36年ぶりの朝鮮労働党第7回大会で行われた金正恩第1書記(大会中委員長に推戴)の活動総括報告内容は一言で言って、その成果も今後の展望も核保有国が基本内容であった。これで6回大会までの経済建設中心の金日成総括報告の流れは断ち切られた。
朝鮮労働党の活動で最も輝かしかったのは1960年代であった。その成果に基づいて5回大会、6回大会を開催したが、その中心は「社会主義の完全な勝利」すなわち「白米と肉スープを食べ、絹の織物を着て、瓦屋根の下で暮らす」という「勝利」を目指したものであった。
金正恩委員長も2010年11月上旬頃、平壌での会合で「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(金日成主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を成し遂げねばならない」と述べていた(2010年12月6日07時23分 読売新聞)というが、6年たったいますっかり忘れてしまったようだ。
しかし良心の呵責を覚えたのか、党7回大会報告では申し訳程度に「社会主義の完全勝利」に言及している。だがそれは核兵器とミサイルで達成しようという羊頭狗肉の内容となっていた。金正恩は金日成のアバターを演じているが、その方向は第6回大会までの金日成報告とは全く相容れない内容となっている。
1、朝鮮労働党第5回、第6回大会の金日成活動総括報告までの流れ
1)5回大会金日成報告の中心内容
1970年年11月2日から13日まで12日間開かれた第5回大会は、最長開催大会となった。その時の金日成報告では、
1、偉大なる総話
2、わが国社会主義制度をしっかりと発展させるために
3、南朝鮮革命と祖国統一のために
4、国際革命力量との団結を強化するために
5、党活動を強化するために
などの構成となっている。
この第5回大会報告の特徴は、第4回大会までに成し遂げた社会主義制度の樹立(生産手段に対する私的所有の廃止)に基づき社会主義工業化を達成したことと、それを土台に社会主義の完全勝利に向けて大きな一歩を踏み出したことにある。
「2、わが国社会主義制度をしっかりと発展させるために」の報告部分では、人民経済のすべての部門で勤労者を重労働から解放する方針が掲げられ、重労働と軽労働の差、農業労働と工業労働の差、肉体労働と精神労働の差を縮め、女性を家事の重い負担から解放することを3大革命の課題として提示し、都市と農村の差、工業と農業の差などを無くす方向が提示された。その具体的目標が「6カ年計画」であった。
この報告のもう一つの特徴は唯一思想体系の確立が強調されたことだった。
党規約にチュチェ(主体思想)を追加し、「全社会の革命化、労働階級化」「党幹部の革命化、労働階級化」を含め、中央指導機関選挙を通じて唯一思想体系に反対する人たちを粛清した。だがこの報告ではチュチェ思想をマルクス・レーニン主義的チュチェ思想と表現し、チュチェ思想がマルクス・レーニン主義から逸脱したものではないことを強調していた。この唯一思想体系の強調によって経済は停滞していった。
南北の統一問題では、南朝鮮革命(韓国に北朝鮮の傀儡政権を樹立すること)に基づく平和統一を主張し、韓国に対する余裕からか、統一政権は南北の総選挙で樹立できると主張した。それが難しければ過渡的段階として「連邦制」を実施しようと提唱した。
2)第6回大会金日成報告の中心内容
1980年10月10日から14日まで5日間開かれた第6回大会は、5年に1回という党規約を守れず、10年ぶりに開催された。その背景には6カ年計画の遂行が順調でなかったことがある。
朝鮮労働党第6回大会でおこなった金日成報告では
1、3大革命の輝かしい勝利
2、全社会をチュチェ思想化しよう
3、祖国の自主的平和統一を実現しよう
4、反帝・自主勢力の団結を強化しよう
5、党活動を強化しよう
との構成内容となっている。
第6回大会報告の特徴は、5回大会で打ち出された「唯一思想体系の確立」の課題が一層強化され、金日成絶対化要求が高まり、金正日を後継者として内外に公表したことにある。その結果、党大会の最高政策決定機関としての機能が弱まった。
1973年に後継者に内定した金正日は、新しく設置された党中央委員会政治局常務委員となり、党書記、党中央軍事委員会委員も兼任し名実ともにNo2としての存在を示した。そして北朝鮮は金日成・金正日体制へと移行して行ったのである。こうして北朝鮮では1980年代半ばには金正日・金日成体制となっていた。
報告ではまた社会主義の完全勝利に向け「全社会の主体思想化」「全社会の革命化、労働階級化、インテリ化」「思想、技術、文化三大革命」が提示された。野心的な「社会主義経済建設10大目標」が提示され、「近い将来、1年間に電力1000億KWh、石炭1億2000万トン、鋼鉄1500万トン、非鉄金属150万トン、セメント2000万トン、化学肥料700万トン、織物15億メートル、水産物500万トン、穀物1500万トンを生産し、今後10年間に30万ヘクタールの海面干拓をおこなわなければなりません」と報告し経済分野への大規模投資を強調した。しかし金正日権力が強化される中で経済分野は軽視され、社会主義陣営の崩壊とも重なってその目標は達成できずむしろ大きく後退した。
対外面では、社会主義国家間の関係より対南(対韓国)分野に力を入れられ「高麗民主連邦共和国創立方案」と「10大施政方針」が発表された。これは、5回大会で提示した過渡的段階の「連邦制」ではなく、連邦制実施をもって統一とみなすとするもので、段階を設けない所に最大の特徴がある。
その後北朝鮮は、金大中政権を抱き込むために2000年の「6・15共同宣言」で、「低い段階の連邦制」なる新語を作り出し、連邦制に「段階」を設けた。金大中の「国家連合制」と共通点があるとみせて韓国の統一願望を利用しようとしたためだ。
2、継続性が断ち切られた7回大会での金正恩活動総括報告
7回大会での金正恩活動総括報告は
1、主体思想、先軍政治の偉大な勝利
2、社会主義偉業の完成のために
3、祖国の自主的統一のために
4、世界の自主化のために
5、党の強化発展のために
と5つの項目に分け報告された。この内容は、活動報告決定書のなかにほぼそのまま含められた。
この報告が6回大会までの流れを断ち切ったと言える第1の理由は、300万人が餓死したとされる「苦難の行軍」が総括されていないことにある。それがいかなる政策の失敗で引き起こされたものであるかがなに一つ究明されていない。
報告で金委員長は36年間を「わが党の長い歴史でこれまでになく峻厳な闘争の時期」とした上で「偉大な転換が達成された栄光の勝利の年代」と評価し、1980年代後半から始まった「世界的な反社会主義、反革命の逆風」に「前代未聞の厳しい試練と難関」を迎えたが、主体思想と先軍政治によって「社会主義守護戦」で勝利したと総括している。
まったくの「ごまかし総括」である。この「ごまかし」によって6回大会までの朝鮮労働党の権威は地に落ちたと言える。
6回大会までの流れを断ち切ったと言えるもう一つの理由は、「社会主義経済建設10大目標」の執行状況を総括せずに「社会主義の完全勝利」を云々していることにある。
党活動の継続性を保つのであれば、この10大目標が達成されなかった原因を明確にし、今後の経済発展計画でこの目標をどのように達成するのかの青写真を提示しなければならなかった。しかし今回提示された「国家経済発展5カ年戦略」(2016~2020)では、そのことが言及されなかっただけではなく、何一つ具体的数字が示されなかった(この部分以外でも金正恩報告は数字で示された箇所は1ヶ所もない)。
なぜこうしたことになったのか?それは1990年代半ばで、1970年代以降目指してきた「社会主義の完全勝利」を目指す経済建設が完全に崩壊したからだ。だから金正日総書記も党大会を開かなかったのである。
北朝鮮政権の政策失敗による1990年代中盤の大飢饉は、300万人もの国民を餓死させたといわれており、北朝鮮の根幹である朝鮮労働党組織をもマヒさせた。社会を統制する組織は命令で動く軍隊だけとなり国家管理は「軍」に依存せざるをえなくなったのである。
そこから出てきた「先軍政治」は北朝鮮の社会主義を高い段階に進めたものではなく、崩壊に直面した「危機管理」のための非常事態宣言に等しいものであった。この危機はそのまま対外政策にも反映し核とミサイルの開発促進につながった。
今回の金正恩報告は、以上二つの部分での総括を避けたことで、6回大会との連続性を失っただけでなく、朝鮮労働党の権威を大きく失墜させたと言える。
いま北朝鮮は、配給制度、無料教育、無料医療制度、国家の責任による雇用の確保など社会主義制度の根幹が崩れたことで、社会主義制度が確立する1958年以前の経済システムに後退した。従って社会主義制度の確立を前提として進められてきた計画経済は今なお揺らいでおり、朝鮮労働党のビジョンであった「社会主義の完全な勝利」と、そこから共産主義に進む道は「夢のまた夢」となり消え去ったのである。
共産主義はさておき、金正恩委員長がここから再び社会主義の完全勝利を目指す経済中心のたたかいを挑むのであれば、朝鮮労働党の歴史は継承性が保たれたであろう。しかし今大会報告ではその真逆の方向である「核武力建設と経済建設の並進路線」を恒久的総路線と規定した。金委員長は核兵器とミサイルで社会主義の完全勝利を実現しようとしている。党大会の連続性と政策の継承性を放棄した金正恩報告は、金正恩独裁を美化し偶像化する装飾物でしかない。金日成の朝鮮労働党は死滅した。
以上