2018年2月、金正恩委員長は「平昌冬季五輪」を利用して文在寅政権と演じた「非核化平和ショー」によって、米国の軍事オプションを阻止し、3回の「中朝首脳会談」と3度の「南北首脳会談」でなんとか外交的孤立から脱した。そして、シンガポールにおける初めての「米朝首脳会談」で、自身の権威を高め、国内における求心力を強める一方トランプ政権攻略の足がかりを得た。その後文在寅政権と結んだ「9月平壌宣言」と「軍事分野合意書」で、米韓軍事同盟に亀裂を入れ、韓国の安保体制を弱体化させた。
2019年に入って金正恩は、この流れに乗って一気にトランプ大統領を攻略し、核保有をしたまま制裁解除を勝ち取る作戦を立てハノイでの第2回米朝首脳会談に臨んだ。
平壌出発時にはすでに勝利したかの如く、「ハノイ大捷(大勝利)」とのフレームまで使い、平壌駅で国をあげての大「歓送会」まで行った。しかし片道60余時間をかけてハノイに向かったが、結果は「会談決裂」という予想だにしなかった結末となった。
ハノイからの帰国途中、会談の実務を主管した党副委員長兼統一戦線部長の金英哲は、金正恩から「米国の意図も見抜けず何をしていたのか」と強く叱責され、帰国後、組織指導部の検閲を受け「革命化教育」に入ったという。また対米交渉に関係した統一戦線部と外務省関係の複数の幹部が粛清されたとの情報もある。
ハノイ米朝首脳会談の決裂は、シンガポール会談以降有頂天になっていた金正恩を奈落の底に叩きつけた。ハノイ会談の決裂が、北朝鮮貿易関係者などを通じて北朝鮮内に伝えられる中で、金正恩の権威は傷付き金正恩体制は張成沢粛清以来の激震を味わった。4月10日の朝鮮労働党政治局拡大会議とそれに続く最高人民会議第14期第1回会議で体制の立て直しを図るまで、金正恩は40数日を費やすという苦痛を味わった。
金正恩は、この最高人民会議での演説で、「米国が計算法を変えない限り再び米朝首脳会談には応じられない」とトランプ政権を圧迫し、5月初旬には短距離ミサイルを発射し、「長距離弾道ミサイルの発射もありうる」とのシグナルをトランプ大統領に送った。その一方で、6月のトランプ誕生日には親書を送り、会談再開の要請を行うというずる賢い2面作戦も駆使した。
またトランプ政権との長期戦に備えるために、中国に経済支援を懇願し習近平訪朝を乞うた。中朝首脳会談と習主席夫妻に対する一連の接待では、それまでの「対中自主外交」は影をひそめ「対中従属外交」で一貫した。
習近平訪朝直後、トランプからの親書を受け取った金正恩は、意味ありげにそれを内外にひけらかした。そこにはG 20後、板門店で首脳会合を行おうとの打診があったようだ。トランプとしても米大統領選挙を前にして金正恩との「ショー」が必要だったと思われる。この親書で気を良くした金正恩は、「計算法を変えない限り会わない」としていたことも忘れ、権威回復の絶好の機会ととらえて、喜び勇んで板門店に駆けつけた。
金正恩は、自国民には自身が先に親書を送ったことを隠し、板門店米朝首脳会合があたかもトランプの懇願によるものとして演出した。トランプが休戦ラインを越えて金正恩と握手したことを「降伏」に来たかのように国内外へ大々的に宣伝したのである。
その後北朝鮮の労働新聞は、連日金正恩の偉大性宣伝を行ってハノイ会談の傷を癒すとともに、金正恩に対して、北朝鮮を「太陽の強国」に作り上げて北朝鮮を世界の中心に据えた「大偉人」(7月4日付「正論」)と宣伝した。
しかし、対北朝鮮制裁は何一つ解除されていない。差し押さえられた「ワイズ・オネスト号」もそのままだ。多分スクラップになるだろう。板門店米朝首脳会合ではそれに対する抗議すら金正恩は行わなかった。
制裁の長期化で北朝鮮経済は今も低迷し続け、住民の困窮は続いている。習近平訪朝を前後して支援物資が北朝鮮に入り、対中貿易も再度拡大の兆しを見せているが、根本的解決になっていない。北朝鮮の市場(チャンマダン)で商人たちの売上高が減少するなど、景気低迷の信号があちこちで捕捉されている。
金正恩に対する現実離れした誇大な「偉大性宣伝」と困窮する住民生活との極端なかい離はますます広がっている。このかい離は金正恩体制の今後を暗示している。
以上