8月5日にかつてない強力な対北朝鮮国連安保理制裁2371号が全員一致で採択された。これに対して北朝鮮は8月7日の政府声明で「正義の行動に移る」と表明し、国連制裁とそれを主導したトランプ政権を口汚く非難し脅迫した。
この脅迫にトランプ大統領は「世界が見たこともない炎と激しい怒りをもって迎えられるだろう」(8月8日)とツイッターで応酬したが、金正恩委員長は8月9日、8月中旬までに「米領グアム周辺30-40Km海域への火星12型ミサイル4発の発射計画」を人民軍戦略軍司令官に報告するように指示し、それを公開させた。ただこれまでの挑発とは異なり、その手順を①8月中旬までに計画を最終的に完成させ②金正恩委員長に報告し③ 発射待機態勢で命令が下るのを待つとの3段階に分け、いつでも中断できる「逃げ道」を準備した。この計画は国連制裁に対抗したものだけでなく、8月21日からの米韓合同軍事演習「ウルチ・フリーダムガーディアン」を意識してのものだったと推察される。
それ以後トランプ政権と北朝鮮の間で「戦争前夜」を思わせる舌戦が繰り広げられた。だが、圧倒的軍事力を誇る米国が「戦争も辞さない」とする非妥協的姿勢を堅持したことで、金委員長は「当面の米国側の行動を見守る」として一坦引き下がらざるをえなくなった。この究極のチキンレースはトランプ大統領の勝利に終わったといえよう。
好戦的独裁者に対しては「戦争をも辞さないとする強い覚悟を見せてこそ戦争を抑止し平和を導き出せる」との歴史的教訓の正しさを再確認したかたちだ。目先の「平和」にこだわり対ヒトラー融和策で第2次世界大戦をもたらした英国首相ネヴィル・チェンバレンの失敗や、今日の北朝核危機をもたらした金大中・盧武鉉政権による「太陽政策」の失敗からわれわれは謙虚に学ばなければならない。
トランプ大統領は16日、「北朝鮮の金正恩は熟慮した上で非常に賢明な判断を下した」とツイッターに投稿。「別の選択をしていれば壊滅的、かつ受け入れられない結果になったであろう!」と記した。
トランプ氏は大統領就任以来、予測不可能で破天荒な異端児との自らの悪評を利用し、ニクソン元大統領が駆使した「マッドマン・セオリー」戦術を実践し金正恩を怖気付かせているように見える。
だが「マッドマン・セオリー」に怖気付いたのは金正恩だけではなかった。韓国の文在寅大統領は「戦争の恐怖」に震え上がった。
1、「戦争の恐怖」から文大統領は「平和」を連呼
1)首席秘書官・補佐官会議で「平和」だけを強調
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は14日、青瓦台(大統領府)で開かれた首席秘書官・補佐官会議で、「最近、北の継続的な挑発により、朝鮮半島と周辺の安全保障状況が非常に厳しくなっている」とした上で、「いかなる紆余曲折を経るとしても、北の核問題を必ず平和的に解決しなければならない。われわれと米国の立場は変わらない」と述べた(注:軍事オプションもテーブルの上にあるとする米国の立場とは相当に異なる)。
文大統領は「政府の原則は明確だ」として、「韓国の国益は平和であり、朝鮮半島で二度と戦争があってはならない」と強調。「政府は米国など主要国と協力し、こうした状況が深刻な危機に発展しないよう全ての努力を尽くし、朝鮮半島の平和と安定を必ず守っていく」との姿勢を示した(注:抑止力のTHAADミサイルすら設置しないで平和だけを主張)。
また、「韓米同盟は平和を守るための同盟であり、米国も現在の事態についてわれわれと同じ姿勢で冷静かつ責任を持って対応すると確信している」と表明。「朝鮮半島の平和は武力では来ない。平和と交渉が厳しく、遅くても必ずそうしなければならない」と強調した(聯合ニュース2017/08/14 16:26)。
こうして見ると文大統領は「好戦的独裁者が戦争で脅してくる場合、平和は武力と外交の統一的な力によってもたらされる」とする初歩的な安保論すら分かっていないようだ。そういった意味で平和だけを強調し武力を排除する文大統領の平和論は、平和のためなら自由も豊かさも投げ出すとの「奴隷的平和論」といっても過言ではない。
2)8・15演説でも圧迫の目的は「非核化」ではなく「対話」と強調
文大統領は「朝鮮半島での軍事行動は(米国でなく)韓国だけが決定することができる。政府はすべてをかけて戦争だけは避ける」と「平和」への意欲を強調した。そして、「北朝鮮への強い制裁と圧迫の目的も、北朝鮮を対話に引っ張り出すためであり、軍事的緊張を高めるためではない」と説明し、「この点でわが国と米国政府の立場は違わない」と米韓間の緊密な連携をアピールしたが、これは米韓相互防衛条約に抵触する発言であり米国政府の立場に対する意図的な歪曲だ。米国がこのような主張を行ったことはない。だから韓国国民の多くは文大統領の安保観に不安を覚えるのだ。
そればかりではない。文氏は対北朝鮮抑止で重要な日韓関係についても、歴史問題と北朝鮮核問題などでの協力を区別する「2トラック外交」に取り組む考えを示しながら、「歴史問題に蓋(ふた)をすることはできない」と述べた。これも彼特有のレトリックだ。いかにも未来志向的に見せているが、本音は「日韓慰安婦合意」のちゃぶ台返しで自己の政権基盤を固めようとするものだ。そればかりかすでに解決している徴用工問題も蒸し返した。
慰安婦問題と徴用工問題の解決には「人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真相究明と再発防止の約束という国際社会の原則がある」と述べ、日本側の積極的な対応を求めたが、国家間合意の国際原則は無視したままだった。特に問題なのは徴用工問題に関して「南北関係が解決したら、南北共同で強制動員被害の実態調査を行うことも検討する」とも述べ北朝鮮との共同戦線で日本に対処するとしたことだ。
彼は建て前では日韓協調、米韓日の連携などと言っているが、本音はおいしいとこ取りでの「反米反日」で動いている。その最終目標は北朝鮮との「連邦制統一」だ。今彼が行っているすべてのポピュリズム的政策は、韓国国民をその方向に引き込むための手段と言えるだろう。左派民族主義者文在寅の行動の核心はそこにある。
3)文大統領就任100日演説では「韓米相互防衛条約」抵触発言
文在寅大統領は17日の「就任100日」での記者会見でも「朝鮮半島で二度と戦争はないと自信を持って言う」との表現で「軍事オプションもありうる」とする米国の対北朝鮮圧迫に反対した。
文大統領は「北の挑発に対し、強い制裁と圧力を加えるとしても結局は平和的に解決しなければならないというのが国際的な合意」とし、「米国とトランプ大統領の立場も違わない」とここでも国民を欺瞞した。
また、「国連安保理で北の輸出の3分の2を制限する強力な経済制裁案を全会一致で採択し、ロシアと中国も参加した」として、「それは違う言い方をすれば、戦争を防ぐためのもの」との認識を示した。ここでも非核化のためとは言わず、戦争を反対するためなどと勝手な解釈を行った。
朝鮮半島で軍事的な緊張が高まっていることについては、「朝鮮半島での軍事行動は韓国だけが決定できる」と再び力説。「韓国の同意なしに誰も朝鮮半島で軍事行動について決定できない」と述べた。その上で、「米国とトランプ大統領が北に対するどのような選択肢を選ぶとしても、その選択肢について韓国と十分に協議し、同意すると約束した」とした。
この発言は韓国と米国が武力攻撃を受けた時には防衛条約に基づき相互に守り合うとの双務的義務が欠如しており、実質的には「韓米相互防衛条約」を韓国だけに有利な「片務条約」に解釈するもので厳密には条約違反となる発言である。
そればかりか、「北がICBM(大陸間弾道ミサイル)を完成させ、これに核弾頭を搭載して兵器とすること」がレッドラインに当たる」との認識を米国との協議も経ず一方的に示した。これも両国の双務的防衛義務に障害を与える発言だ。韓国国会聴聞会ではこうした文大統領の独善に批判が集まった。
4)韓国憲法に違反する「6・15共同宣言」の継承も明言
文在寅大統領は18日、国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)で行われた金大中元大統領逝去8周忌の追悼式で、金氏の対北朝鮮政策である「太陽政策」を継承する意思を再度明確にした。北朝鮮の挑発で韓(朝鮮)半島の緊張が高まった状況でも、窮極的には対話を通じて北朝鮮の核問題を解決するというのだ。
文大統領は同日、追悼の辞で金氏について、「太陽政策を通じて凍りついた南北関係を改善した」とし、「2000年6月の歴史的な南北首脳会談と6・15共同宣言で、南北の和解・協力の輝かしい道標を立てた」と手前勝手な解釈を行い、「統一に向かう大胆なビジョンと『実事求是(事実の実証に基づいて、物事の真理を追求すること)』の精神、安保と平和への意志で韓半島問題の解決の立役者はまさに私たち自身だという原則を揺るぎなく守って行く」と主張した。北朝鮮の挑発に対する制裁と圧力に参加しているが、窮極的には対話に進むと現在の圧力が不本意であることをにじませた。
2、「米韓相互防衛条約」を毀損する文大統領に米国は嫌悪感
文大統領が8月15日、「光復節」式典のあいさつで、「誰も韓国の同意なしに軍事行動を決定することはできない。絶対に戦争を防ぎたい」としたが、こうした双務的防衛義務を放棄したような発言について、米国は敏感な反応を示している。
ヘザー・ナウアート米国務省報道官は15日の定例記者会見で、「文大統領の発言に対してコメントしてほしい」という記者らの問い掛けに、「米国は韓国政府と対話を続けている」としながらも、「その質問には答えない」と言った。また、「彼(文大統領)は(米国の)意欲をそぐのではないか」という質問には、「誰も韓半島(朝鮮半島)での戦争を望んでいない。韓国も日本も、誰も望んでいない」と話をそらした。
あらためて「文大統領は今回の件を『あなた方(米国と北朝鮮)だけの問題』と見ているのではないか」という質問が出ると、ナウアート報道官は「この問題は北朝鮮と全世界の問題で、米国だけが北朝鮮の金正恩政権に対して懸念を表明しているのではない。金正恩政権は自国民を飢えさせ、収容所に閉じ込めている。全世界が北朝鮮を非難している」と答えた。
「どのような攻撃をする際に米国は韓国から許可をもらわなければならないのか」という質問には、「これは国防総省が韓国と相談すべきことだ。韓国は重要な同盟国であり、米国は同盟国を守る」と答えた。カティーナ・アダムス国務省報道官(東アジア・太平洋担当)も同日、米国のラジオ放送「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」のインタビューで文大統領の発言について質問を受けた際、「国防総省に聞いてほしい」と言及を避けた。
米国務省の慎重な反応は、北朝鮮に対する圧力をめぐる韓米の見解が、分裂しているかのような姿を見せないためのものと受け止められている。ワシントンの外交消息筋は「戦争を阻止しなければならないという点で、ソウルとワシントンには何の異論もなく、軍事行動を取る前に事前協議をするしかない。ただ、文大統領の断定的な発言に米国側が当惑したようだ」と言った(朝鮮日報日本語版 2017/08/17 09:40)。
以上のように文大統領の発言は「韓米同盟」にひびを入れているだけでなく結果的には金正恩を助けるものとなっている。米国に対する「面従腹背」、この辺にも文大統領の親北朝鮮左派としての本質が表れている。
親北は親中に通じる。案の定、中国外務省は文大統領の一連の発言について、「中国は一貫して平和的な方法での問題解決を主張してきた。韓半島情勢は極度に敏感で臨界点が近づいているため、対話の決断を下すべき転換点に達した」と歓迎の意を明らかにした。
こうしたことから、米国ではカーター大統領以来の「駐韓米軍撤退論」と米朝直接取引論が台頭し始めている。
3、米国内で台頭する「在韓米軍撤退」論
ホワイトハウスの一部と米メディアからは在韓米軍撤収、中国とのビッグディール論まで飛び出している。
ニューヨーク・タイムズによると、米国外交の大物であるキッシンジャー元国務長官は「北朝鮮という緩衝地帯がなくなるという中国の懸念を軽減するため、韓半島から在韓米軍の大半を撤退させることを公約することも選択肢になる」と述べた。
こうした主張が出る中で、トランプ大統領の側近であるスティーブン・バノン氏はメディアとのインタビューで、「北朝鮮に対する軍事的なアプローチはない。中国が北朝鮮の核を凍結させる見返りとして、在韓米軍を撤収するという外交的取引を検討すべきだ」と述べた(この発言の後の8月18日に首席戦略補佐官を解任された。彼の発言にトランプ大統領が激怒したことが解任のキッカケとなったとされている)。
在韓米軍の撤収問題は1976年に当時のカーター大統領が公の席ではじめて言及したが、その後は米国で40年以上にわたり口にされることはなかった。韓国国内でもこれを主張するのは「統合進歩党」など一部の極左従北勢力などに限られていた。
ところがこのタブーがいま米国で堂々と議論されるようになっているのだ。北朝鮮の核ミサイルが米本土に到達しそうな状況を受け、米国がそれをどれほど深刻に受け止めているかということだが、同時にそれは米国と歩調を合わせない文在寅政権に対する苛立ちを示すものでもある。
文大統領が米軍の軍事行動を取れなくすれば対北朝鮮外交交渉で米国は主導権を取れなくなる。米国が今後北朝鮮の核とICBMを阻止する方法がないと判断すれば、中国との取引で在韓米軍撤収論をテーブルの上に乗せる可能性は否定できない。表向きは非核化という言葉を使いながら、実際は北朝鮮の核ミサイルと在韓米軍撤収を取引しようとするものだ。これが現実となれば日本にとっても最悪の結果をもたらしかねない。キンシンジャーが指摘したように日本が核武装に向かわざるをえなくなるかもしれない。
こうした主張にについて、トランプ政権は今のところ一線を画している。ナウアート報道官は「核で武装した北朝鮮の立ち位置はどこにもない」と述べた。
また「米朝対話」が噂される中、ダンフォード統合参謀本部議長は17日、「韓米合同軍事演習の中止は交渉対象ではない」と語った。米太平洋軍のハリス司令官も20日、韓国の宋永武(ソン・ヨンム)国防部長官との会談で「現在の米韓同盟はいつになく強固であり、北朝鮮のいかなる挑発にも効果的に対応できる連合防衛態勢が維持、発展されてきた」とし、「強力な米韓合同戦力が北朝鮮対応における外交的な努力を後押ししている」との認識を示した。その上で、「いつでも戦える備えを維持している」と強調した(聯合ニュース2017・8・20)。事実「韓米合同軍事演習」は例年通りの規模で行われる。
これに対して北朝鮮の労働新聞は20日、「乙支フリーダムガーディアン」(UFG)について、「火に油を注ぐもので、(朝鮮半島)情勢を一層悪化させる」と非難した。また対韓国宣伝用ウェブサイト「わが民族同士」はこの日、米国が北朝鮮と交渉する用意があるとの姿勢を示したことについて、「相手をだますための常とう手段」と主張した。
今後の北朝鮮の出方が注目される。
以上