報への寄稿で「北朝鮮の4回目の核実験は、その意図がなんであるかを空論する無意味さを明確にした」と述べた。的確な指摘である。
核実験のたびに日本の学者・評論家は、その「狙いを」得意げに語り、「米国に対するラブコール」「米国を対話に引き出そうとするもの」などとするステレオタイプの解説を繰り返してきた。これまでとは明確に異なる今回の実験に対してすら同じ分析を繰り返している。
北朝鮮の狙いは一貫している。複雑さもない。それは「核兵器を開発してそれを長距離弾道ミサイルに装着し、米日をけん制して韓国への介入を排除し、核戦争の恐怖で韓国を支配しようとするものだ。この点で3代目金正恩の意志は、先代先々代よりも無謀で直線的である。それだけ危険だとも言える。今回は中国すらも影響力が行使できないということを世界に示した。
今回の実験で米国はこれまでよりも強い衝撃を受けた。北朝鮮の非核化のための六カ国協議が吹き飛んだからである。
返り血を浴びないで何とかうまく北朝鮮の核を放棄させようとして進めてきた一貫性のない米国の政策が無力であったことが暴露された。オバマ政権の「戦略的忍耐(strategic patience)」政策も北朝鮮の意思を変えることはできなかった。オバマ政権は水爆?実験後に発表した今年の「教書」でも北朝鮮に対する言及を回避し世界を失望させた。
韓国政府も中国接近策が北朝鮮の核問題解決に役に立っていないことでショックを受けている。今回の事態を前にして首脳間のホットラインすら機能しなかったからだ(2月5日夜になってやっと実現したが平行線に終わった)。
朴槿恵大統領はソウルと北京などで習近平国家主席と6回も首脳会談を行った。その間中国は金正恩を避けたので、朴槿恵大統領は北朝鮮の核問題で中国が韓国に協調するものと期待していた。しかし中国はいまもって対北朝鮮政策の根本的転換を行おうとしていない。
中国は金正恩政権に物質的な支援をいまも続けている。 金正恩が北朝鮮を捨てられない中国の足元を見すかしているのは間違いない。北朝鮮政権が不安定になるかもしれないという懸念が、今回の核実験に対する怒りを上回っている。
今回の核実験は国連安全保障理事会に対する信頼も吹っ飛ばした。
いま制裁を強化するたびに無視されてきた国連制裁の実効性に大きな疑問が提起されている。軍事行動を含む制裁とならない制裁措置は、中国の対北朝鮮支援がある限り十分に機能しないことが明確となった。
効果のある制裁となるには北朝鮮の海上・航空運送に対する義務的な査察まで踏み込む必要がある。また金融制裁を徹底して北朝鮮の外貨収入を締め上げる必要もある。今回も国連安保理が新しい制裁を加えるだろうが実効性ある制裁となるかどうかはは疑問だ。
国連制裁が中・ロの反対などで中途半端に終えれば、金正恩は強硬策に一層自信を深めるに違いない。朝鮮半島情勢は緊迫の度を増すことになるだろう。2月8日から25日までと予告されていた(6日に7日から14日に変更)事実上の長距離弾道弾の発射が成功すれば、3月から始まる米韓合同軍事演習に北朝鮮は強硬姿勢をとるだろう。朝鮮半島情勢は2013年時のような緊張状態になる可能性が高まった。
この問題で鍵を握っているのは中国だ。今回中国は二度にわたり金正恩から強烈なパンチを食らったが、どこまで厳しく対応するかは未知数である。
3、今回核実験での主要な矛先は中国
北朝鮮の核実験は少なくとも金第1書記が中国訪問を果たすまでは、自制するものと思われていた。「新年の辞」からもそうした流れが読み取れた。しかしそうした大方の予想を裏切って4回目の実験が新年早々に強行された。 なぜなのか?
今回の実験が、これまでの実験と異なり、主に中国を念頭に置いた実験だったからだ。
そこには金正恩の積もり積もった中国に対する不満と、中国といえども核問題に対しては口を挟めないことを国際社会に知らせるためであった。
①張成沢粛清過程で金正恩が手にした中国の「干渉情報」
金正恩は張成沢粛清過程で、中国の自国に対する「干渉」を「文書」として手に入れた。張成沢が中国とのパイプを強化するために配置した駐中大使の池戴龍(チ・ジェリョン)が、保身のために張成沢を「裏切」り、中国首脳と張成沢の関係を明らかにする非公式文書などを金正恩に差し出したのである。
そうした文書には、中国側が張成沢を北朝鮮の実力者として待遇し、張成沢も中国の支援の下で北朝鮮における経済改革を実施しようとしていたことがしたためられていたという。こうした動きは2012年8月の張成沢訪中を見ても明らかだ。50人に及ぶ実務人を引連れて訪中した張成沢を胡錦濤と温家宝は元首並みに待遇した。
張成沢ばかりか、軍と政府の中にも相当数の親中派が存在していた。だからこそ金正恩は「中国の犬どもを叩き出せ」と指示したのである。軍作戦局長の辺仁善が粛清されたのも中国がらみであったし、馬園春が一時追放されたのも「平壌空港を中国式に作った」ことが原因だった。
②不満を募らせた習近平主席の韓国接近策
2013年2月の北朝鮮核実験と12月の張成沢処刑で亀裂の入った中朝関係は、習近平主席の「一帯一路」政策に韓国を引き込む動きによってさらに亀裂が深まった。習近平は北朝鮮には訪問せず韓国を先に訪問し、北朝鮮の特使である崔龍海を2度にわたって冷遇した。その一方で韓国の朴槿恵大統領とは6回にわたって首脳会談を行った。
中国側は金正恩を冷遇することでコントロールしようとしていたが、子供扱いされた金正恩の怒りは募る一方だった。その怒りと核保有に対する干渉への反発が中国に通告なしで行った今回の核実験につながったと思われる。
③中朝首脳会談実現での条件で折り合えず
中国は、冷え切った中朝関係をこれ以上放置すると自国の安全保障にも影響しかねないと判断して、昨年10月の労働党創建70周年記念日に中国要人(共産党序列第5位の劉雲山政治局常務委員)を送り修復を試みた。その後、金第1書記の訪中による習近平国家主席との首脳会談実現を見据えた交渉が水面下で続いたと思われる。関係改善の機運を高めるために金第1書記はモランボン楽団を北京に送り込んだ。
ところが、周知の通り、公演直前に突如同楽団は北朝鮮に帰国した。その原因はズバリ「核問題」だった。水面下交渉で中国は金正恩の訪中条件としてこれ以上の核実験を行わないように求めたのである。それはモランボン楽団の公演内容に対する注文としてもなされた。
キレた金正恩は、ボランボン楽団の公演をドタキャンさせ、楽団の帰国3日後の12月15日に核実験実施の命令書にサインした。
④金養建統一戦線部長突然の死で決行早やめる
12月29日に北朝鮮の対南工作機関である労働党統一戦線部の金養建部長(73歳)が「交通事故」で死去した。金部長は韓国との交渉を一手に引き受けていた人物であり、金第1書記の数少ない外交ブレーンとして役割を果たしていた。
張成沢処刑で中国とのパイプ役を失った金第1書記は、金部長にその役目を引き継がせた。劉雲山との会談時に金己男とともに対南専門家の金養建部長を異例にも参席させたのはそのためであった。
その重責を担う金養建が、突然「事故死」したのだ。不自然さは拭えないが、現在のところ真相は不明である。いずれにせよ、金第1書記は中国との重要なパイプが切れた機会を利用して中国に対する意思表示の核爆弾を「爆発」させたのであろう。
* * *
金第1書記には、中国に対する「成功体験」がある。それは張成沢処刑で中国との関係が冷却化したものの、結局中国は「大人の態度」で「劉雲山」という大物を送り、現状追認の姿勢を示したことだ。こうした「甘い成功体験」で自信を得た金正恩は、労働党第7回大会を前に、水爆?実験とミサイル実験を行うことで、「中国をも操る」偉大な指導者として登場しようとしている。
以上