北朝鮮の第4回核実験と事実上の長距離弾道ミサイル発射を深刻に受け止めた韓国の朴槿恵大統領は2月16日、国会で特別演説を行い、韓国政府の対北朝鮮政策の基調を根本的に転換することを宣言した。北朝鮮の金正恩政権に対しこれ以上期待することなく、体制崩壊まで念頭に置いて攻勢を強め、集中的に圧力を掛けていくという内容だ。聞く耳を持たない金第1書記を相手に「宥和路線」にこだわっていては結局振り回されるだけとなるため、現時点では圧力で変化させるしかないとの結論に至ったようだ。
これは、金大中、盧武鉉両政権が続けてきた「太陽政策」を全面否定するものであり、自身の進めてきた「信頼のプロセス政策」での宥和側面をも否定するものである。
朴大統領は演説の冒頭で「既存のやり方や善意では北の核開発の意志を決してくじくことはできない。このまま変化なく時間が過ぎれば、金正恩政権は核ミサイルを実戦配備することになる」と断言した。
朴大統領はまた「今このときから韓国政府は、北朝鮮の政権が核開発では生き残ることができず、むしろ体制崩壊を促すだけだという事実を悟り、自ら変化せざるを得ないような環境をつくるため、より強力で実効的な措置を取っていく」と述べた。その上で「開城工業団地事業の全面中断は、今後韓国が国際社会と共に講じていく措置の始まりにすぎない。私と政府は北朝鮮の政権を必ずや変化させる」と表明した。
この演説では「対話」という言葉を一度も使わず、北朝鮮政権について「ブレーキをかけず暴走している金正恩政権」「極限の恐怖政治で政権を維持している」などと批判した。さらに「間違った統治によって苦痛を受けている北朝鮮住民たちの生活に、決して目を背けることはしない」と述べた。
16日は、金正恩の父故・金正日の誕生日である。この日に朴大統領が「対話」という単語を一言も使わず北朝鮮の政権交代をも念頭に入れた強い立場の対北朝鮮政策を表明した意味は極めて大きい。朴大統領はこの日の演説で「これ以上」という表現を7回も使用した。全て「今や北朝鮮政権に振り回されることはしない」という決意を示す部分でのことだ。
また朴大統領はこの日の演説で、開城工業団地事業の全面中断の理由について「北朝鮮が挑発するたび、開城(工業団地)にいる韓国国民の安全を寝ずに心配しなければならず、韓国企業の労働者たちが北朝鮮の政権維持のために犠牲になるという状況を、これ以上続けさせることはできないと判断した」と説明した。
米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の在韓米軍への配備に向けた韓米協議の開始、南北経済協力事業の開城工業団地の操業中断といった強硬な措置を取ったことに対し、朴大統領は「韓国が国際社会と共に取っていく措置の始まりにすぎない」と述べ、独自に、または国際社会と連携して今後も厳しい制裁を取る考えを示した。その過程で、韓米日3カ国間の協力を強化し、中国、ロシアとの連帯も引き続き重視すると述べた。
朴大統領が「太陽政策」を断ち切った現局面で、その決意の背景をうかがうためにも、太陽政策の本質とこの政策を推進した金大中元大統領の数々の詭弁について振り返って見る。
1、「太陽政策」の本質と金大中元大統領の詭弁
クリントン政権の「ペリープロセス」に歩調を合わせて登場した1998年からの故金大中氏の「太陽政策」は、本質において「北朝鮮蘇生政策」であった。ただ蘇生させるだけではなく核とミサイルを持たせて蘇生させた。最近韓国では北朝鮮による核兵器とミサイル開発は、かつての金大中・盧武鉉政権の10年間に北朝鮮に支払われた巨額経済援助資金(約1兆円)から始まったという見方はすでに定着しつつあったが、今回朴大統領は政策面で金大中・盧武鉉政権の流れを断ち切った。
1)北朝鮮の術数にはまった「6・15南北共同宣言」
太陽政策の具体化は2000年の「6・15南北共同宣言」としてもたらされた。
この宣言は、2000年6月13日から15日にかけて平壌で行われた南北首脳会談の結果、会談最終日の6月15日に韓国大統領の金大中と、北朝鮮国防委員長の金正日との間で締結された合意文書だ。この合意文書によって金大中は念願の「ノーベル平和賞」を手にしたが北朝鮮の核とミサイルという深刻な問題をもたらした。
その全文は次のとおりだ。
祖国の平和統一を念願する全同胞の崇高な意思により、大韓民国の金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長は、2000年6月13日から15日までピョンヤンで歴史的に対面し、首脳会談を行なった。南北首脳は分断の歴史上初めて開かれた今回の対面と会談が、互いの理解を増進させて南北関係を発展させ、平和統一を実現するのに重大な意思を持つと評価し、次のように宣言する。
1. 南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士で互いに力を合わせ、自主的に解決していくことにした。
2. 南と北は国の統一のため、南の連合制案と北側の低い段階での連邦制案が、互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していくことにした。
3. 南と北は今年の8・15に際して、離散家族、親戚の訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど、人道的問題を早急に解決していくことにした。
4. 南と北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保険、環境など諸般の分野での協力と交流を活性化させ、互いの信頼を高めていくことにした。
5. 南と北は、以上のような合意事項を早急に実践に移すため、早い時期に当局間の対話を開始することにした。
金大中大統領は金正日国防委員長がソウルを早急に訪問するよう丁重に招請し、金正日国防委員長は今後、適切な時期にソウルを訪問することにした。
2000年6月15日
大韓民国大統領 金大中 朝鮮民主主義人民共和国国防委員長 金正日
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北朝鮮はこの「宣言」で、北朝鮮の文献のどこにも載っていない「低い段階での連邦制案」なる文言を新たに作り出し、金大中氏の個人的統一案である「国家連合制案」に歩み寄ったかのように見せかけて韓国国民を欺瞞した。
また、金正日のソウル答礼約束がなくては韓国国民に顔向けができない(首脳会談が失敗したと見られる)として金大中氏は金正日総書記に泣きつき、帰る間際にやっと「金正日国防委員長は今後、適切な時期にソウルを訪問する」との文言を入れてもらったが、その約束は履行されなかった。この一言こそが「6・15共同宣言」のエキスであったのだが、それは「カラ手形」に終わった。
しかし韓国の宥和派はこのような「カラ手形(6・15宣言)」を今もなお後生大事に神棚に祭り拝んでいる。日本にもこの「宥和政策」を支持する学者・評論家は多い。現在テレビなどに出て北朝鮮問題を語っているコメンテーターの多くは「太陽政策」を支持していた人たちだ。
2)太陽政策の本質
故黄長燁朝鮮労働党元書記は「太陽政策の本質」について、自由北朝鮮放送の質問に対する回答の中で次のように語った。
「太陽政策は韓国の正統性と命脈を絶ち切る政策」
2008年5月1日 より
韓国の元大統領金大中氏は、李明博大統領の訪米に合わせて米国を訪問し、4月22日(2008年)にはハーバード大学で「太陽政策が成功の道」との講演を行った。そこですでに破綻した自らの政策をなおも自画自賛した。そればかりか「太陽政策」と李明博政権の「非核・開放・3000」政策が共通するとの「珍見解」まで披露した。また「太陽政策」だけが「共産主義克服の道」と語り、それを「普遍化」する主張まで行なった。
大統領を退いて5年以上も過ぎた今、なおも「太陽政策」に執着し、李明博政権の「非核・開放・3000」政策までも太陽政策の継続だと主張する金大中氏の思惑とは一体何なのか。黄元書記に聞いてみた。
Q 少し前、金大中元大統領はアメリカに行って李明博大統領の対北政策は太陽政策と一脈相通じるとして、現時代を 6・15統一時代と評価しました。先生はこの発言をどう思われますか?
A ここ(韓国)で「太陽政策」を主張する者たちが現時代を 「6・15統一時代」と言うのは、金正日の主張をほめたたえ韓国の人々に繰り返し訴えようとするところにその目的があります。
私が前回にも話しましたが、新しい政権が登場した今、私たちが行なわなければならないのは、すぐる 10年間に失くしたものがなんであるかを探し出すことです。その基本問題は韓国の正統性であり韓米同盟の問題です。
金大中が「太陽政策」を掲げて、わが民族どうし団結しなければならないという論理を作り出しましたが、それは結局アメリカを排除しようということなのです。
6・25(朝鮮)戦争の時、資本主義的民主主義を守ることができ、そして韓国が建設することができたのはすべてアメリカと同盟をしたからなのです。そして日本と共助体制をうち立てたからなのです。それなのに金大中はそれを否定しようとしました。こうして考えてみると、「太陽政策」は実質上明らかに韓国の正統性と命脈をたち切る政策であったのです。それだから私がいつも話しているではないですか。「太陽政策」を主張する人々は「乙巳五賊」(日本に国を売った逆賊)よりもっと悪い逆賊たちだと。
私が強調したいのは、私たちが新しい政権(李明博政権)を迎えた今、何を取り戻し行動しなければならないかということです。私たちは民主主義に向かわなければなりません。民主主義が固定不変なものでないからそれを引き続き発展させて行かなければならないのです。そのためには韓米同盟をもっと強化しなければならないということです。
アメリカがすることがすべて正しいことではありません。それでもやはり親しくしながら協力も出来、助言もできるのはアメリカではないですか。これからはこの失くした二つ、すなわち私たちの正統性と韓米同盟を回復しなければなりません。そのためには「太陽政策」をずっと批判し続けなければならないのです。それにも関わらず金大中は、「太陽政策」を反省もせずアメリカに行っていまもなお「太陽政策」が正しいと主張しています。
アメリカの一部では金大中の太陽政策に共感を示していますが、このことはアメリカの思想水準の低さを表しています。生活が豊かなものだから民主主義が何かについて、民主主義をどのように改善しなければならないかについて考えることに鈍感なのです。長年の経験を通じて(アメリカで)資本主義的民主主義が最も発展していることは事実ですが、本来の要求から見た時まだ低い段階と言わざるを得ません。
こうだから金正日と 金大中はアメリカを一番騙しやすいと思っているのです。だから 金大中が大きいな罪を犯していながら反省もせずアメリカへ行って演説をしているのではないですか?
「太陽政策」を批判しなければなりません。「太陽政策」がなぜ悪いのでしょう?それは敵(独裁)を助けようとした思想だからです。問題の焦点は金正日のような独裁者と民主主義者たちの目的が同じでないというところにあります。にも関わらずそれを助けようとしたのです。一方は支配してもっと独占しようという考えであり、他方、ここ(韓国)では民主主義的に協議をして物事を進めようという考えであります。根本的な目的が違うのです。
同じ目的をもってどの方法が正しいかで問題を設定するなら分かりますが、目的が同じではない太陽政策は(民主主義的解決の)代案になりえないということです。だからこれ(太陽政策)は言葉ではなく実際にその動機を追及して見なければなりません。
たとえ話を一つしましょう。飛行機が航行中に空中で爆破されました。なぜ爆破されたのか証拠が一つもないのです。全くの五里霧中なので犯人を突き止める方法がありません。ところが頭の良い捜査官がいて、この爆破事件で一番利益を得た人物が誰かを詮索し始めました。そして関係者の中から自分の母親に莫大な額の生命保険を掛けた人物を探し出したのです。その人物を徹底的に調べた結果、母親の荷物に時限爆弾を忍び込ませたことを白状しました。
私たちも金大中がいかなる利害関係からこのような論理を作り出したのかを詮索し実質的な研究をして見る必要があると思います。「太陽政策」というのは南北問題を平和的方法で解決することを名分としていますがその内実は投降主義です。それだから平和気分に浸った人々の心をつかみ政権を取ったのです。
それでは戦争を最も嫌った人々は一体誰だったのでしょう?それは大金持ちたちでした。韓国が飛躍的に発展する中で金持ちになった人々が戦争を一番嫌ったのです。その人たちから金を集めて(金大中が)政権を手にしたのだと私は思います。頭の良い捜査官がしたように追及していけばすべて明らかになるはずです。なぜ鄭周永(現代グループの創設者)の息子が自殺したのかも分かるでしょう。
こうしたことを追求していけばあの人(金大中)がどのようにしてお金をかきあつめたのかという全貌が分かるはずです。自分は何もないと言うが私が先ほど言ったように空中爆破犯を徹底的に探し出したように解いていく必要があるということです。単純な論理で追求してもだめです。確固たる論理を使って私たちが暴露し続けなければなりません。
何よりも「太陽政策」が根本的に間違っているのは、独裁者と独裁の犠牲になっている北朝鮮の同胞たちを区別しないで、北朝鮮の主人を金正日と見ていることであり、金正日の気分に合わせれば平和がもたらされると思っていることです。
3)太陽政策を自画自賛した「金大中の詭弁行脚」
2005年5月30日付朴斗鎮論考から
金大中韓国前大統領は、4月(2005年)の米国訪問に続き日本を訪れ、4月23日には東京大学の安田講堂で講演を行った。金正日政権が危機に陥るたびに動き出し、得意の「詭弁」でそれを援護するのが彼の政治行動パターンであるが、今回もその行動の一環と思われる。
「南北共同宣言」は野合の文書
彼のこうした行動の背景には何があるのだろうか。彼がノーベル平和賞をもらった時、自分だけがもらって「金正日総書記に申し訳ない」と語ったあの「負い目」がそうさせているのだろうか。しかしそれだけではない。
彼の金正日政権に対する「不思議な」思い入れは、北政権を延命させることで権力維持を図ろうとするところにある。
歴代の韓国大統領の中では飛びぬけた「狡猾性」と「野心」を持つ金大中氏は、韓国内の政治基盤だけでは権力維持が難しいと考え、金政権と野合する道に足を踏み入れた。そして彼は「親北左翼急進勢力」を復活させ、その勢力での長期政権化を狙ったのである。
それは国会での承認も得ず、憲法違反の疑いさえある2000年6月の「南北共同宣言」で実を結んだ。彼は、この「文書」を手に入れるため、5億ドルとも10億ドルとも言われる莫大な資金と援助物資を、国民の了解もなく金正日総書記の手に渡した。この宣言が、金政権との野合に目的があったことは、首脳会談が金まみれだっただけでなく金総書記のソウル訪問が今もなお履行されていない事からも明らかだ。
韓国国民は、空手形と引き換えに金品をむしり取られ、その資金で開発に拍車がかかった核兵器で脅しつづけられている。こうした宣言が金前大統領のノーベル平和賞受賞の内容となっているのだからやりきれない。
こうしてみると韓国の安全保障と平和基盤をぐらつかせたのは、金大中前大統領その人ともいえるのであるが、なぜかしら彼は「平和と民主主義」の「第一人者」のごとく振舞っている。
「南北共同宣言」を美化した金大中
金大中前大統領の「詭弁」はまず、「南北共同宣言」が平和をもたらしたかのごとく主張するところから始まる。
彼は、いつも「金正日政権は核を放棄すべきだ。だが米国も譲歩すべきだ」といった調子で「持論」を展開する。こうした論法では、本音が「米国は譲歩すべきだ」にあることは自明のことだ。そしてことあるごとに「北に対する援助」は平和の代価として考えればやすいものだと主張し、金正日政権に「援助」を与えなければ明日にでも戦争が勃発するかのように主張するのだ。
しかしこれはおかしな話だ。朝鮮半島の平和は、韓米同盟によって朝鮮戦争以降一貫して保たれている。金大中政権になって平和が訪れた訳ではない。むしろ金大中政権以降、北朝鮮の核の脅威が増大し、その路線が盧武鉉政権に継承されることによって韓米同盟に亀裂が入り、朝鮮半島の平和と東アジアの平和が脅かされている。
戦争に対する人々の恐怖を「人質」に取るこうした似非「平和論者」が、むしろ戦争を呼び込むということはミユヘンでヒトラーと交渉した英国首相チェンバレンの失敗で十分に証明されている。
北体制擁護で歴史まで歪曲
金大中氏は、5月23日(2005年)東京大学の安田講堂で講演を行ない次のように述べた。
「北朝鮮に対して公正な対価を与えたのに、北朝鮮が約束を破った時は(中略)強力な対策を講じることができる」。
これは、金正日政権がこれまで約束を守ってきたかのごとき主張だ。しかし北朝鮮は1991年の「南北非核化」宣言や1994年の「朝・米ジューネーブ協定」に違反し、表で補償を受け取りながら裏では核開発を続けてきた。金大中氏は金正日政権をかばうため厳然たる歴史的事実までもねじ曲げようとしている。
金大中氏は4月の米国訪問時、中国とベトナム、キューバなどの例をあげて、米国はこれらの国に封鎖と戦争を行ったが、人権改善はできなかったとしながら 「共産主義国家に対して、圧力では大きい成果を得ることができない」と主張した。
中国と北朝鮮の人権を同一水準で見ること自体ナンセンスだが、より危険なのは「第二次大戦以後、共産圏の民主化や人権問題が、外部の圧力では大きな進展がなかった」とする歴史歪曲だ。
金大中氏は、5月24日の朝日新聞とのインタビューでも、レーガン政権が、旧ソ連を「悪の帝国」と呼びながらも「対話を行った」としてブッシュ政権が「悪とも対話すべきだ」と主張した。ブッシュ政権があたかも北朝鮮との対話を拒否しているかのごとき言い回しだ。しかし六カ国協議での対話を拒否しているのはまぎれもなく北朝鮮だ。そればかりか彼は、レーガン政権がSDI(戦略防衛計画)を推進するなどしてソ連を強く圧迫し、旧ソ連を崩壊させた側面については口をつぐむ。
このように「博識」といわれる金大中氏の歴史解釈は、自己の主張と北朝鮮に都合のよいものをつなぎ合わせたものばかりだ。
金正日に対する巧妙な迎合と美化
金大中氏が韓国大統領になった後、朝鮮戦争に対する解釈にまで歪曲の手が伸びた。
冷戦終結後、最近明らかになった資料などでは1950年6月25日に勃発した「朝鮮戦争」が金日成の侵略戦争であったことは明確な歴史的事実となっている。にもかかわらず彼はそれを明確にせず、責任を米・ソに転嫁する金正日の「冷戦の産物論」に口裏を合わせ、金正日美化を一貫して行ってきた。「南北首脳会談」直後「金正日総書記は、頭が切れる。ユーモアがある」などと宣伝してきたことなどがそれだ。
今回の日本訪問でも、「南北会談」で話し合った「特権」を利用し、自分だけが金正日を正しく知っているかのごとく主張する。「金正日国防委員長は米国を恐れている。対米関係を改善したい。国民が飢え不正常な状態であること、米国だけが解決できることを彼自身が分かっている」(2005年5月24日、朝日新聞とのインタビュー)
この語りは「国民が飢え不正常な状態である」ことを金国防委員長が真剣に悩んでいるかのような描写だ。しかし彼が苦心しているのは、自己の権力と金一族の安寧だ。そうでなければ300万人が餓死する最中に、どうしてあのような腐敗堕落した贅沢な生活が出来ようか。また、膨大な費用をかけ主席宮(現在の錦繍山太陽宮殿)全体を金日成の墓とし、彼の死体保存に莫大な外貨を費やすことができるのか。
金大中氏はその他にも南北首脳会談直後「金国防委員長は、在韓米軍を容認している」などとの「情報」も流し、彼が米軍の撤退を主張していないかのような「誤解」も撒き散らした(注:日本で先頭に立って報道したのは朝日新聞の小田川興記者)。
歴史まで歪曲して金正日独裁政権を擁護する人物が「民主主義の闘士」のように振舞うとはまことに笑止である。
得意の詭弁で太陽政策を自画自賛
金大中前大統領は、4月の米国訪問期間、 アジア財団、サンフランシスコ大学、スタンフォード大学などで演説し、太陽政策の「成果」を自画自賛した。また5月22日からの日本訪問時にもこの「自画自賛」は続けられた。
彼はまず、韓国が支援した肥料と食糧の袋に「大韓民国」の マークがついていることで北朝鮮の住民が韓国の良い暮らしを知り、今では韓国のTVドラマや音楽が秘密裏に流通するようになったと主張した。5月23日の東大での講演でも「北の人々の認識が、過去の憎悪と不信から感謝と羨望に変えるのに寄与した」と強調した。しかし残念ながらこれは事実と異なる。
脱北者たちの共通した証言によれば、太陽政策絶頂期の2002年でさえ、金正日政権は 「大韓民国」 マークを取り外し、北朝鮮の袋に入れ替えて食糧を配給していた。それがそのまま流通しはじめたのは配給制度破綻で実施された2002年の「7・1経済措置」以降だ。
北朝鮮で韓国のTV ドラマ、音楽などが秘密裡に流通していることも太陽政策とは関係がない。すべての音楽と映像物は韓国からではなく朝・中国境地帯を通じて流入している。経済的困窮が朝・中貿易を強化したからだ。むしろ太陽政策は、韓国政府の対北心理戦を中断させたことでこうした心理戦の流れに障害さえ与えている。自らが妨害して效果をなくさせておきながら自分の成果にしてしまう彼の「詭弁」は正にプロ級だ。
彼はまた 「2000年 6月の南北首脳会談以後、離散家族再会、民間人の往来、金鋼山観光などを通じて 4000名に上る北朝鮮の人々が韓国を訪問したが、これは北朝鮮社会に韓国の現実を知らせるうえで大きな影響を与えている」と述べた。これも太陽政策の成果だそうだ。
もちろん北朝鮮高位層であれ国家安全保衛部幹部であれ、その直系家族や徹底的に教育受けた人たちであっても、韓国訪問することはよいことだ。しかし韓国で見聞きしたことを一切口に出来ない彼らが北朝鮮に及ぼした效果が大きいか、100万人に及ぶ韓国の人々が、金剛山と平壌の「 映画セット現場」を見て、北朝鮮をすべて分かったような幻想に陥る效果のどちらが大きいかをよく考えてみる必要がある。それは親北一辺倒の「韓総連」が金剛山観光を自らの教育手段に活用していることからも明らかだ。また金鋼山で莫大な外貨が落とされていることも忘れてはいけない。
北朝鮮人権法を反対する金大中氏
金大中氏の「詭弁」は北朝鮮人権問題の歪曲にまで及び、世界の人権運動に障害を与えている。
彼は 4月26日(現地時間) サンフランシスコ大学で講議し「北朝鮮人権問題を公開的に批判して是正を要求することも重要だが、実質的效果を得るためには、北朝鮮内部に影響を与えて中からの変化を持って来るようにするのが根本的で效果的な方法だと思う」と述べ、北朝鮮人権法など北朝鮮人権問題に対する米国の対応を批判した。
ここで彼が言いたいことは、圧力を加えず「金正日政権の人権に対する変化を待て」ということである。すなわち「北朝鮮の人権改善は、国際社会の支援と刺激が必要だが、基本的には北朝鮮の意思が最も重要と考える」ということだ。
人権擁護運動は、そもそも国家権力の迫害から身を守ることから始まったものだ。それを国家権力の変化を待って行えという彼の人権感覚は一体どこから来ているのだろうか。
「金正日」に対する彼の不思議な「思い入れ」は、人権の二重基準まで生み出す深刻な水準にまで到達している。
2、太陽政策復活を狙い朴槿恵大統領阻止で動いた人たち
韓国の野党であった「民主党(現在の「共に民主党」)」は2012年の大統領選挙で勝利し太陽政策を復活させるために、故盧武鉉大統領の流れを汲む市民統合党と合併し、「民主統合党」を発足させ2015年に解散させられた従北勢力の「統合進歩党」とも野合した。その対北朝鮮政策の中心的ブレーンにソウル大名誉教授の白楽晴(金大中ブレーン)と延世大教授(盧武鉉政権ブレーン)の文正仁らがいた。
この両者は、大統領選挙の年の2012年1月21日、4月に迎える国会議員選挙と12月の大統領選挙での野党勝利を願って「太陽政策」を共に推進してきた丁世鉉、李鍾奭、李在禎の元統一部長官らとともに「金正恩体制と韓半島の進路」(韓半島平和フォーラム新年大討論会)との討論会を開き、大統領選挙での野党文在寅候補の勝利を勝ち取り「2013年体制(後戻りできない太陽政策体制)」の樹立をめざすそう」と総決起した。もちろんその核心的狙いは、金大中時代の「6・15共同宣言」と盧武鉉時代の「10・4首脳宣言」を完全復活させることであった。しかし彼らの主張が詭弁に満ちたものであったために韓国国民の心をつかむことができず大統領選挙で敗北した。
1)白楽晴(ペク・ナッチョン)の詭弁的「統一論」
*白楽晴(ペク・ラクチョン、1938年1月10日~)朝鮮平安南道生まれの文芸評論家、英文学者。ソウル大学校名誉教授、韓半島平和フォーラム共同代表、市民平和フォーラム顧問。太陽政策推進の確信犯。李明博政権批判の急先鋒。北朝鮮に親族を持つ。
「金正恩体制と韓半島の進路」での開会のあいさつで白楽晴氏は「三代世襲が、民主主義と社会主義原則からどれほど逸脱したものかについての批判が大変多くなされた。もちろん正しい言葉である」と一見「三代世襲」批判に賛同しているかのように見せかけながら「しかし、それでは北は完全な社会主義強盛国家となり南は資本主義先進国となって千年万年別れたまま暮そうというのか」とまくし立てた。「北朝鮮を批判すると統一できないぞ」と脅したのである。これは「統一」を最高の価値に作り上げて、その実現のためにすべての犠牲を甘受せよとする北朝鮮金王朝政権のやり方と本質的に同じだ。
北朝鮮の「三代世襲政権を批判すること」と「千年万年別れたまま暮す」ということがどうして同じ意味を持つのだろうか?はっきり言って何の連関性もない。むしろ北朝鮮政権の反人民的性格や反民族的性格を批判してこそ北朝鮮の民主化は促進され統一は促進される。
一見相手の意見に耳を傾けているように見せかけながら、実はそれを否定し、飛躍した詭弁で自己の主張に導く手法は詭弁家の常とう手法だといえる。しかし、2012年12月の大統領選挙ではこの詭弁は通じなかった。太陽政策を主張する統合民主党の文在寅(ムン・ジェイン)候補は敗れ去り、名前を2度も変えた「共に民主党」は、今も分裂状態が続いている。
2)文正仁(ムン・ジョンイン)の幼稚な「平和論」
*文正仁―1951年生。2000年と07年の南北首脳会談にも随行。2007年5月14~18日平壌を訪問。延世大学校政治外交学科教授。専門は国際政治。盧武鉉大統領の外交ブレーンを勤める。忠清南道唐津郡行淡島(チュンチョンナムド、タンジングン、ヘンダムド)の開発事業に不適切に関連して大統領諮問北東アジア時代委員長を解任(2005・5・27)される。
政治学者文正仁氏は、白楽晴氏よりも巧妙だ。彼の手法は、太陽政策が正しいという資料だけを抽出して論理を構成し、非現実的前提のifを重ねることで、それがあたかも現実化するかのごとき幻想を人々に与えるものだ。文正仁氏はこの討論会で司会を務めたが「太陽政策のどこが悪いのか分からない」などと開き直った発言を行なった。
文正仁氏の主張は、彼が主導したと言われている盧武鉉政権時代の対北朝鮮政策である「平和繁栄政策」の中に端的に見られる。
この政策の中心は「韓半島に平和を増進させ南北の共同繁栄を追求することで、平和統一の基盤を作り、北東アジア経済の中心国家としての発展の土台を築くこと」であるとされ、具体的には、「周辺国家と協力して当面の北朝鮮核問題を平和的に解決し、それに基づいて南北の実質協力増進と軍事的信頼構築を実現し、米朝・日朝関係正常化を支援することで、韓半島の平和体系を構築し、南北共同繁栄を追求することで、平和統一の実質的な基盤を作り、北東アジア経済中心国家建設の土台を作ろうとする」というものだった。
この主張でもわかるとおり彼の論理は「平和」の羅列と「幻想のif」の連続だ。
文正仁氏の政策の荒唐無稽なところは、南北関係の本質を、制度の異なる国家間の単純な関係のごとく捉え「願望」で政策を作り上げているところにある。
彼は南北関係を「統一をめぐる同一民族内の主導権争い」、「冷戦構造の残滓がもたらした国際的利害対立の総体」と見るのではなく、「平和」を絶対的価値観として位置づけ、「相手にいくら譲歩しても平和が維持できるならそれでよし」とするもので実現不可能な「南北の平和共存」ですべての対立を解こうとするものである。
故黄長燁氏はこうした幼稚な論理を一貫して批判し、次のように指摘した。
「元来同一民族がお互いに違う制度を持って平和的に共存することはできません。他の国ならまだしも、同一民族であるからこそ誰が主権を取るかにこだわるからです。全国が金正日の私的所有である北朝鮮と主権が国民にある自由民主主義韓国がお互いに平和的に共存することはできないのです」(黄長燁「金正日体制と南北関係の展望」コリア国際研究所2008.3.18)。
北朝鮮の連邦制統一案に寄り添った「6・15共同宣言」や「10・4首脳宣言」を韓国憲法の上に置く白楽晴氏、文正仁氏をはじめとする「太陽政策論者」は、1991年12月13日に韓国と北朝鮮との間で締結され、1992年2月19日に発効した「南北基本合意書」(「南北間の和解と不可侵および交流、協力に関する合意書」)についてはなぜか無視する。また太陽政策実行過程での不正(北朝鮮への不正送金など)、北朝鮮による軍事挑発と民間人殺害、原則なき支援による北朝鮮核開発の進展などの責任問題や深刻な北朝鮮人権問題などについても一切口をつぐむ。
その文正仁氏がいま「北朝鮮の核20年、なぜ誰も反省しないのか」(中央日報日本語版2016年01月16日15時07分)と他人ごとのように息巻き「対話」「対話」といまも叫んでいる。
3、独裁に対する「宥和政策」の限界は世界の歴史が教えている
金大中元大統領は一貫して「宥和策以外に独裁国家を変化させる方法はない」などと主張し、北朝鮮に対する「太陽政策」を進めた。しかし歴史の現実は全く逆であった。
1938年の「ミユヘン会談」(9月29日~30日)で当時の英国首相ネヴィル・チェンバレンはヒトラーとの対決で「戦争回避」を図ろうとして「宥和政策」に陥りミユヘン協定(1938年9月29日付けで署名)を結んだ。協定締結直後、チェンバレンは一滴の血も流さず「平和」を勝ち取ったと自画自賛したが、これで増長したヒトラーは翌年の1939年9月にポーランドを侵攻した。これが第二次世界大戦勃発への導火線となった。
その後に英国首相となりヒトラーと熾烈な戦いを繰り広げたチャーチルは、著書『第二次世界大戦回顧録』の中で「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べている。
*「ミュンヘン会談」
チェコスロバキアのズデーテン地方帰属問題を解決するためにドイツのミュンヘンにおいて開催された国際会議。イギリス、フランス、イタリア、ドイツの首脳が出席した。ドイツ系住民が多数を占めていたズデーテンのドイツ帰属を主張したアドルフ・ヒトラー総統に対して、イギリスおよびフランス政府は、これ以上の領土要求を行わないとの約束をヒトラーと交わす代償としてヒトラーの要求を全面的に認めることになった。
冷戦で火を噴いた朝鮮戦争後の最大の危機は「キューバ危機」(1962年10月14日から28日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、全面核戦争寸前まで達した危機)だったが、この時も「宥和策」を取っていたならば、世界大戦につながる危険性をはらんでいた。しかし、ケネディ大統領の断固たる対応によって核戦争の危機は回避された。その後旧ソ連はレーガン大統領の圧迫政策に敗れ、ゴルバチョフが「ペレストロイカ」路線に活路を求めるのだが結局ソ連は崩壊した。
ヒトラーの独裁体制を崩壊させたのも、旧ソ連を変化させたのも「宥和政策」ではなかった。金大中氏はこうした世界の歴史には目をつぶり、自身が作り上げた「連合統一論」に固執し、結局北朝鮮の「太陽政策逆利用戦略」に巻き込まれた。
「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べたチャーチルの言葉は北朝鮮の体制とその核問題にもそのまま適用できる。それは「1994年に“ジュネーブ合意”に走らず、金大中の太陽政策を支持せず、早い段階で金正日を叩き潰していれば、現在のように大騒ぎせずに済んだだろうに」というふうに。
1994年からの失われた20余年は悔やまれる。しかし朴槿恵大統領は、自身の過ちも含めたこれまでの韓国の対北朝鮮政策の過ちを断ち切る道に踏み込んだ。開城工団の犠牲も覚悟した。中国との「蜜月」も放棄して在韓米軍の「THAAD(サード)=高高度迎撃ミサイル」の設置も決意した。そこには断固たる対応こそが北朝鮮の変化をもたらすとの教訓がにじみ出ている。対話は相手が聞く耳をもってこそ成立するものだ。聞く耳を持たない現在の金正恩政権とは対話する局面でないと判断したのだろう。この結論は長い南北交渉の教訓とも合致する。
韓国外務省は2月13日、尹炳世外相とケリー米国務長官のドイツ南部ミュンヘンでの会談(12日)内容を発表し、開城工業団地の稼働を全面中断したことに対し、ケリー氏が「勇気ある重要な措置だ」と評価したことを明らかにした(2016.2.13 22:23共同)。
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韓国が断固たる政策変更を行ったが、米国でも18日、オバマ米大統領は上下両院が可決した北朝鮮に対する強い米独自制裁法案を署名成立させた。
制裁法案は、従来の制裁を大幅に強化するもので、北朝鮮の核・ミサイル開発や独裁体制維持につながる資金の遮断を狙い、取引に関係した第三国の個人や企業も対象とする内容で、既に独自制裁を打ち出した日本や韓国と足並みをそろえる形となった。この制裁での特徴は、上院で修正されてさらに強力となった「セカンダリーボイコット(北朝鮮と直接違法取引を行う場合はもちろん、北朝鮮の取引を助たり支援する第3国の個人・団体も制裁することができる制裁)」にある。これで2005年の「バンコ・デルタ銀行制裁」に劣らない金融制裁が可能となった。
国連安保理制裁は、中国の消極的態度で手間取っているものの、米韓日は初めて同時的制裁を行った。中国も韓米日の「決意」を目にしただろう。この制裁を押し進めれば中国も優柔不断な態度を改めるかもしれない。
朝鮮半島は、一気に対決の方向に動き始めている。一貫して戦争準備を進めてきた金正恩が今後どのように出てくるか?3月からの最大規模の米韓軍事演習も絡めた出方が注目される。
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